『白雪姫』を観て来ました。
いろいろ楽しみにしてたんですが、ちょっと登場人物の話が長くて展開のテンポ的にうまくいってない印象を受けたのは残念でした。1937年のアニメ版のままの素っ頓狂な衣装を着てレイチェル・ゼグラーもガル・ガドットもよく頑張ったとは思うのだけど。
そもそも『白雪姫』の何が良いかと言えば、ものすごく直接的に”娘が母を殺す話”であることです。グリム兄弟による『白雪姫』では、姫が王子との結婚式で継母を殺害するびっくりシーンで終わります。
以下は菊池寛による訳文
けれども、そのときは、もう人々がまえから石炭の火の上に、鉄でつくったうわぐつをのせておきましたのが、まっ赤にやけてきましたので、それを火ばしでへやの中に持ってきて、わるい女王さまの前におきました。そして、むりやり女王さまに、そのまっ赤にやけたくつをはかせて、たおれて死ぬまでおどらせました。
真っ赤に焼けた鉄の靴で死ぬまで踊らされる、って怖くて夢に出ます。どんなゴアシーン。
この凄惨さをわざわざグリム兄弟が記録に残したということは、もちろん意味あってこのとでしょう。
かくも重要な「母殺し」を丸ごとカットした結果、「見た目をきれいにして死んだふりしてれば上昇婚ができて、それが望みうる限り最大の幸福」という機能不全の教訓に見えかねなくなってしまったのが1937年版のディズニーアニメでもありました。
きれいな作品ではありますが、グリムを読んだあとでは「あんた本当はもっとできる子でしょ」という感想を持たざるをえません。主人公が林檎食べて寝てるだけだったらこんなに長く語られる話になってるはずがないのです。
そもそも、白雪姫には母が二人います。
ひとりはすぐに死別してしまった生母、もう一人は美しさを妬んでいじめる継母なのですが、白雪姫はどちらの母からも「お前は、人生において”何を成すか”よりも”どう見えるか”のほうがはるかに重要だ」というメッセージを受け取っています。
最初は”雪のように白く美しい”という名付けによって。成長してからは”母より女であってはならない”という迫害によって。
この母たちからの迫害によって白雪姫は暗い森の中に追いやられ、小人たちの助けを借りながらなんとか精神的な安定を得ようとしますが、母なるメッセージはその遠い森まで繰り返し生命を奪いに来る、というのがグリム兄弟が採録した白雪姫の物語です。
それでも数々の試練を乗り越え、王子(アニムス)とともに森を出た白雪姫は結婚式の場で、もう二度と命を取られないために完膚なきまでに徹底的に、母を殺します。
少年が成長の過程で父を殺すのと同様に、女の子が成長の途中で母を殺すのは非常に重要な仕事であり、母にとっても娘に殺されるのは母として最後の大仕事。
それがいかに残虐で痛みを伴い、そして避けて通れない道なのかということは民話の時代から現代に至るまで変わらず、人生の役に立つ知識でありつづけています。
それを時代の要請で「白雪姫は大人しく寝てるだけ」と丸めてしまったことは、成長に苦労する女性にとってお話そのものが毒リンゴとして作用する可能性を高めてしまったように思えますし、そこも含めていろんな語り直しが繰り返されてきました。
近年語り直された白雪姫の中ではシャリーズ・セロンが女王を演じた『スノーホワイト』はがっつり直接対決で殺されてくれたので面白く観ました。
今回の2025年ディズニー実写版がどうだったのかと言えば、直接対決したところまでは頑張ったと思うものの、やっぱりレイティングの都合なのか、殺されるのではなく「パラパラパラっと消滅する」という描写になっていたところだけは表現として不満でした。「”母殺し”は自然現象ではなくて成長なのだから、もっと肉体的な痛みを持って描かれていて欲しい」とは思ってしまう。

ちなみに2012年の『白雪姫と鏡の女王』では、白雪姫に活発な個性をもたせようとして工夫したのはよく理解できたものの、なぜか継母と白雪姫が「一人の王子を取り合う」というストーリーになってしまっていることについて「ないわー。そういうことじゃないわー」と猛烈に思ったものです。
”父王から結婚を認めてもらって幸せ”というラストも「いきなり家父長制的権威に着地とかないわー」と残念でした。でも10年以上前だものね。
青空文庫とかで菊池寛訳読めるのでぜひ読んでください。短いし大変面白いお話です。