まっしぐらに冬に向かっている北国は、今がたいそう美しい季節。湿った匂いのする森の中は赤やら黄色やらのフィルターのおかげですっかり異世界のように見えている。
その中を時々、黒いストッキングを履いたキタキツネが横切ったり、不思議なリズムで左右を見渡すエゾリスが徘徊したりする。人間はしきりに木立に向かってスマホを掲げるし、散歩の犬にも、やはり紅葉は美しく見えるのか、やけに機嫌のいい子が多いようだ。
「向こうから、また一匹、極端なほどご機嫌な足取りでやってくる子犬がいる」
正面からぴょこたんぴょこたんと近づいてくる白い子犬を見たとき、その陽気さに思わず微笑んでしまった。かわいらしい子がいるものだ、と思って距離が詰まってきたその瞬間、予想外の根本的な疑惑に思わず立ち止まりそうになる。
「……子ヤギ? 」
犬にしては、ちょっとシルエットがおかしい。いくらなんでもあんなにむくむくしてるはずはない気がするし、顔つきも少し丸すぎる。なによりいくら幼くても犬はあんなに飛び跳ねて歩かないのではないか。あれはまさに、アルプスの少女ハイジで見かける、ユキちゃんそのものではないか。
「そっ、その子、ヤギですよね? 」
と、もちろん私は聞きたかった。しかし、住宅街の中の公園をリードをつけて歩いている白くて可愛い生き物に対して(ヤギなんじゃないかな? )という前提を持って話しかけることは、なんとなくリスキーだ。なぜなら、常識的に考えればそれは犬だから。
動物の幼い頃は、見た目がむくむくしていてなんだか分からない、という話はたまに耳にする。子猫を拾ってきて育てていたら狸になった、とか。子犬を拾ってきて育てていたら熊になった、とか。幼体というのは多少はどれも似通ってくるもので、眼の前の小ヤギちゃんだって、あと数ヶ月すればしっかり犬になる可能性も捨てきれずあるのだ。
「……いや、でもあの飛び跳ね方は山羊だろ。しかも高畑勲が監督した小ヤギだろ」
そう、思い思い、色とりどりの葉の敷き詰められた道路を振り向いてあるく。
あの子がこの道を毎日散歩するとしたら、冬くらいまでにはヤギなのか犬なのか、成長を見届けることができるんだろうか?
一人首をかしげながら歩き続けていると、目の前にひとり初老の男性が歩いているのに突然気づく。道はやや急な上り坂で、男性はその坂を上ったり下りたりする運動のためにそこに居るらしい。私と同じ進行方向で、私の少し前を歩いていく。……私の方を見ながら。
坂道を後ろ向きに登る、という運動方法があるのは理解できる。普通に歩くときとは別の筋肉を使うから、ただ歩くだけより刺激になるんだろう。
しかし、すぐ後ろに私がいるのにずっとこちらを見ながら坂を上っていくとなると、その間私はどこを見ていれば良いというのかっ! 手を取り合って上っていくのであれば、なんとなく宝塚の大団円っぽくなるのかもしれないが、こちとら知らないもの同士、
(なんとなく気まずいけど、今からくるっと方向を変えるのもわざとらしいしな……)
などと悩みながら、視界を無理やり右にふったり左にふったりして過ごさなければならない責め苦である。
ここは意を決して相手がどういう方針でこの魔の時間を乗り切らんとしているのか、ちょっと確認してみよう、と、ついに覚悟をして男性の顔に視線をやれば、なんと、こちらを見て普通に微笑んでいるではないか。
(なんと、その手があったのか! )
しかし、そこはやはり私の内向的な習性の根強さ。そのまままた慌てふためいて視線をそらし、おそらくは私に向かって微笑み続けているであろう見知らぬ男性と二人セットで、あらぬ方を見たまま紅葉の丘を上り続けたのでありました。
山羊も人も、美しい季節には少し浮かれて歩くのだ。
本当にこういう感じで歩いてきたの。