以下の内容はhttps://retrospective.hatenadiary.com/entry/20250610/1749485247より取得しました。


なぜ「自戒、点検、内省 終わらない反省会をしよう」というブログを書いているのか

ブログを書くことで、自分がなぜブログを書いているのかがわかった。メタ的で面白い体験でした (id:bash0C7、2025年)


このブログを書き始めて気がつくとそろそろ半年─────「自戒、点検、内省」というタイトルに込めた思いと、なぜ「終わらない反省会」をこの retrospective.hatenadiary.com という場で続けているのか。自分での不思議に思ってきたので、言語化を試みます。

当初は「習慣化」だった

当初は「ふりかえりの習慣をつけたい」という程度の動機でした。仕事上では常に改善を心がけてきたつもりでしたが、個人としての内省は意外なほどできていなかった。そんな気づきから始まりました。

しかし書き続けるうちに、より深い動機があることに気づいてきました。

認知的整理の手段

わたしの頭の中では、本当に「常時」反省会が開催されています。「あの発言はよくなかった」「あの判断は適切だったか」「もっとうまくやれたのでは」──こうした思考が延々と巡り続けています。

しかし、頭の中だけの内省は堂々巡りになりがちです。同じ問題を何度も反芻し、建設的な結論に至らないまま精神的なリソースを消耗してしまう。

文章化することで、散漫な思考を構造化できます。またそして最近では、LLMという「感情に左右されない論理的パートナー」との対話を通じて、より客観的な視点を得られるようになりました。このブログは、この認知的整理プロセスの記録でもあるのです。

キャリブレーション

家族に話をきいたり、自分のカレンダーやThingsを見返すと、行動限界まで毎日突き詰める習性に気が付きます。これらはどうも「最上志向」の特性が執着と表れているようです。

しかし2025年は年齢としても現職勤務としても自分なりにキリ番な節目としており、このペースはいわば短距離走であり、長距離走のペースつくりが必要という危機感が芽生えました。

このブログは、現在の自分を客観視し、行動変容を促すツールとして機能しています。検索可能な場所におくことでいつどういう時でも取り出すことができます。

これからのブログ

記事を書くたびに、現在の価値観や行動パターンを解体し、再構築している感覚があります。この営み自体が、既に変革の始まりなのだと気づきました。

もしかしたら「終わらない反省会」という言葉からのイメージから、重いことを書いてると思われたかもしれません。確かにいつもの大きな声と動きをとっぱらった、思考のプロセスの一端を淡々と綴っているのでそうもみえるかもしれません。 とはいえそういった側面もまたわたしであり、そういう継続的な内省こそが自分にとって不可欠なプロセスだと確信しています。




以上の内容はhttps://retrospective.hatenadiary.com/entry/20250610/1749485247より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14