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自己批判の海で泳ぐ方法を探索する旅 - 常時開催される脳内反省会との向き合い

このブログの名前は「自戒、点検、内省 終わらない反省会をしよう」とつけたわけですが、実際、わたしの頭の中では延々と反省会が開かれています。いや、反省会というより自分自身への糾弾会と言った方が正確かもしれません。「あのときの返事はよくなかった」「あの場面での表情が微妙だった」「声色が固すぎた」「発言のタイミングを逃した」「あれは言うべきではなかった」。これらの思考が休むことなく頭の中をぐるぐると回り続け、今日も失敗したな、明日はもっとうまくやれよと自分が自分を詰め立ててることは無意識に自然な思考として巡っています。

他の人に対してはそんなこと全く思わないのです。あの人のこういうところが素敵だった、ああいうところが素晴らしかった、そういう記憶が積み重なります。

でも自分に対してはそういった加点方式や美点凝視はまったく働いてくれません。

切れ目のない自己批判の日々

奇妙なことに、この終わりのない自己批判がなければ、わたしは人と人の間で適切に機能できない気もします。自己評価として、決して頭脳明晰ではなく、動作性としてもどんくさい、失敗をずっと引きずる、そんな自分が人様の社会で仕事ができているのはそういう自己監視・自己批判あってのこととも思います。

とはいえ、その頻度はほぼ「常時」。重いウェイトを自分に落下させては命の危険にさらされるトレーニング中以外は、この内なる批評家は休むことを知りません。夢の中にまで繰り広げられるのもしばしばです。それにしても、ウェイトトレーニングが例外的な休息になっているというのは皮肉なことです。身体的には最も厳しい状況なのに、精神的には最も解放されます。さすがに高重量を持ち上げるときには動物的な自らの命を守ることが思考を支配するため、純粋に「持ち上げる」という行為に集中するしかないからです。

名前がついているこの現象との付き合い方

「内なる批評家」という名前のあるこの現象、その中で泳いでいければいいなと思っています。

もしかしたら、信仰を持つ人なら、祈りを通じて心の平安を得られるのかもしれません。誰かに、あるいは何かに赦しを求め、それを得ることができるのでしょう。しかし、そのような習慣を持たないわたしは最終的に自分自身を赦す道を模索する必要があって、それが自然に浮んでこれるように意識的に思考を向ける習慣づけを考えています。




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