気がつけば30年近く、情報機器を通じて最新の書き込みを読んで自分も書き込むという生活を送ってきました。当初はパソコン通信の草の根BBSから始まり、個人サイト、blog、そしてSNS。パーソナルな通信の発展ととともに、情報との接し方も変化してきましたが、「新しい情報を求め、自分の考えを発信する」という行為そのものは変わっていません。
この長いデジタルコミュニケーションの旅の中で、情報との距離の置き方は常に難しい課題でした。特に情報技術に身を置く者として、常に最新技術や業界動向を追い続けることは半ば義務のようにも感じられます。そしてわたしにとってはその中でもX(旧Twitter)は情報量、レコメンド精度、発信のしやすさという点で比類なきプラットフォームとなっています。しかし、この便利さの裏には常に「追いつけない焦燥感」という代償が存在します。
情報の泡の魅力と罠
わたしのタイムラインには、可愛らしい動物の動画、好きな小説やマンガの話題、そしてITや開発AIに関する最新情報が流れてきます。一見すると理想的な情報環境に思えますが、これはアルゴリズムによって最適化された"わたしだけの世界"であり、同じ意見や情報が反響し合う空間 と、自分同様の価値観の人とで情報が循環する状態 の中で、わたしたちは知らず知らずのうちに偏った情報摂取を続けています。
コレクション癖もあってか、以下の様な問題を抱えているように思います。
- すべての情報を追いかけようとする強迫観念
- 空き時間があるとつい開いてしまう習慣化
- 「見逃している情報があるかもしれない」という不安
- 実際の業務や生活に必要な情報とそうでないものの境界があいまい
これはSNS断ちですねということで試みてみたものの、どうもわたしにとってはそれはよい解決策ではなさそうに感じています。必要な情報源であり、コミュニティとのつながりでもあるためです。大切な「意識的な関係」を構築することが得意ではないわたしにとって、とても得難いものです。
対策
一般的には、「朝の通勤中は見ない」「昼休みの15分だけ」など、意識的にSNSと向き合う時間帯を決める、ホーム画面からSNSアプリを削除してアクセスしにくくする、漫然と眺めないなどが有名ですが、いずれも敗退続きです。
ちょっとできてきてるのは、ブログ記事を書く、趣味コードを書くなどの、熟考と能動的なまとまったアクションをとることです。これはもっと習慣づけて、「何か見なきゃ」という気持ちを減らせるといいなと思っていますが、まだまだというところです。
おわりに
情報との健全な距離感は、一朝一夕に確立できるものではありません。日々の小さな意識と習慣の積み重ねが大切だと実感しています。そして「すべてを知っていなければならない」という強迫観念から解放されることで、逆に自分の専門性や創造性を高める余地が生まれるといいなと思っています。
完全な答えはまだ見つかっていませんが、この模索自体がなんらか意味のあるプロセスと思って、試行錯誤です。