このブログを立てた通り、自分のふりかえりを言語化することを最近の日課にしています。そこでの自分自身との対話のなかで、わたしはソフトウェアエンジニア*1として一流ではないし、一流になれないなということが浮かんできたのです。

そんな思いと向き合っていた時、野村克也氏の『超二流』という本を読み返す機会がありました。この本との再会は、まさにタイミング良く──野球で言えば甘く浮いた球をバッターが完璧に捉えたかのように──私に新たな気づきを与えてくれました。
野村氏は「超二流」について、自らの強み・長所と弱点を理解して、強みを活かせるように頭を使う選手のことだと述べています。これは私の今の立ち位置を考える上で、とても重要な視点となりました。
こと2013年秋に今の会社に入って直接的なテクノロジー仕事に専念するつもりが、エンジニア組織ごとを手がけ、さらにその職を超えた全社的な仕組みや制度の設計・整備開発などで会社全体の成長や価値創出に関わる仕事を多く手がけてきました。とはいえ、いずれもわたしは「石のスープの石」の役であり、みなが変化を作っていったという思いと、そういう貢献のかたちでもあるとしてきました。
しかし今の自分をふりかえると、自分に対して一流ではない、一流になれないという印象を強く感じています。自分自身の「過度な規律」と「過度な真面目さ」との向き合い - 自戒、点検、内省に述べたような"規律" "真面目さ"というのは、届かないが一流になりたい。でもなれない。でも足掻きたいという現れだったのかもしれません。
この本の中で野村氏は、「他人が評価してくれるからこそ、自らの位置を再認識することができて謙虚さを忘れずにいることができる」と説いています。また、「もしも自分が自分で思っているだけの評価が受けられないと感じているならば、それは甘えが生まれている自分に対する警鐘だと思うべきだ」とも。
これらの言葉は、自分の中の消極的な認識を見直すきっかけを与えてくれました。周りからわたしがどう見られているのだろうかというのは、実はわたしとっては"評価"そのものであり常に深刻なプレッシャーとしてひたすら耐えてきました。しかし、それを客観的に分析し、改善ポイントを特定し、具体的な行動計画に落とし込んでいく。そういった冷静な対応ができれば、評価は恐れるものではなく、むしろ成長の機会として捉えることができるはずです。
また、野村氏が説くように、自分の役割を理解し、それを全うするために必要な努力を重ねていく。そして、その過程で得られる評価を、さらなる成長の糧としていく。このような前向きな姿勢で自分と向き合うことの大切さに、改めて気づかされました。
そして、本を読み返して最も心に響いたのは、一流になることだけが目指すべき道ではないということです。むしろ、自分の立ち位置を理解し、強みを活かして貢献できる「超二流」という生き方こそ、私が誇りを持って進むべき道なのかもしれません。
一流ではないことを卑下する必要はない。大切なのは、自分にできることを見極め、それを最大限に活かすことなのだと、この本は教えてくれました。この気づきを大切に、これからも日々の仕事に向き合っていきたいと思います。
*1:一般論はさておき、わたしの職業認識としての名乗りで、ICかmgrかというのを問わず