以下の内容はhttps://retroaudio.blog.jp/archives/cat_174245.htmlより取得しました。


1980年デビューの松田聖子は、2025年で45周年である。それ故かNHKのSONGSという番組で特集が組まれていた。
人気の高い曲を中心にNHKの音楽番組「レッツゴーヤング」(または紅白歌合戦)の映像で振り返るという番組だった。

つらつら見ていたが驚いたことにブレーク曲として紹介された「青い珊瑚礁」の後、続けて紹介された4曲がすべて1981年リリースのシングル曲だった。ただ順番というだけではなくこの4曲を続けて出せるのがすごいと思った。名曲ぞろいである。

その曲は…
(SONGSでの登場順)
⑤夏の扉 三浦 徳子作詞 財津和夫作曲
④チェリーブラッサム 三浦 徳子作詞 財津和夫作曲
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④⑤収録のサードアルバム
⑥白いパラソル 松本隆作詞(シングル初)財津和夫作曲
⑦風立ちぬ 松本隆作詞 大瀧詠一作曲(はっぴいえんど人脈)

この4曲である。(横の数字はリリース順)
財津和夫の曲作りの才能と大村雅朗のアレンジ力に驚くばかりだが、松田聖子のアイドルとしての地位を確固たるものにした曲たちである。
そして、シングル「風立ちぬ」が入っていることから、2年目にアルバム『風立ちぬ』までリリースしていたこともわかる。このアルバムはA面の楽曲のすべてを大瀧詠一が作曲、楽曲プロデュースを行ったことでも有名だが、松田聖子がある種の作家性を獲得したアルバムでもあった。
SONGSのインタビューでも大瀧詠一のピアノの横で歌わされたエピソードを語っていたが、レコーディングは大変だったようだ。
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⑦はB面に収録されている

前年の80年は4月のデビューから年末までに
①裸足の季節 CMタイアップ(資生堂「エクボ」)三浦 徳子作詞 小田裕一郎作曲
②青い珊瑚礁 ブレーク曲 三浦 徳子作詞 小田裕一郎作曲P1060571

③風は秋色/Eighteen(両A面シングル)
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③収録のセカンドアルバム シングル2曲がフォーマットのようで両A面シングルが収録されている


怒涛の1981年の翌年1982年は、さらなるジャンプアップの年になった。
シングル曲は
⑧赤いスイートピー 呉田軽穂作曲
⑨渚のバルコニー 呉田軽穂作曲
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⑩小麦色のマーメイド 呉田軽穂作曲(アルバム未収録)

⑪野ばらのエチュード 財津和夫作曲
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⑧は松田聖子を代表する楽曲で呉田軽穂は言うまでもなく松任谷由実である。
SONGSのインタビューでも「この曲から女性ファンが増えた」と言っていた
⑧のB面は呉田軽穂作曲の「制服」である。松田聖子史上最強のシングルであろう。

松田聖子は”聖子ちゃんカット”のイメージが強いが、ジャケ写を見る限り1982年頃には普通のショートカットになっている。それだけ80年後半から81年の印象が強いということだろう。

松田聖子の全盛期といえばこのあたりまでと考えてもよさそうだが、SONGSで紹介されていた曲で印象的な曲をあと2曲紹介しよう。

⑭SWEET MEMORIES(1983・アルバム未収録) 正確には「ガラスの林檎」B面だったが後に両A面になった曲。サントリービールのCMにペンギンのアニメーションとともに使用され、ブレーク。名曲度で言えばトップクラスである。その証拠にこの曲は40組以上のアーティストにカバーされている。

瑠璃色の地球(アルバム収録曲)シングルカットされなかった曲の中ではダントツの知名度を持つ曲。
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1986年6月発売のアルバム『SUPREME』妊娠出産のための活動休止中にリリースされシングル曲は無かった
SONGSでは紅白歌合戦で昭和(1986)、平成(2001)、令和(2020)に歌われた楽曲と紹介されていた。
「夜明けが来ない朝はないさ…」という歌いだしがいろいろな人に勇気を与えたと言われている。
松本隆がプロデュースに名を連ねるこのアルバムは名盤である。

今回はnot audioです。

江口寿史といえば、生き馬の目を抜く絶頂期直前の週刊少年ジャンプで『すすめパイレーツ』『ストップ!ひばりくん』を連載していたことを覚えている人も多いだろう。
特に『ひばりくん』はアニメ化もされた。見た目はどう見ても美少女のひばりくんは実は男、ということから引き起こされるさまざまな事象を描いたギャグマンガだが、ジェンダーの問題を先取りしていたと言えなくもない。(ひばりくんはジェンダーを超越した存在である)
男同士とはいえ見た目が完全に女子なので、腐女子の皆様には刺さらないだろう。というか、そもそもひばりくんにその気は無く(多分)、主人公側が勝手にドギマギするだけの話である。休載を何度か繰り返した挙句、締め切り前に逃亡しジャンプサイドから打ち切りを告げられた。

集英社との専属契約が終わった後、小学館のビックコミックスピリッツ誌に連載開始されたのが『パパリンコ物語』だった。1985年(昭和60年 昭和!)のことだった。
ビックコミックシリーズの中でも若者向け(当時のメイン作品は高橋留美子の『めぞん一刻』)であったスピリッツはこの辺りで隔週刊から週刊に変わるのだが、その前夜のことである。
週刊化を見据えての大型連載だったはずだが、休載が続き週刊化前にたった10回で終わっている。
無茶苦茶面白かったのに、終わってしまったのだ。

小学館としては相当力をいれていたはずである。
その傍証となるのがミスタードーナツとのタイアップである。当時ミスドで『パパリンコ物語』のキャラクターグッズを配るキャンペーンをやっていたのである。(そのキャンペーンが実施された時には既に連載休止中だった)テレビCMもバンバン流れていた。
ビッグマネーが動いていたのである。途轍もないやらかしである。大人の世界では許されないことだったであろう。(誰かのクビが飛んだかもしれない)

それ以降、江口寿史はイラストの仕事が目立って増えていく。このことと関係があるのかどうかは不明だが…

かれこれ40年前のできごとである。ぜひ全体を読めるようにしてほしいと願う今日この頃である。(1話から3話まではとんぼの本『This is 江口寿史!!』(新潮社)というMOOKで読めるらしい。小学館は意地でも出さないだろうなあ)

ブルース・スプリングスティーン(1949-)はご存じであろう。The BOSSの異名をもち、70年代の「Born to run」でブレークし、80年代の「Born in the U.S.A」でアメリカの国民的シンガーとなった大御所である。日本のアーティストにも多大な影響を与えている。
一方のリック・スプリングフィールド(1949-)はオーストラリア出身のロック歌手でアイドル的なルックスで人気があった。ただ、今となっては憶えている人も少ないのではないだろうか。80年代に確かにブレークしていたのだが…
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リック・スプリングフィールドに、「ブルース・スプリングスティーンに間違えられた」という内容の曲があったと思う。欧米人でも間違えるような名前なのだ。日本人が勘違いしても仕方が無いかも知れない。よく見れば全然違うのだが、紛らわしいのは間違いない。

スプリングスティーンの方は大物過ぎて何も言うことはない。(“ハングリーハート”が好き)
スプリングフィールドでは“Love Somebody”という曲が好きだ。(YouTubeで聴けます)が、今、検索すると織田裕二ばかりヒットする。(←この曲とて過去の曲)スプリングスティーンの方は、調べると1984年5月の曲だった。(1980年~85年あたりが、自分が洋楽をよく聞いていた時期)
この曲、キャッチーなロックンロールなのだが全米ビルボードチャートで最高位5位だそうだ。(大ヒットですな)
ただこの人、これが最高位というわけではなく全米No.1ヒットも持っている。“Jessie's Girl”(1981)という曲。この曲を含むアルバムが“Working Class Dog”
これである。
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このアルバム脂が乗り切った感があり、勢いがすごい。
Working Class Dog / Rick Springfield (1981 RCA)

01. Love Is Alright Tonite
02. Jessie's Girl
03. Hole In My Heart 
04. Carry Me Away
05. I've Done Everything For You
06. The Light Of Love 
07. Everybody's Girl
08. Daddy's Pearl
09. Red Hot & Blue Love
10. Inside Silvia

80年代前半は、産業ロックと揶揄されたバンド群と彼のようなシンガーがわっと出た時代。勢いだけとみなされがちだが今聞いても十分に聴ける。(エバーグリーンとまではいかないが…)
徐々に何度目かのブリティッシュ・インヴェイジョン(=ユーロビートブーム)が席巻し百花繚乱の様相を呈するのが80年代の音楽シーンである。
その頂点は1984年の英「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」(バンドエイド)と1985年の米「ウィ・アー・ザ・ワールド」(USA for Africa) という二つのチャリティだった。
ブルース・スプリングスティーンはUSA for Africaに参加していた。(あ、戻ってきた)

この本を読んで腑に落ちたことがある。(「腑に落ちない」の方が慣用的に使われるが、「腑に落ちる」も誤用ではないらしい)
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FM誌は勃興から終息まで、わずかな時間しかなかったのがはっきりしている。一番長くて35年間(FMfan誌)である。そしてこの期間はカセットテープ(コンパクトカセット)の隆盛と丸かぶりしていたのだ。別表参照

NHK-FMが正式に開局したのは1969年のことだが、試験放送はそれ以前から行われていて、ステレオの実験放送が始まったのが1966年のことである。そのタイミングでFM番組表を掲載したFM誌が登場した。FMfan(1966)
70年代に入り民放FM局が開局したが、大阪と東京だけと言いう状態が長く続いた。
80年代に入り地方に民放FM局が続々開局し、FM東京を中心としたFM局の系列化(JFN)が進んだ。
80年代後半から90年代の初頭にかけてJ-WAVEを嚆矢とする新たなスタイルのFM局が勃興した。ほとんどトークを入れず1日中音楽だけをかけているような形態の局が出現した。その結果番組表は意味をなさなくなった。90年代に相次いで廃刊の憂き目にあうのはそういう事情である。

最後発のFMステーション誌が発行部数トップに立ったのは大判の雑誌サイズを利用したカセットインデックスが人気だったためだが。エアチェックをしなくなるとカセットインデックスづくりも廃れていった。

以前本稿でも扱ったことがあるが、1986年から1990年までの間がカセットテープの黄金期(TDKの場合ノーマルグレードだけで5品目存在した。AE>AD.>AD-X>AR>AR-X)だったが、エアチェックしなくなる時期と被っている。90年代前半から95年まではそれでもCDダビングで持ちこたえている感じだったが、それ以降は急速に終売に向かっていった。「FMエアチェック」から「CDダビング」へカセットの用途は変わっていくのだが、それも長い期間ではなかった。90年代後半からのMDの普及、CD-Rへのコピー環境の普及、00年代のiPodの出現がカセットテープの息の根を止めた。

週刊(とあっても隔週刊)単位で音楽またはオーディオ関連の記事が載る雑誌が4誌も出版されていたというのはなんと豊潤な時代だろう。(その中心コンテンツが共通の番組表だったとしても)インターネットなど無く、貴重な情報源が雑誌だった。という時代であった。

本書によれば最後発のFMステーションは若年層に食い込み小中学生といった若い読者が多かったようだ。自分はFMレコパル派でFMステーションを買ったことはなかったが、鈴木英人の表紙絵や大判サイズの誌面など店頭で異彩を放つ雑誌という認識だった。
基本FMステーション誌は「使う」雑誌で、切り取られる前提の造りであった。中古市場に完全な状態で見つかることは少ないと書かれているが、確かにそうかもしれない。そういった意味ではきちんと消費された幸せな雑誌だったと言える。

この項でLP「FOR YOU」と「RIDE ON TIME」についてはとりあげた。それ以降、月2点のリリースとなり、普通に買えたり買えなかったりで、自分もよくわからなくなっている。
整理してみよう

リリースが始まった5月頭の時点で、「FOR YOU」以外のアルバムの予約は可能だった。(後に2次プレスの「FOR YOU」も買えるようになった。以前の記事で、1次プレスで売り切りということを書いたが、相当売れたらしく2次プレスもしくは3次プレスを行っているようだ。そのため、リリース日から大幅に遅れた発送日になるが購入可能になった)
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通販サイトでは6月の時点で8月発売の「SPACY」が予約不可になっていた。当初タワーレコード渋谷店での取り置きのみの予約しかできず、渋谷まで取りに行くことを覚悟した。(←ちょっとしたパニック状態)

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その後、Amazonで2次プレス分の予約が開始され予約ができた。(実際には3次プレスだった。9月上旬の到着予定。タワレコ分はキャンセルした)その後さらに状況が変わり、実店舗で購入した。(Amazon分はキャンセルした)
これで8月までのリリース分はすべて手許にあることになる。6点のうち3点は実店舗、2点はAmazon。1点はタワーレコードオンラインで購入した。9月分の内1点はタワレコで予約、1点は実店舗で買おうと思っている。

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実店舗で聞いたところによると「達郎のLPは、発売日とズレることはあっても、安定的に入荷する」と言っていた。「潤沢に?」と聞いたがそれについては「うーん」という感じだった。ただ、複数枚入荷するのは確実のようだった。色々すったもんだがあったが、実店舗で買うのが一番確実だったというお話でした。。
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山下達郎「老害」問題についてひとこと
ジャニーズの性加害問題についてラジオで発言したことが一部で炎上している。
ジャニーズ事務所に忖度しているのではないかということと、嫌な人は自分の音楽を聴かなくてよい的な発言が物議をかもしている。
そもそも、山下達郎がこの世に数多(あまた)ある性加害問題について発言したことはほとんど、いや全くないと思う、そんな中でジャニーズの性加害問題で多くを語らないとしても、ジャニーズ事務所に忖度したことになるのだろうか?普段からそれについて語っていたのにジャニーズの問題だけ消極的ということなら忖度と言えるかも知れないが、そんな事実は、多分ない。
ジャニーズを叩きたいだけの人々がそれに消極的(本来積極的にかかわるべきは直接の被害者だけだと思う)な人間を敵とみなして攻撃しているだけだろう。自分と違う考えの人間を叩きまくるのはファシズムである。
「聞くな」問題についてもそんなに強い口調で言ったわけでもないし、切り取りや二次使用の記事で反感が増幅されたものであろう。ネット社会の弊害である。
山下達郎本人は自分が「売れた」アーティストだと思っておらず、お金を払って聞いてくれる人(つまりお客様)はそれほど多くないと思っているのではないか?文句を言っている人間の大多数は客でもない、なんなら聞いたこともない人間が含まれるであろう。そもそも関係ないのである。「聞くな」と言われて反発するほど聞いていないのである。
「聞くな」といわれても聞く人は聞き、言われてなくても聞かない人は聞かないのである。(当たり前だが…)
ジャニーズ事務所の在りように関しては言いたいこともあり、潰れるなら潰れればいいと個人的には思っているが、ここでは書かない。芸能界はきっと社会の非常識がまかり通る世界なのだろうから。知らんけど。



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