以下の内容はhttps://retroaudio.blog.jp/archives/2025-09.htmlより取得しました。


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小型のCD再生機を探していて手頃だと思ったので買ってみた。
ジャンク品、ハードオフで4,400円。動作しないとイタい価格だが動作はするらしい。
タグの記載通りスピーカーは未使用(未開封)の状態で多分箱に入っていたままの状態だったのだろう。本体に保護シート、輸送用発泡スチロールにバンドが掛かったままだった。
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K-521とはKENWOODのミニコンポでK‘やKseriesと同じ「K」を冠しているのでハイコンポだという記事が一部にあったが、普通のミニコンポである。発売当初の価格は45,000円(この価格をみればハイコンポでないことは明らか)末期は20,000円を切る価格で販売されていた。
2009年発売ということで天板にiPod(30PIN)のドックを有している。時代を感じるが、未だにiPodユーザーの自分には好都合である。(ちょっとした落とし穴があったのだがそれは後述する)
フルデジタルアンプとの触れ込みで、増幅やイコライジングをデジタルで行う仕組みのようだ。本体はとても軽い。CDドライブや電源を内蔵しているのに2.3㎏である。一方、スピーカーは1本あたり3.4㎏と小型にしてはずっしり重い。しっかり作ってある感じがする。ケーブルのターミナルは残念ながらバネ式である。(太めのスピーカーケーブルは使えない)
ジャンク品の場合、付属品が揃っていないことが多いが、この商品もそうで、本体以外はスピーカー2本とAM用のループアンテナのみが付属していた。スピーカーケーブル×2とFMアンテナ、それと肝心のリモコンは付属していなかった。(予想通りこれが波紋を呼び起こす)
本体にソースセレクトボタンとCDイジェクトボタン、CD再生ボタンがあること(本体だけでCDが聞けること)を確認した上で購入した。
このボタンはタッチ式で物理的なスイッチが無いタイプであった。スッキリおしゃれであるが、壊れると全く使えなくなるリスクがある。事実、この機種の後継モデルK-531では押し込むスイッチ式のボタンに変更されていた。(まあ、リモコンがあれば関係ない)
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寝室の低い位置にセッティングして音出し
110㎜ウーファー(バフレフ)だが、低音が歪みそうなくらい出ている。小型システムのイメージとかけ離れている。いや、やっぱり出すぎだろう。
ディスプレイを見るとD.BASSの文字が表示されている。BASSブーストがかかっているようだ。KENWOODのサイトにある説明書によるとアンプで10段階のバスブーストがかけられるようだ。ただ、現状でどの段階のブーストが掛かっているのかは確認できない。(変更もできない)
また、音場補正システムの「CONEQ」を搭載している。これも部屋の状況にあわせて三種類から選ぶ方式だが、どの音場に設定されているかわからない。(変更もできない)

結局、リモコンが無いと…
殆どの設定ができないことがわかった。(想像はついていたが…)
ということで、追加出費。リモコンを買うことにした。
この手の商品はフリマアプリよりヤフオクの方が出品が多いので、ヤフオクで良さげな商品を落札した。
落札価格1,600円(10%オフクーポン使用+送料185円)で支払い1,625円だった。
結局、4,400円では済まず、6,025円の出費となった。

で、現在リモコンの到着待ちである。続報を待て!

つづく

2025年7月20日、大阪・難波のスカイオで開催されていた「宇宙戦艦ヤマト全記録展」へ行ってきた。と言っても、それを目的に行ったわけではなく、通りすがりなのであるが…
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たまたま、なんばCITY地下の旭屋書店の前を通りかかったら、庵野秀明フェア的なものをやっており、それが「全記録展」との連動企画だった。
そのポスターによると、この企画展は7/19から始まったばかりと書いてある。場所は「なんばスカイオ」。
これは何かの「めぐりあわせ」と行くことにした。スカイオの場所がわからずにやや苦労したが、(南海なんば駅の直上だった)無事たどり着いた。
全く何の予備情報も持たずに当日券の列に並んでいたが、チケットが2種類ありプレミアムが4,500円!通常が2,000円だった。(プレミアムは庵野秀明デザインの限定アクスタが付くらしい)列の少し前の紳士がプレミアムを買っていたがどんなものかは確認できなかった。

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また、チケットといっても企画展名が印刷されたものではなく、係の人が時間を手書きした(基本、時間で予約して入場するシステムだったようだ)カード様のものだった。代わりといってはなんだが小さい栞をくれた。チケットくらい印刷して欲しいものである。記念に残るものが何もないではないか。まあ、物販で買わせる作戦なのかもしれないが…

自分が行った時間は12時半頃で入口付近はさほど混んでない印象だったが、中に入るとオジたち(自分もだが…)がたくさんいて、展示の前で動かない状況であった。仕方なく、飛ばし、飛ばし見た。(14時の電車で帰らなければならない。お土産も買わなければ…)

「庵野秀明企画・プロデュース」とあったが、実際、どの程度関与しているのか疑問(名義貸し疑惑)と感じた。(3月の東京開催の際はメディアに登場していたみたいだが…)
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貴重な資料はあった。ヤマトの本体デザインは松本零士のラフを「スタジオぬえ」の宮武一貴がフィニッシュしたのは有名な話だが、その原画が展示されていた。これが最初の展示で「おおっ」と思った。展示自体は原画と複製が入り混じった感じで全てが原画というわけではなかった。

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企画段階のラフやイメージ画は貴重なものだろう。表に出ることはめったにない大変興味深いものだった。当初は全く違うものが構想されていたのだ。
ビジュアルのラフスケッチが相当数展示されていたが、当時「総設定」という肩書が付いていた松本零士が相当量の設定を行っていたことが見て取れた…

宇宙戦艦ヤマトは1974年秋から翌年春に向けて放送されたテレビアニメで、この展示会自体が「50周年記念」というものだった。

実際は本放送時よりも、編集され劇場公開された映画版(1977)の方が盛り上がり、アニメ専門の月刊誌(アニメージュ)が創刊(1978)されるなど、一大ムーブメントとなった。
大人たちが「アニメは商売になる」と気づいた最初の瞬間である。


これまでも、アニメーション映画は存在したが東映動画の初期の大作時代(50年代の「白蛇伝」や60年代の「太陽の王子 ホルスの大冒険」等)を除けば「東映まんがまつり」などで複数上映される60分程度の子供向け作品がほとんどだった。2時間程度のオリジナル作品が出始めるのがこの頃(ヤマト以降)

この頃の劇場公開(オリジナル)作品を見てみると…
『ルパン三世 ルパンVS複製人間』1978(公開当時、副題は無かったような…)
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』1978(完全新作の続編・ジュノサイド映画 お話としては完全に終わっているが、これを無かったことにして続編が作られる)

『銀河鉄道999』1979(りんたろう監督の劇場版、主題歌ゴダイゴ)
『がんばれ!タブチくん‼』1979(いしいひさいち原作マンガを映画化。芝山努監督)
『ルパン三世 カリオストロの城』1979(宮崎駿作品だが興行的には失敗して干された)


80年代に入ると目に見えて多くなる
『ドラえもん のび太の恐竜』1980(記念すべき劇場版第一作)
『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』1980(手塚治虫もの)
『地球へ(テラへ)』1980(竹宮恵子もの)
『ヤマトよ永遠に』1980(松本零士はこれが最後と考えていた←そうはならなかった)
『サイボーグ009 超銀河伝説』1980(東映初のお正月アニメ大作)

盛り上がりを見せる富野由悠季(当時、喜幸)作品群 
いずれもTVシリーズが打ち切りになったため劇場版で完結させるという形であった。特にイデオンはこれから全面戦争だ、というところで終わっていて、全く完結していなかった。(この形は後にエヴァンゲリオン(平成の劇場版)に踏襲される)
『機動戦士ガンダム』1981(TVの編集版でオリジナル作品ではないが重要なので…)
『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』1981
『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』1982
『伝説巨神イデオン接触編』1982
『伝説巨神イデオン発動編』1982

『1000年女王』1982
『わが青春のアルカディア』1982

『幻魔大戦』1983(角川アニメ第一作。大友克洋がキャラクターデザインをした←原作者平井和正から不評だった 「ハルマゲドン」(英語読みだとアルマゲドンもしくはアーマゲドン)という言葉が一般化したのはこの映画から
『クラッシャージョウ』1983(安彦良和監督第一作。残念ながら冗長)

そして1984年。
後にスタジオジブリへと発展解消するトップクラフト※が制作した『風の谷のナウシカ』が公開され、日本アニメの転換点となった年である。
この年、河森正治の『超時空要塞マクロス 愛 おぼえていますか』も公開され、TV版の不満を一掃する作画クオリティで、絵のクオリティを語れる時代がやってきた。

※発展解消と書いているが正確には『ナウシカ』の現場が過酷すぎてほとんどのアニメーターが辞めてしまい維持できなくなった。「ラピュタ」制作のために新たに作られたのがスタジオジブリである


大分話がずれているが、ヤマトにもどそう。
 
実は松本零士がこのプロジェクトに参加したのは放映まで1年を切った時期だった。
そこからかなりの設定をやり直し、松本零士色の強い作品になった。(女性のキャラとメカニックが特にそう)
また、放送と同時期に少年チャンピオン誌上で松本零士による漫画連載も行われており、ヤマト=松本零士の印象が強かった。
ただ、やはり松本零士は「雇われた人」で、ヤマトは西崎義展のオフィスアカデミーが制作の中心であり、西崎義展の意向で作品が作られていくことになる。
ビジュアル面の松本零士色はともかく、ヤマトは西崎義展のものだったのである。




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