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まずは次の表を見ていただきたい。
左側に10年刻みの年代、①~⑥はクラシック音楽関係の「人物」を表すが数字は上が生まれ年、下が没年を表している。
黄色い帯は技術的なブレイクスルーが起こった年代を指している。
①~⑥はそれぞれ誰でしょう?





答えは
①ベートーベン(作曲家)
②ベルリオーズ(作曲家)
③ブラームス(作曲家)
④マーラー(作曲家・指揮者)
⑤ワルター(指揮者)
⑥カラヤン(指揮者)
である。


なぜこんなことをやっているかというと、発端はベルリオーズの写真にあった…
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講談社現代新書 『ロマン派の交響曲』第二章扉

ベルリオーズの代表曲『幻想交響曲』は1830年、ベートーベンの死後わずか3年後に初演された「交響曲」である。ベートーベンの第九交響曲の初演から数えてもわずか6年後である。つまり、ベルリオーズはベートーベンとほぼ同時代に生きていたのである。しかし、ベルリオーズの写真は複数残っているのに、ベートーベンには肖像写真は無い。「間に合わなかった」のである。
写真の発明は1830年代でベートーベンはわずかに間に合っていない。それより後の作曲家すなわちロマン派の作曲家たちは写真が残っている。それゆえ、肖像画しか残っていないベートーベンは古い感じがしてしまうのは仕方がない。

録音技術が開発されたのは1850年代、フランスでのことだった。ここで「エジソン(アメリカ)じゃないの」という人は鋭い。ここで言う録音は再生できないが記録はできるという技術であった。(実に150年後に再生に成功している)
再生できる録音機械を実際に作った(1877)のはエジソンで間違いない。(こんな書き方になるのは、技術理論は既にあり実現したのがエジソンだったからである←発明したと言えるかどうかは微妙)蝋管に「メリーさんの羊」の歌を記録したというあれである。(実際は歌ではなく歌詞の朗読だった)
それはともかくブラームスは自らのピアノの演奏を録音した(1898)と言われている。「間に合った」人である。もちろん電気式録音ではなくアコースティック録音で、大規模なオーケストラ音楽を録音することはできなかった。
1911年に亡くなったマーラーは電気式録音に「間に合わず」、彼が指揮したウィーンフィルの演奏を聴くことはできない。直接マーラーの薫陶を受けたワルターの演奏は マーラー式なのかもしれないが…
ワルターは19世紀生まれの指揮者であるが長生きしたおかげでステレオ録音に「間に合って」いる。演奏会を引退した後、レコード会社が作った彼専用のオーケストラ(コロンビア交響楽団)で膨大な録音を残した。
CDの開発・発売(1982)は80年代のことだが、PCMによるデジタル録音は70年代から行われていた。
70年代はカラヤンとベルリンフィルの蜜月時代で売れる曲はほとんど録音していたが、デジタルレコーディングが本格化した80年代以降、再度録音するようになった。
より良い状態で残したいという芸術家としての欲望と売って儲けたいという商売人としての欲望を両立させていたと思う。
80年代ベルリンフィルとの間で確執があり、疎遠になったがウィーンフィルがその替わりを務め、晩年まで録音活動を続けた。
カラヤンは89年に亡くなったが、デジタルの新しい器、SACDがリリースされたのはその10年後1999年である。録音技術のほとんどの局面を経験し享受したカラヤンも間に合っていなかったのである。生きていたらハイレゾレコーディングで再録音したに違いない。
現在はさらに進み「器」は無くなった。こんな時代をカラヤンはどう思うだろうか?

新春恒例のレコード・オブ・ジ・イヤー2024をお送りする。

自分が2024年に購入したレコードの中で良かったと思うものを勝手に選出している。あくまで自分が2024年に買ったということでレコードのリリース年とは全く関係がないのも例年通り…

「2023年はいよいよCDを買わなくなった年だった」と書いたのは2024年1月10日の「レコード・オブ・ジ・イヤー2023」の記事だったが、事情が変わりクラシック分野を中心にCDを割と買った。(娘からは「CDの最終集積地=墓場」と揶揄されている)
反面、保管スペースの関係でレコードの購入が怪しくなってきている。(意外と場所を食う)
 


洋楽部門

エイジア 『アストラ』(1985)

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スーパーグループ※エイジア3枚目のオリジナルアルバム。

※メンバー全員がEL&P、キング・クリムゾン、イエスなどの著名グループ出身。結成当時スーパーグループと呼ばれていた。

エイジアの最初のアルバム『詠時感~時へのロマン』(1982)はまだLP時代のリリース。GEFFEN最初期のヒット作である。相当売れたので中古市場でも割と見つかる。
セカンドアルバム『アルファ』(1983)も前作の勢いもあって、そこそこ売れたが、中古市場ではLPはあまり見かけない。ただ、ないことはない。LPを売っていた期間は短く、その後CDに切り替わったからだろう。
『アストラ』のリリースは1985年。CDの時代になりつつあり、LPを見つけることは難しくなっている。(自分は初めて見つけた)セールス的にも前二作には遠く及ばず、ジョン・ウェットンは「なぜ売れなかったのかわからない」と嘆いたそうである。←もちろん理由はある。
このアルバム内容的にはもう一つの感もあるが、アートワークは最高である。そのために買ったと言っても過言ではない。


邦楽部門

大瀧詠一 『Niagara Moon』(1976)

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大瀧詠一のナイアガラレーベルは当初エラックレコードから発売されていた(1975)
再発の際にコロムビアレコードに移った(1976)購入したのはこの盤。
LPはその後CBSソニー(1981)/ソニー 40周年記念盤(1995)からの発売になる。裏面のジャケット写真がそのたびに更新されたのは有名な話。(同じ場所同じ服装で大瀧本人だけが変化している)
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クラシック部門

・ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 マーラー『交響曲第九番』

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Oddesayというのは米コロンビアの廉価盤のレーベルだそうだ。輸入盤である。
米国産の輸入盤というのは70年代や80年代にも存在していて国内盤より安いが(国内盤は書籍と同じ扱いで再販制度に守られており、価格は一定だった)質が悪いというのが定説だった。新品で買ってもキズがあり、ノイズが多いと言われていた。当たり外れがある博打みたいなものだった。ジャケットがペラペラだったり、内袋が無かったり(紙スリーブしかない←この方が良いという説もある)とにかく、あまり質が高いとは言えなかった。が、今となってはそれも味である。

ワルターは指揮者マーラーの直弟子で直接薫陶を受けている。9番目の交響曲※『大地の歌』の世界初演はワルターの指揮だった。

※この頃死に対して異様に敏感だったマーラーは第9番を作ると(ベートーベンのように)死んでしまうのではないかという恐怖にとらわれていた。(第九の呪い)そのため第九番という名前を回避して『大地の歌』というタイトルにした。しかし、その後、10番目の交響曲に第九番とつけ、それが最後の完成した交響曲(10番があるが未完)となってしまった。結局、第九の呪いから逃れられなかったのだ。第九の呪いはマーラーのみならず様々な作曲家に影響を与えたが、それを軽々と超えていった作曲家がショスタコーヴィッチである。

ワルターはマーラーの音楽の普及に努めたが、あまりに長大な交響曲は時流に合わなかった。(LP1枚には収まらない)ワルターが録音できたマーラーの交響曲は1番、2番、4番、5番、9番『大地の歌」の6曲だけだった。ワルターの弟子筋にあたるバーンスタインもマーラーをいち早く取り上げた指揮者だったが、晩年のマーラーゆかりのオーケストラを使った2度目のチクルスは8番を欠いている。
ちなみにカラヤンはユダヤ人のマーラーを忌避するところがあり積極的に録音しておらず、録音が残っているのは4番、5番、6番、9番、『大地の歌』の5曲のみである。

アイドル部門
・太田裕美『こけてぃっしゅ』

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太田裕美をアイドルと言っていいかは微妙だが、(肩書はシンガーソングライター)70年代、ブレークを果たした頃は確かにアイドルだった。テレビでは歌番組で歌唱するのみならず、いわゆるバラエティ番組にも登場していた。ルックスと舌っ足らずな喋り方が可愛いかった。
松本隆+筒美京平コンビでヒット曲を連発するなど、80年代の松田聖子の先駆けのような存在であった。
この6枚目のアルバムには名曲「9月の雨』が収録されている。

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