以下の内容はhttps://retroaudio.blog.jp/archives/2023-07.htmlより取得しました。


(前回のつづき)

確かに音は出る。が、相当に歪む(ビビるというべきか)
カートリッジの針がダメなのかも知れない。目視では大丈夫のように見えるが…

幸い動作確認が取れているT4Pカートリッジ(AKAI  RS-33)が手許にあったので付け替えてみることにする。

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付け替えはいたって簡単だ。ビスを1本はずして抜き差しするだけ。簡単なのだが、カートリッジは確実に下まで押し込まないとビスがつけられない。少しでも浮いていると装着できないのだ。(針の位置は正確にミリ単位で決まっているので当然と言えば当然だ)

カートリッジを入れ替えても症状は改善しなかった。ORZ

ここでネットの情報を確認する。(遅い!)
この機種は古いこともあるが、固有の問題があるようだ。多く報告されている不具合として「音が出ない」というものがあった。
前回の記事で書いたが針が乗る瞬間の「プチ音」を回避するためにミューティングになるのだが、針が載った後もミュートが解除されずに音が出ない、という症状である。これは回路上の電解コンデンサーの不具合で起こることのようだ。(コンデンサー交換で治る。この個体は正常)
また、トーアームがレコードの最後までいかない、または、最後まで行っても上がらないという症状も上がっていた。この個体に関しては最後まで再生しトーンアームは上がり、自動で元の一に戻る挙動が確認できた。(ここは正常)
もう一点、ドライブ方式はテクニクス伝統のダイレクトドライブだが、クオーツロック式ではないので回転ピッチがズレるという問題である。これは、底面のノブで調整可能。
この個体は聴感ではズレていない感じがする。(ストロボを使って確認しないとわからない)

再生音のビビりというのは無かった。この個体特有の症状らしい。
接続ケーブルを変えて接続をやり直したり、影響が出がちなアースの接続を替えてみたり(途中で盛大なハム音が出た)いろいろやったが改善しなかった。
挙句の果てに、トーンアームの挙動がおかしくなって、正しい位置に降りなくなり、降りてもレコード上を3㎝ほど横滑りして上がる症状が出始めた。本格的に壊れたかと思い。もう一度トーンアーム部分を観察してみた。
するとどうでしょう。針先に大量のホコリが付着しているではないか(針先が見えないくらい!)最初に再生したどうなっても良い(テスト用)レコード盤がホコリまみれだったようだ。
針先の掃除をして、トーンアーム部分の動きが渋い可能性も考え、トーンアームを指先でグリグリして動かし、まともなレコード盤を載せて再生してみた。

その結果、無音部分を経てきれいな音が出た!全くビビり音が無くなった。むしろ、鈍感なAL-E11ではほとんど感じなかった、プチプチ音(ホコリノイズ)が聞こえるようになった。相当鋭敏な感じがする(多分こちらが普通。AL-E11が鈍感すぎるのだろう)
オーテク(互換)らしい元気が良く、なおかつ繊細な感じの音が出ている。よい音である。
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トーアームの挙動の問題は完全解決したわけではない(いつ再発するかわからない)ので完全勝利とはいかないが、まあ「勝ち」ってことで良いのではないかと思っている。

文系ジャンカーの自分はハードオフの価格札にこう書いてあると、まあ手は出さない。
「通電しません」

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これはすなわち「電源が入りません」という意味で電源を修理できなければ「ただの箱確定」
という意味である。不動品の中でも最も絶望的な奴である。自分には電源を直すようなスキルは無いので手を出さないということになる。
ただ、この札がいつも正しいことを書いているとは限らないのがジャンク道の面白いところ。
今回の個体も通電台で確認したところ「通電してるやん!」という個体だった。(天面部分のトーンアーム付近に赤ランプが点灯した。まあ、通電している証しはここだけ)
さらにレコードを載せてスタートボタンを押すとターンテーブルが回転し、トーンアーム部分が降りた。(レコードを載せないと作動しない”仕様“だ)

通電しているからといって正常動作するとは限らない。。
この製品自体は1981年発売のモデルで、実に40年以上経過した電気製品ということになる。一般の白物家電なら絶対に買わないであろう。
とにかく、通電し正常動作っぽい挙動をしたので確保することにした。最悪T4Pカートリッジ(EPC-P24)を1個買うつもりで…


Technics SL-5 ジャンクで2,200円
Technics SL-5は当時人気があったジャケットサイズの本体にリニアトラッキングアームを取り付けた先進のシステム。T4Pカートリッジを採用した最先端のモデルだった。
同じジャケットサイズでは少し前に発売されたSL-10が有名で標準でMC型のカートリッジを搭載し本体に専用のMCプリアンプを持ち、MM型と同じ感じで使用できた。蓋側にも軸受けがあり立てても使用可能だった。(定価100,000円)SL-5はSL-10からリッチな機能を取り去ったスタンダードモデルといった位置づけだったと思う。(定価50,000円)
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実際に使ってみる
動作する当て込みで、寝室システムのVictorのAL-E11をリプレイスした。電源ケーブルもRCAケーブルも外付タイプ(直出しではない)アースケーブルのみ直出し。

初めて見たがEPのアダプターがターンテーブルに埋め込まれるような形で乗っている。EPを使用する際は回すとバネで突出する。
AUTOというポジションがあり、自動判別するようだが、手動で30㎝に合わせる。当面LPレコードしか聞かない予定だ。

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レコードをセットしてスタートボタンを押すと、店頭での挙動と同じで、ターンテーブルがまわりトーンアームが盤面に降りる。降りた瞬間の音はしない、Lo-Dもそうだったが、降りる瞬間はミュートになっていて「プチ音」を出さない設計になっている。
音は鳴りテンポも正常のようだ、やった~これは完全勝利か…と思われたが…

次回につづく

この項で何度か書いていることだが自分は1965年生まれ(昭和40年男)である。
同い年生まれのプロ野球選手はすぐに思いつくのに(古田敦也、山本昌広、池山隆寛、吉井理人等々)アーティスト(ミュージシャン)となるとなかなかいない。不毛の年なのかもしれない。(失礼)少し下の世代なら斉藤和義(1966)、吉井和哉(1966)、トータス松本(1967)、草野マサムネ(1967)桜井和寿(1970)と思いつくのに…

1965年生まれの数少ないミュージシャンの中で、これはと思うアーティストはユニコーンの奥田民生。そして、もう一人、尾崎豊だ。

尾崎豊の登場
尾崎豊は1965年11月29日生まれ。都内の区立中学から青山学院高等部へ進学し、3年生の時にCBS-SONYのオーディションに合格してレコードデビューを果たした。1983年12月のことだった。
その後。高校を中退し高校の卒業式の日、同日にデビューライブを行った。
Wikipediaによると最初のアルバム『17歳の地図』はろくにプロモーションもしてもらえずセールス的には振るわなかった。(初回プレスは2000枚だったそうである)
2枚目のシングル「卒業」(1985)は当時、プロモーションビデオが話題になり(色のペンキを尾崎豊にぶっかけ続ける、みたいなものだったと記憶している)繰り返し再生され、認知され、曲自体の尖った内容(「…夜の校舎、窓ガラス壊してまわった…」)と相まってヒットした。そのシングルを含むセカンドアルバム『回帰線』は大ヒットして初登場1位を獲得している。
『回帰線』には「卒業」以外にも「シェリー」「スクランブリング・ロックンロール」「ダンス・ホール」など今でも聞かれる曲が収録され名盤なのかもしれないが、自分的にはファーストアルバム『17歳の地図』の方が上である。デビューアルバムが最高の一枚というアーティストは意外と存在するが尾崎豊も(残念ながら)そうなのではないだろうか?
まあ、そもそもその当時、尾崎豊のことは全く評価していなかった。後々「ティーンのカリスマ」みたいにもてはやされ、ある特定の世代には「尾崎」は特別な存在だったのだろう。自分ら世代に「YAZAWA」(=「成りあがり」)が特別な存在だったように…
自分にとっては「大人に抑圧されたティーンの代弁者」のような位置づけが、青臭く、現実離れしていて、とても聞く気にはなれなかった。(時代はローリング80sである。抑圧よりも未来への期待感の方が強かった)


尾崎豊が亡くなったのは26歳の時(1992)
当然自分も26歳である。それくらいの年齢にになって、聴く機会も増えていった、共感するところまでには至らなかったが、「アイ・ラブ・ユー」「シェリー」「ダンス・ホール」などのラブソングでは非凡な書き手だと思っていた。

今(2023)聞くとアレンジが軽い感じだが、80年代を封じ込めることには成功している。ノスタルジーと笑わば笑え、なかなかに良いと思った。(青臭いところも含めて…)
ただ聞いたのは10代のうちに録音された最初の三部作だけ。全体の評価とはいいがたい点はご容赦いただきたい。

10代最後の日に発売が決まっていた、サードアルバム「壊れた扉から」の発売1か月前に、まだ録音が終わっていなかった「Forget-me-not」をほぼ一発取りで録音したのは有名な話だ。
この曲、槇原敬之のカバーを聞いたことがあるが、とても優しい名曲である。しかし、尾崎豊のそれ(オリジナル)はまさに絶唱という趣である。音程の狂いやテンポのずれを気にせず、叩きつけるように歌う。その時の尾崎豊にしか歌えなかった、奇跡の1曲である。
本人が亡くなっているかどうかは関係ないと思うが、好きな1曲である。
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今回参考にしたPen 2019年5月号

※今回この稿を書くにあたり改めて1965年生まれのアーティストを調べたら、いました大物が…その人の名はYOSHIKIと言い…

このアルバムは1981年、1982年の初来日を前に記念盤として日本国内だけで販売された企画盤。A&Mレコードに移籍後のアルバムから採られたベスト盤である。(リスト下記)
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烈風

A&M時代のアルバムラインナップ
1975年 Equinox(分岐点)
1976年 Crystal Ball(クリスタル・ボール)*トミー・ショーンが加入
1977年 The Grand Illusion(グランド・イリュージョン~大いなる幻影)
1978年 Pieces Of Eight(ピーシズ・オブ・エイト~古代への追想)
1979年 Cornerstone(コーナーストーン) シングル「ベイブ」収録
1980年 Paradise Theater(パラダイス・シアター)
1981年 Reppoo(烈風) 来日記念盤(本作)
1983年 Kilroy Was Here(ミスター・ロボット)

この時点までの6枚のアルバムから1曲以上は取り上げている。(クリスタル・ボールはLiveだが…)最も売れた直近のアルバムParadise Theaterからは2曲(この2曲は繋がっており実質1曲である)その前のCornerstoneからは3曲選ばれている。この辺りがブレークポイントなのであろう。全体的になかなか、渋い選曲となっている。

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Styxは72年デビューのアメリカのバンド。
当初プログレ色の強い曲を作っていたが、徐々にポップなヒット曲路線になり。80年前後には「産業ロック」(後述します)とみなされるようになる。日本では1983年のアルバムKilroy Was Here(ミスター・ロボット)からシングルカットされた「ミスター・ロボット」が有名。(日本語で「ドモアリガット、ミスター・ロボット」と歌うあれである)
ブレークを果たした後、(よくあることだが)才能のあるメンバーがソロ活動を開始し、バンドとしての活動が停滞していく。このバンドの黄金期は84年までと言ってよい。
以降もバンドは存在し、現在も存続しているが、ロングライフバンドの常としてメンバーは入れ替わっており、黄金期とは別物である。主力メンバーだったデニス・デ・ヤングがいない。これまたあるあるだが、デニスとバンドの間で「もめ事」があり、訴訟沙汰に発展した。往年のファンには悲しいお話である。(以前本稿で「イエスは誰のもの?」という記事を書いたが似たような話である)
デニス・デ・ヤングといえば日本のドラマ「青い瞳の聖ライフ」(1985)の主題歌として、ソロ曲だったDesert Moonが採用されていたなあ。(実際つかわれたのは谷山浩子がカバーしたもの)
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右がデニス・デ・ヤング

産業ロックとは?
英語にもコーポレイト・ロックやアリーナ・ロック、スタジアム・ロックという言い方(見ての通り多人数の観客を動員する=売れているバンドのことである)があるのだが、日本で「産業ロック」というとあまり良い意味では使われない。「曲を売るためにロックの魂を売り渡した守銭奴」的なニュアンスが含まれる。ショービズの世界なのだから売れるのが悪とはどういう了見かと思うが、難解なものを自分だけがわかるとか、売れなくても自分だけの世界を突き進むのが尊いという偏狭な考え方なのだろうか?

代表格はジャーニーだ。特にスティーブ・ペリーが在籍していた頃。レコードを売りまくっていた。この頃の曲は今でもよく耳にするエバーグリーンな曲になっている。("Open Arms"や"Don't Stop Believin'" “Separate Ways (Worlds Apart)”=WBC、TBSのテーマ曲など)
TOTOも一時期バカ売れしていたので産業ロックと言われていたことがあった。一方でAOR系のバンドという言われ方もしていてよくわからない。(恣意的?やはり売れれば悪?)
Styxもこの時期、初期に比べれば随分わかりやすく、短い曲が多くなっているが、ハードな味わいやコーラスワークなどに大きな違いはない。むしろ、時代が追い付いたという感じなのである。産業ロックなどと揶揄される謂れはないと思うのである。
その証拠に時代と添い寝した時期はごく短くすぐに表舞台から姿を消した。
1980年代前半はある意味特殊な時代だったのかもしれない。(ローリング80sと言われる所以である)

数回前の記事(オヤイデ電気L/i15 電源コードを買った )に「(紛失した)電源に開眼したMOOK」のことを書いた。気になって調べたら書名がわかり、350円で売っていたので買ってみた。
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この本、奥付を見ると平成17年発行になっている。これは2005年のことである。(記事の記述を見ると実際の執筆は2004年のようだ)
前回の記事「メディアの寿命」は実は今回のネタの壮大なプロローグであった。
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この本が発売された2005年は前回の表での全てのメディアが存在していた2003年から2007年の間に含まれている。すべてのメディアが存在する「メディアリッチ時代」のちょうど真ん中あたりに発行された本だったのだ。
デジタルオーディオが爛熟期を迎え、次世代規格も出そろい、ヴィジュアルでもDolbyDigtalを中心にディスクリート5.1ch再生が普通になった時代。ホームシアターが現実味を帯び一般家庭でもプロジェクター+スクリーン設置ということを考えられた時代であった。(ホームシアターがその後2010年代後半に一気に終息していくのは薄型テレビの大型化が進行したことで、特別なシアタールームがなくても迫力のある映像が(リビングで)楽しめるようになったからだと思う。そのための部屋をしつらえるのはコストもかかるし、利便性も悪かった。)

その豊かな時代に書かれた本書は扱われている内容も、オーディオ寄りでもヴィジュアル寄りでもなく両方にまんべんなく目配りをしている。
その中心となる機器は「ユニバーサルプレーヤー」でBDを除くすべてデジタルの12㎝メディアが再生可能だった。(過去形はおかしいか)
ヴィジュアル系では5.1chのスピーカー配置から、モニターの種類、設置方法など幅広いネタを扱っていた。
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オーディオ系でも、スピーカーの音の鳴る仕組みから、具体的なマルチアンプ接続の方法、効能などが書かれていて有益だった。

そんな中でも電源について1章割いて詳述している。

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電気のやってくる仕組みから、同じコンセントでも品質が高い場所低い場所。どこにどんな順序で機器を繋ぐべきかなど、(正しいかどうか、聴いて違いが分かるかどうかは置いておいて)詳細に記述している。そのようなことは考えたことも無かったので目から鱗だった。

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現在では電源品質が音に影響するということは常識として語られるようになったが、当時そんなことを言っている人は少数派だったのではないだろうか。(憶測ですが)
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良いお店との出会いや付き合い方みたいな項目もありなかなかに「ウルトラ」な本だった。




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