以下の内容はhttps://retroaudio.blog.jp/archives/2021-08.htmlより取得しました。


ビートルズの曲を一度も聞いたことが無い人は稀だと思うが、意識してそれとして聞いていない場合もあるであろう。(Help!が「なんでも鑑定団」のオープニングに使われていたり、All Together Nowがバラエティ番組で使用されたり、Birthdayのイントロだけジングル的に使用されたり枚挙にいとまがない)

ビートルズを意識して聞こうとする時、最も良い入口について考えてみた。

最初に思いつくのは英米でのNo.1曲ばかり集めた「1」である。2000年にCDでリリースされたコンピレーション。ヒットシングルが網羅されていて、全27曲80分超のボリュームである。
2011年には090909の音源を利用したリマスター盤がリリースされ、2015年にはジェイルズ・マーティンによるリミックス盤も作成されている。(現在流通しているのはこのリミックス盤だと思われる)
音も良く、古い音源はモノラルで収録してあり、無理が無い。一見よさそうなのだが、お勧めできない。この曲もビートルズ?といった発見はあるかも知れないが、必ずしも(当時の)ヒットシングルがビートルズの重要な(聞くべき)曲というわけではないからだ。
(個人的な話だが自分はこのアルバムを聴くと頭が痛くなる。原因は不明)

事実上の解散状態だった1973年にリリースされ大ヒットした初めての公式ベストアルバム「赤盤」「青盤」はどうだろう?
アルバム「1」の曲をすべて含み54曲の大ボリューム。(LP、CDともに4枚組)である。「1」では漏れていたアルバムの曲も収録されている。
「赤盤」(キャリア前半26曲)はアルバムRevolverの時期までのシングル曲(英国盤)のすべてと名盤Rubber SoulからジョンのIn My LifeやNorwegian Wood (This Bird Has Flown)、Nowhere Man、Girlを収録。また、ポールじゃなければ書けないDrive My CarとMichelleも収録している。(Rubber Soulはシングル曲を収録していないので「1」には入らない)CD2枚組だが全体の時間が60分余しかなくあっという間に聞けてしまう。(CD1枚に十分入る内容)初期を中心に聴くのであれば十分に選択肢に入ると思う。この時期のビートルズは勢いがあるし、この頃こそがビートルズという人も存在するのだが、後半の充実ぶりに比べると、やや物足りない感じがする。

「青盤」(キャリア後半28曲)はアルバムで言えばSgt. Pepper's Lonely Hearts Club BandからLET IT BEまでの期間をカバーし、「赤盤」とは少々趣がことなる。シングルの数が減り、アルバム曲の比重が高くなる。曲も長くなり収録時間はCD2枚組で98分余りとなっている。(CD1枚には収まらない)
1枚目の、のっけからビートルズ史上最強のシングルと言われるStrawberry Fields ForeverとPenny Laneの両A面シングル、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandからキャリア最大級(人によると思うが)の名曲A Day in the lifeを含む4曲と畳みかける。All You Need Is LoveでLP A面終了(CD1の半分)
LP B面はポールが炸裂。Magical Mystery Tour関連曲を中心に7曲中5曲がポールの曲だ。
CD1だけでお腹いっぱいという感じだが、さらにCD2でバリエーションを拡げていく。ジョージの曲が14曲中4曲を占め、Get BackやLet It Beといったポールの名曲、Come TogetherやAcross The Universe等のジョンの曲を聴くことができる。ラストはポールのLong And Winding Road。名曲の森である。
1枚だけというなら「青盤」がおすすめ。(2枚ですけと…)
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知っている曲が少なくてもアルバムとしてまとまりの良いものがよいというのであれば、オリジナルアルバムのAbbey Roadがおすすめである。(1曲、1曲のクオリティでいうとRubber Soulも捨てがたいのだが…)
最後に録音されたアルバムで、直前のゲットバックセッション(後にアルバムLet It Beとなる)の失敗を知っていると、奇跡と思えるクオリティのアルバムである。
青盤では聞くことのできないポールの曲を中心としたメドレー(LP B面)が素晴らしい。メドレー最後の曲はTHE ENDという曲である。この曲にはジョン、ポール、ジョージによるギターバトルがあり、リンゴによるドラムソロ(彼のビートルズのキャリアの中で唯一)がある。感動的である。(ジョンはこのメドレーの出来が気に入らなかったようだが…)
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あまりに有名なジャケット


他の人の意見も聞いてみよう。
中山康樹さんは講談社現代新書「これがビートルズだ」(2003)の中で、公式213曲の中でアルバムに収録できなかった曲を集めたPast masters Vol.1,Vol.2を入門時のアルバムとして推奨されている。(2009年のリマスター盤以降、Vol.1と2を統合した2枚組のPast mastersとなっている)
ビートルズは2枚目のアルバム以降シングルを収録しない方針としたために、アルバム未収録シングルというものが多数存在した。その受け皿として発売されたのがパスト・マスターズ(シリーズ)である。ドイツ語版のI Want To Hold Your Handなどのレアテイクも収録するが、基本、アルバム未収録のシングルA面、B面が収録されている。ブレイクスルー曲、I Want To Hold Your Handも通常のアルバムでは聞くことができない。I Feel Fineもそうだ。ただし、シングル曲でもアルバムに入ってしまった曲(マジカルミステリーツアーはアメリカで発売されたものを公式としたためシングル曲が多数収録されている。また、映画サントラ扱いのアルバムにはシングル曲が収録されている)は収録されていない。
それでも充実ぶり(特にVol.2)は相当なものでこれから入るのは理にかなっているような気もする。
ただ、このアルバムに収録された曲はほとんど「赤盤」「青盤」に収録されていて、そちらで事足りる気もする。例外は名曲Rain(シングルPaperback WriterのB面)で、この曲はPastmastersでしか聞くことはできない。(他のコンピレーションにも収録されていない)


入口としておすすめは「青盤」とオリジナルアルバム「Abbey Road」。中山さんのお勧めは「Past masters」と書いた。

公式にはそれでよいのだが、裏のおすすめも書いておこう。それは1999年にリリースされた企画盤「Yellow Submarine Songtrack」である。企画盤とはいえApple公式のアルバムである。

Yellow Submarine というオリジナルアルバム(11stアルバム)が存在しているじゃないかと言われる方も居られると思うが、別物である。これは映画Yellow Submarine に使用されたビートルズの曲だけ集めたコンピレーションアルバムで、オリジナル(11stアルバム)がサウンドトラックとしてジョージ・マーティンの劇伴も収録していたのと異なり、純粋にビートルズの曲だけで構成されている。そして、特記すべきはそのリリース時期である。1999年といえば1987年(最初のCD化)でも2009年(全作リマスター)とも違う時期となっている。
このアルバムは映画DVDのリリースに合わせて制作されており、映画の方は初の5.1ch収録となった(当然、制作し直しである)その過程で制作されたCDなのである。
ビートルズ物としては初めてのデジタルリミックスされた作品である。リマスターではなくリミックスである。オリジナルのテープに戻りトラックごとに素材を取り出し、ノイズを除去した後、音の配置も含めて再構成されている。(今までセンターに定位しなかったボーカルの定位を修正したり、アナログコピーの際に発生したノイズを除去したり、かなり大がかりな修正が行われている)
この時、Only a Northern Songが初めてリアルステレオ化された。全体にブラッシュアップされた品位の高いものになっている。
イエローサブマリンの映画は1968年公開。このアルバムはそれ以前の楽曲と映画用に作成された曲で構成されている。アルバムで言えばRubber Soul(2曲)、Revolver(3曲)、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(4曲)、Magical Mystery Tour(1曲)、Yellow Submarine(5曲)である。時代なのかサイケ色の強い作品が集まった。中期が好きな人には好適なアルバムである。音も良いので隠れた名作と言える。

ただ、現在では顧みられることがほとんどない。残念である。2009年のリマスター盤発売後すっかり影が薄くなって、件のディアゴスティーニビートルズコレクションでもLOVEやANTHOLOGYはあったのにYellow Submarine Songtrackはラインナップされなかった。
中古市場では比較的安価に(正典扱いではないから…)手に入るので一度聴いてみては…
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Yellow Submarine Songtrack

1

Yellow Submarine

2

Hey Bulldog

3

Eleanor Rigby

4

Love You To

5

All Together Now

6

Lucy In The Sky With Diamonds

7

Think For Yourself

8

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

9

With A Little Help From My Friends

10

Baby, You're A Rich Man

11

Only a Northern Song

12

All You Need Is Love

13

When I'm Sixty-Four

14

Nowhere Man

15

It's All Too Much


ビートルズは活動が50年前に終わっている(もはや歴史だ)伝説のグループ。誰もが知るグループだが、解明されていない謎も多い。
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今回は1973年にリリースされた公式ベスト盤、「赤盤」(正式名称はThe Beatles 1962-1966)と「青盤」(同The Beatles 1967-1970)にまつわる謎について書いてみたい。
その謎とは「誰がこのアルバムを選曲したか」ということだ。

2000年にリリースされた公式コンピレーションアルバム「1」は、米英でチャート1位になった曲をリリース順に並べたもの、選曲や並び順を考えることなく単純な機械作業だった。(=選曲者は必要ない)
「赤盤」「青盤」は機械的な部分もあるが(並び順はリリース順)シングル曲以外の選曲には恣意的な部分が多分にあったと思われる。誰が、どういう意図でこの曲を選択したのか…

ビートルズのメンバーは元々ベスト盤のリリースに否定的で、活動中は「全部のアルバムがベストだから、全部聞いてくれ」というスタンスだった。(レコード会社主導のコンピレーション等はリリースされていたが…)1970年のアルバム「LET IT BE」リリース以降活動が無く、ポールが脱退して、事実上の解散状態になっていた1973年に正式なベスト盤をリリースされたのはなぜなのか。それには理由があった。
1973年当時、大型の海賊盤が通販で流通していた。その名も「The Beatles AΩ」(アルファオメガと読む)LP4枚組58曲の大ボリューム。Part2もリリースされ、そちらもLP4枚組59曲。
合計LP8枚 117曲!ビートルズの楽曲は公式に213曲なので、その規模の大きさがわかるであろう。
実際には各メンバーのソロ曲も含まれる(ジョンの「イマジン」ジョージの「バングラデッシュ」ポールの「アンクル・アルバート」等も収録されている)さすが海賊盤、やりたい放題である。

この海賊盤の流通に危機感を持ったAppleが公式なベスト盤リリースを企画したというのが真相である。Apple社が公式なアルバムをリリースする際にはメンバー(又は権利者、例えばジョン・レノンの死後はオノヨーコ)の許可が必要。73年当時全メンバーが存命で(内容はともかく)メンバーがリリースの許可を出したものだと思われる。

選曲者については、リリース当時から「ジョージ・ハリスンが選曲した」という説がまことしやかに流布しており、本人は肯定も否定もしていなかった。状況からしてメンバーが選曲するとしたら、ジョージしかいないのだが、(ジョンとリンゴはこの時点でビートルズの活動にそれほど関心がなく、ポールはアメリカでウイングスの活動をしていた)どうなのだろうか。
Wikipediaではそれを否定し、当時のAppleのマネージャーであったアラン・クライン(企画の主導者)が選曲を行ったと記述(Badman, Keith (2002). The Beatles: Off the Record. Omnibus Press. p. 99)されている。
論拠になったこの本はメンバーや関係者のインタビューを集めたものである。原著にあたってみると、以下の部分が該当すると思われる。

「青盤」「赤盤」に関するジョン・レノンのインタビュー
John “Allen Klein knocked out the basic list for the Red and Blue albums and then we'd just look down it and say, Yes, no,' and so on. I made sure they put that picture which I got Linda (McCartney) to take of the same pose as our very first album... No one can release old Beatles product without an okay from each of us. I like packages, you know. I approve of anything I would buy myself.

意訳 「アラン・クラインが「赤盤」「青盤」の基本的な曲目リストを作成し、われわれはそれを見ながら「可否」を言った…」

これが本当ならアラン・クラインが作成したリストをジョン・レノンが確認したことになる。

ただ、たとえ本人が話していても、真実を話しているとはかぎらない。インタビューは得てしてその場のノリや雰囲気で盛ってしまったり、ウソ(又は思い違い)を混ぜてしまうことがあるのだ。
このインタビューの中で「青盤」「赤盤」ジャケット写真の話をしているが、この写真と元になった「プリーズプリーズミー」の写真の撮影者はアンガス・マクビーンで、「青盤」「赤盤」のジャケットの撮影者もリンダ・マッカートニーではない。(事実誤認)

このインタビューだけを論拠とするのは弱い感じがする。アラン・クラインが大きな役割を担っているのは確かだと思うが、選曲者と特定するのは難しいだろう。

それではジョージ選曲説はどうだろうか。
ジョージ選曲説の論拠とされるのは「青盤」の採用曲にジョージの曲が多いということ。中でもBallad Of John And Yoko(20曲目のシングル曲)のB面曲 Old Brown Shoeが収録されている(ジョージ本人以外選ばないのでは?)ということらしい。

ジョージの曲は全54曲中4曲で全て青盤に集中している。(ちなみに「1」ではSomething1曲のみ)ただそれも、ジョージの才能が開花したのが後半だったということでしかない。
選ばれているWhile My Guitar Gently Weeps、Here Comes The Sun、Somethingの3曲はいずれも名曲で選ばれて当然の曲だった。(むしろ「1」はジョージの曲が少なくて不満だった)Old Brown Shoeだってアルバム未収録のシングルB面曲だから聞きなれていないだけでなかなかの名曲である。そもそも、ジョージが利己的な理由で自分の曲を選択するだろうか?


赤盤、青盤は英国でのシングル盤22枚(うち4曲が両A面)シングルA面は26曲、B面曲が4曲でシングル関連曲だけで30曲。のこり24曲がアルバム曲なのだが、そのうち3曲は米国でシングル発売されNo.1を獲得している。すなわち「1」に収録されている。Eight Days A Week(A Hard Day's Night )Yesterday(HELP!)Long And Winding Road(Let It Be)の3曲。
純粋なアルバム収録曲は21曲となる。

アルバムタイトル
with the beatles               1曲
A Hard Day's Night             1曲
HELP!                   1曲
Rubber Soul                6曲
Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band  4曲
Magical Mystery Tour            2曲
the Beatles                4曲
Abbey Road                1曲
Let It Be                   1曲


特徴的なのは赤盤のRubber Soul 6曲である。赤盤はもともと26曲入りのところ13番目のシングルまで(内2曲は両A面∔米国シングル2曲)収録しており、シングルだけで17曲、のこり9曲中6曲がRubber Soulというのはすごい比率だと思うが名曲ぞろいなので当然とも思う。Rubber Soulはジョンとポールの力関係が拮抗し始めたバンドとしての頂点に向かっていく時期にあたるが、4曲がジョン、2曲がポールという比率である。

青盤ではシングルは9曲(米国シングル1曲)うち両A面が2曲、B面曲が4曲。合計16曲。青盤は28曲なので残りは12曲。その内Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Bandが4曲、the Beatlesの曲が3曲と目立つ。ポールの躍進が続く一方バンドとしての体をなさなくなっていくのがこの時期だ。曲のバリエーションが増えていくがバンドっぽさは希薄になる。ただ、畢生の名盤Abbey Roadからはポールの曲は選ばれていない。

ここまで見てもジョージ選曲の証拠は見つからないが、ファンとしてはメンバーが選曲していてほしいと思うのが普通だし、それが通説ならそれでよいのではないかと思っている。
(ジョージは故人で確かめるすべがない)


レコードコレクター2010年11月号の記事「ジョージ・ハリスンは「赤盤」「青盤」にどうかかわったのか」によると、アラン・クラインと一番良好な関係だったジョージが選曲にかかわったことは間違いがないという結論だった。
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各社が独自の目論見で開発を行う新商品で規格を統一するのは難しい。

・初めてのデジタル音声メディアであったコンパクトディスクは稀有な例だが、早々に統一メディアとなった。=それほど開発が難しくまともに商品化にこぎつけたのがSONY-PHILIPS連合しかなかった。

・カセットテープ(コンパクトカセット)はPHILIPSが特許を公開したため世界標準規格となった。

・ビデオレコーダーは業務用で高いシェアを誇るSONYがβ規格の家庭用ビデオを発売し、高い技術力と品質でシェアを伸ばしたが、結果的に松下電器やVictorはじめ多くの家電メーカーが参加したVHS陣営に惨敗することになる。VHS規格は画質、音質はβより若干劣るが、製造に独自技術が必要ではなかった。よって、国外を含む多くのメーカーが陣営に参加し、シェアを増やしていった。最終的にはレンタルビデオの勃興でより積極的にソフト展開を行ったVHS陣営が市場を圧倒した。(一説によるとアダルトビデオのソフトはVHSしかなく、これがVHS勝利の原因の一つと言われている)

・LD-VHD戦争はコップの中の戦争程度の争いで、非接触で解像度的にも優れるLD陣営が早々に勝利を収めた。(録画できない再生専用メディアの戦いなど市場規模を考えたら影響は微々たるものであった)

・MD-DCC戦争。コンパクトカセットと互換性があったDCCだが、日本国内においては機種が出そろうまえにSONYを中心としたMD陣営に敗北していた。ランダムアクセスに強いディスクメディアが次世代メディアの中心となることは必然だった。国内でのSONYの対応も影響しているであろう。(ただ、このMDも世界的にはあまり普及しなかった)

・デジタルの圧縮技術の進歩で12㎝メディアに4時間以上の映像を保存できるようになると、保存もできる-Rや-RAMの登場とともにDVDメディアが隆盛を極めるようになる。 ここでも、DVD-RAMを推進する派(Panasonic等)とDVD-RW派(Pionner等)、DVD-RW+派(SONY)などがあったのだが、ドライブの方がマルチに対応して大ごとにはならなかった。


そして、問題のHD-DVDの登場である。2001年頃からデジタルハイビジョンをそのまま保存できる次世代メディアの開発は行われていた。DVD規格をベースにハイビジョン映像を記録できるようにしたのがHD-DVD規格である。推進していたのは東芝で、メディア提供側としてはワーナー等が名を連ね、後にマイクロソフト(Xboxの追加ドライブとして採用)も参加した。
一方のBD陣営はSONYとPanasonicを中心に全く新しい青色レーザー(Blu-ray)を使用した規格を開発した。 HD-DVDとの一番大きな違いは容量で、2層をフルで使うと50GBだった(HD-DVDは30GB)
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BDは規格制定の段階で圧縮方式をMPEG2で考えており(HD-DVD陣営はMPEG4)、長時間収録するためにはある程度の容量が必要だった。そのため技術的に困難な方法で(無理をして)容量を増やした。
開発に時間がかかったこともあるが規格の策定までの間にPanasonicがMPEG4AVCを開発してBDに採用され、HD-DVDとの差が無くなった。
こうなると容量の差だけが際立つようになった。(映像の収録時間に差が生まれた)容量は単純に大きい方が良いし、製造の歩留まりに差が無ければ(メディアの価格の問題)BDの方が有利になった。

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HiViの年表
2005年 4~5月に東芝とSONY・Panasonicの間で規格統一の交渉が行われたが決裂した(BD側は既に商品を市場投入しており、大きな変更は困難であっただろう)
2006年 SONYはBD-ROMを再生可能なPLAY STATION3を発売(一般化の始まり)
2007年 東芝はHD-DVDの北米でのハードウェア低価格戦略を開始。しかし、結果的にシェア拡大に結び付かなかった。後の東芝のBD機にも言えることだが、当時メモリーなどのリソースが十分では無く性能が低かった。これはもしかしたら低価格戦略の弊害かも知れない。(他社製品はメモリー量が潤沢だったか設計が優れていたかわからないが、満足できる性能だった)
2008年 ソフトウエア供給側の大手ワーナーがHD-DVD支持をやめ、BD陣営に鞍替えした。この瞬間、HD-DVDの敗北が決まった。(発表は2008年2月)東芝の西田社長(当時)が正式にHD-DVDからの撤退を発表した。

東芝対SONY・Panasonic連合軍という図式である。(AV・家電の雄が手を組んでいるのだ) ハードウェアを作っていたのが東芝1社というのではそもそも勝ち目はなかった。その当時、PC界における勝ち組マイクロソフトが陣営に参加してもBD陣営の優位を崩せなかった。(ちなみにAppleはBD陣営)


東芝は現在解体の危機に瀕している。 HD-DVDの失敗がその原因ということはないだろう。会社規模からいえばこの程度の失敗は微々たるものだったはずだ。
HD-DVD撤退を発表した2008年当時の社長は西田厚聰氏だった。東芝崩壊の元凶とされる人物である。無理な目標を「チャレンジ」と称して、部下に押し付け結果的に粉飾を引き起こした。2011年に発生する東日本大震災での原発事故をきっかけに西田氏らが推進した原発事業が事実上破綻するのはもう少し後の話である。
いずれにしろ、今の東芝に新しい規格を作って販売していく力はもうない。(10年前には想像もできなかったことだ)


参考 HIVI 2008年4月号 HD-DVD終息宣言の記事(図版も)



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