もうだいぶ前になるが(2021年5月1日)シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきた。

1995年に始まった長い旅がようやく終わった。(ネタバレになるのでこれ以上内容については触れないが)感慨深い。庵野さんが放り投げずにきちんと終わらせてくれて心底良かったと思っている…
スターウォーズシリーズは最初のシリーズに人生を変えられるくらい衝撃を受けたものの、プリクエルシリーズ(エピソード1〜3)で「あれっ?」と思い、最後のシリーズではエピソード7は観たものの8と9はついに観なかった。つまり離脱してしまったのだ。(その前の枝編「ローグワン」あたりでも違和感(=悲劇的すぎる)を持っていたが…)
シリーズを続けることは本当に難しいのだと思った。実写映画の場合キャラクター=生身の役者なので特に難しいのかもしれない。クリエーターが変わった影響が大きいのかもしれない(時代も変わったし…)
その点エヴァンゲリオンシリーズは庵野監督のパーソナルな世界で、よくも悪くも彼次第という作品だった。作品クオリティが非常に高く、CGIとセルアニメの融合はここまで来たかというレベルで、国産アニメの極北に位置する。これを見ると「鬼滅の刃」はごく普通の作品である。どちらがエポックメイキングなのかは火を見るより明らかである。庵野秀明の作家性は突出している。
今回劇場で鑑賞して思ったこと。
観客層がちょっと不思議。男女妙齢のカップルは少なく、意外と親子連れが多かった。それも「鬼滅の刃」のような若い親と小学生、場合によっては幼児(あれ(PG12作品)を幼児に見せる親の神経がわからないが…)という組み合わせではなく、50代以上の親と20代の子供というような組み合わせ、中には40代女性とその母親60代後半と思しき人の組合せもあった。自分のようなおっさん(50代)一人という人も結構いたが、それは想定内である。あとは女性同士や男性同士のペアや男子団体、女子団体といった感じ。さすがに20年以上の長きにわたる作品世界である、幅広い人が見に来ていると思った。
(一緒に観るのは同好の士すなわち同志である。デートで観る映画ではないのだ!)
(一緒に観るのは同好の士すなわち同志である。デートで観る映画ではないのだ!)
新世紀エヴァンゲリオンは1995年10月から、テレビ東京系で26回放送されたTVアニメ。(1995年は特別な年なのだ。色々な事が起こり、変化が訪れた)
「使徒とは?」「人類補完計画とは?」「そもそもエヴァンゲリオンとは?」という謎を孕んだまま最高潮に達した物語は残り2回で突然、全く予期しない形で終息する。
今年NHK-BSで放送されたドキュメンタリー「さようなら全てのエヴァンゲリオン」ではこの時、総監督の庵野秀明さんはこの形が正しいと信じて制作したが、世間の反応(反発)が凄すぎて心を病んだ。という話をしていた。
自分の記憶が確かならTVシリーズ最後の2話は製作が間に合わずあのような形になったという説が当時、流布していたと思う。(これは正しくはないようだが、商業ベースで新作を作るためには本当は違う終わり方だったと言った方が都合が良かったのかもしれない)
結果、劇場版が制作されるということになった。これは打ち切りによって終われなかった物語を劇場版で終わらせるという「イデオン」(接触編・発動編)と同じパターンだ。
最初に構想された劇場版「シト新生」(1997年3月公開)はTV版を編集した「DEATH」と新作の「REBIRTH」2本立てで上映するというものだったが、新作部分が膨らみすぎ公開に間に合わず、これまたいいところ(エヴァシリーズ襲来)でぶった切られるということになった。
庵野さんが謝罪して改めて公開された劇場版は新作部分を二つに分け第25話『Air』と第26話『まごころを、君に』という形になった(1997年7月公開)

『DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』LD-BOXのインナージャケット

『DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』LD-BOXのインナージャケット
パッケージメディア(当時はLDが主力)もこの映画の完成を待ってリリースされ、TVのフォーマット(時間や画面サイズ)を逸脱した形で第25話、第26話となった。それで、パッケージメディアではTV版の25話、26話は見られなくなった。(ただ、TVの再放送では旧来のものが放送されている)
再編集版のDEATHに手を入れ、前年7月公開の25話、26話とともに劇場公開された。全編で160分の映画となった。これで終わったはずだった…
難解な映画で自分の中でスッキリ終わったという感じはしないままだったが、とりあえずもう作られることはないだろうと思っていた。

同上の特典 企画書のページ
それから、10年後、エヴァンゲリオンは忘れ去られることなく、新劇場版ヱヴァンゲリヲンとして制作公開されることになった。
現代のクオリティで制作されるアニメーションは旧来のものとは段違いで構成も4部作の劇場版として制作されているので無理がない。最初の「序」を見たところTVシリーズを忠実になぞっているような印象があったが、「破」で、これは旧来のものとは違うものと認識し、「Q」に至って全く別物との思いを強くした。(「Q」ではまた叩かれて監督が病んだらしい。前出の「さようなら全てのエヴァンゲリオン」による)
そして、今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版である。監督が旧劇場版の難解な解釈を捨てて、すっきりとした結末を用意してくれたことに感謝したい。これでもう終わりである。
26年に及ぶ旅は完全に終了した。全く何の悔いも無く、未練もない。(つまりエヴァロスは起こらない=そんな作品はめずらしい)それこそTV版の最終回のようにみんなで拍手したいくらいだ。
決定版ができた。これから見る人は新劇場版の4作品だけ見ればよい。旧来のTVシリーズや旧劇場版は捨て去ってかまわない。(もはやノスタルジー以外の価値はない)
本放送当時(1995年10月)自分は大阪在住で視聴可能だったのだろうが、水曜日の18:30という放送時間は到底見られるものではなかった。当時、アニメーションに対する興味を失っておりGAINAXの新作といえども見ることはなかっただろう。(事実、知りもしなかった)
ハマったのは、得意先の方から「エヴァンゲリオンすごいらしいよ」と聞いたのがきっかけ。既に5巻目(10話)くらいまでリリースされていたLDを買い始め見事にハマった。1996年6月頃か?当時このためにLDプレーヤーを買った人が多数いたという話である。
最終的には全巻購入して購入特典のLD(作り直された21話から24話までのTV放送版を収録)も手に入れている。
当時LDソフトは1枚もので4700円程度2枚組で5,700円程度が普通でブロックバスターと呼ばれる話題作は3,800円で売り出されるのが普通だった。(3,800円は十分安いと思えた)
エヴァンゲリオンのLDは二つ折のジャケットに入っているがLDは1枚(標準LDで片面30分収録、両面で2話分)で確か5800円だった。(当時制作だった鶴巻さんのライナーノートは価値があると思うが)24話まで1枚当たり2話で24÷2で12枚。25話と26話はそれぞれ1枚だったので合計14枚。×5,800円で81,200円の投資をしたことになる。(今や昔である)
キングレコード(スターチャイルド)はぼろもうけである。当時も大月さん宅が御殿になったといわれていた。(噂もしくは冗談、または、やっかみ)
この辺りからパッケージメディアが商売になると気づき、アニメ制作は増加し始めた。
現在では一般的となった深夜帯のアニメ放送も、きっかけは「新世紀エヴァンゲリオン」の再放送が深夜帯でありえない視聴率を取ったことだったといわれている。
ただ、自分の中ではエヴァンゲリオンだけが屹立した独立峰的存在で(まあ、宮崎駿作品は見ていたが)他のアニメ作品にはあまり興味を持てなかった。
「エウレカセブン」(2005)が出現するまでは…












