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先日松田聖子のLPを取り上げたが、バランス(何の?)をとるために中森明菜のLPも買って聞いてみた。
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1986年発売の「ベスト」というベスト盤でデビュー曲「スローモーション」から13枚目の「SOLITUDE」までシングルのみで構成されている。曲順は発表順ではなくA面は来生えつこ作詞の物を中心に、B面は売野雅勇作詞のものが中心の構成だった。作曲家陣は来生たかおはもちろん玉置浩二、高中正義、細野晴臣、林哲司、芹澤廣明、大沢誉志幸らが名を連ねている。
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この13曲で十分な気もするが…

自分が聴いてきたのはTV番組のパフォーマンスが中心だったと思い知らされた。レコードでの歌唱は至極まっとうでアイドルのレコードの趣である。(もちろんそうなのだが)これはこれでアリである。

80年代はやはりアイドルの時代だったと思うが、モンスター松田聖子に比肩できた存在は中森明菜をおいてほかにないと思う。思うところを箇条書きで書いてみよう。

聖子と明菜

・松田聖子と中森明菜は活躍した時代が被っているので誤解されがちだが、聖子の方が年上で先輩(1980年デビュー。明菜は1982年=花の82年組)である。

・81年にはトップアイドルとなっていた松田聖子に対して、花の82年組といえば聞こえは良いが、要は強力なライバルが多く、その中で頭角を現すのも難しい状況だった、明菜という構図である。

・しかもデビュー曲「スローモーション」はパッとせず、イメージを不良少女に振った2枚目のシングル「少女A」でブレークを果たした。そして、3枚目の「セカンドラブ」で地位を確かなものとした。

(3曲目で地位を確立といえばサザンオールスタース。デビュー曲「勝手にシンドバッド」でブレーク。TVでも学生ノリのコミックバンドのような扱いだったが2曲目の「気分次第で責めないで」を経て3曲目の「いとしのエリー」で本格バンドと認知された。以来、活動休止を繰り返しながら現役バンドとして活動している)

・松田聖子も「青い珊瑚礁」がデビュー曲ではないし、小泉今日子(82年組)もデビュー曲「私の16才」はまるで演歌のような曲である。(売れそうもない楽曲でかわいそうだった。見た目の可愛さはピカイチだったが…)デビュー曲がブレークしない方が大成する?

・「スローモーション」(来生えつこ作詞来生たかお作曲)は誰が何と言おうと名曲でアイドル歌謡(少女のような声、歌い方でアイドル歌謡としか言えない楽曲である)として考えれば明菜の最良の曲のひとつである。(本人がどう思っているかはわからないが)

・明菜はその類まれなる歌唱力と表現力でアイドルの範疇を超える存在になっていく、一方の松田聖子は結婚しようがお構いなしでアイドル路線を突き進んでいく。(明菜は歌手で、聖子はアイドルだった)

・明菜の自殺未遂事件は1989年7月11日に起こった。近藤真彦の自宅で明菜が手首を切って自殺を図ったのだ。第一発見者は近藤である。幸い一命はとりとめたものの明菜は治療、謹慎で1年間の活動停止を余儀なくされる。

・明菜の自殺未遂事件の原因の一端に近藤真彦と松田聖子の密会キス写真があるといわれている。(その写真の存在は確認されていないが、アメリカで会ったのは事実。偶然なのか意図的なのかは不明。何があったかも不明。当時、松田聖子は結婚していて一児の母であった)

・松田聖子は85年1月の郷ひろみとの破局会見以降もう一段ステージが上がったが、明菜の会見は近藤真彦と同席の上での謝罪会見(89年12月31日)であり、その後の活動は順調とは呼べなくなっていく。

・金屏風事件ともいわれる、大晦日12月31日の会見は(男女間の話なのに)明菜が一方的に謝罪するという会見、しかも本人同席で…近藤真彦に迷惑をかけたことを謝る会見だった。赤の他人の家で自殺未遂騒ぎを起こせば、そりゃ謝罪しなければならないだろうが、赤の他人じゃないからそこでそんなことしたのだろう。だがジャニーズサイドは近藤を守るためにこのような会見を開いて、近藤は被害者というイメージを広げたかった。現代ならば決して許されない類のスキームで、騒動を起こした本人が謝罪するのは仕方がないとして、もう一方の当事者(原因をつくった)は被害者というのはあり得ない話だ。結局二人は破局し数年後に近藤は一般人女性と結婚することになる。(この件は明菜が芸能界を引退して近藤真彦と結婚するというのが一番スッキリする終わり方だったと思う。近藤側にその気があったとはとても思えないが…)

・金屏風「事件」と言われる理由。この会見は金屏風の前で行われた。謝罪会見の何がめでたいのか?一説では明菜は会見の中身を知らされておらず一部マスコミも婚約会見なのではないかと思っていた。婚約会見なら金屏風は理解できる。蓋を開けてみれば明菜一人の謝罪会見であった。明菜の復帰会見も兼ねているので金屏風でもおかしくないという理由らしいが、全く説得力がない。事件と言われる所以である。

・明菜はこの会見の直前にデビュー時の事務所の研音から離れ個人事務所所属となる。そして本人、やる気はあったのだろうが、徐々に表舞台からはフェードアウトしていくことになる。(89年というのは奇しくも松田聖子がサンミュージックをやめた年と同じである)旧来のアイドルは80年代で終わりを告げたということだろうか?

TC-K600を実家から持ってくるとき、同時にカセットテープを棚からひとつかみ持ってきた。
まるでタイムカプセルのようで、ほとんどのものがある年代の曲を編集した自作コンピレーションになっていた。90年代前半のものが多かったが、下っても1999年のrough laughあたりまでで多分2000年以降はカセットで録音はしていない。(20年ぶり)今回はレコードを録音するのでそうなると軽く30年以上ぶりとなるだろう。

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使用するテープはSONY CDiXⅡ

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録音するのはカリフォルニアシャワー 渡辺貞夫

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クリーニングした上で録音に望む

レコードの録音はCDと違って録音レベル設定にコツ※があるが、今回レコードプレーヤーがフルオートなので録音をしながら録音レベル設定を行うこととした。(TC-K600は3ヘッドデッキなので録音したその音をリアルタイムにモニターできる)最初に適当に合わせて録音を開始、ソースのレベルであわせると5メモリ程度でレベルオーバーするが、録音したものをモニターしながら少しずつあげて、6メモリ程度まで上げてもオーバーしなかった。もちろん音も聞きながらだが、歪まないギリギリのレベル調整を行う。設定した後、再度頭から録音するというやり方だ。(確実だが時間がかかる)

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DOLBY-B ON  BIASは調整なしで…レベルメーターはピークホールド付き

録音自体はうまく行ってカセットテープは出来上がった。音質もまあまあ、レコードよりはSNは悪いが十分に聞くに耐えうるものになった。しかし、使いみちが思いつかない。
今の環境ならレコードを聞く、と思う。カセットは持ち出し用途(ウォークマンや車載再生機)があれば有効なのだが…うーん。

※レベル設定のコツ=レコードの音量の大きいところは溝が深いので光を当てると、より白く見える(上の写真参照)。その部分を再生してレベル設定を行う。今回はA面すべてを録音・再生しながらレベル設定を行った。(同じ作業が2回必要)

松田聖子デビュー40周年。もう歴史として語れるぐらい時間が経過している。デビュー当時ぶりっこだの、ウソ泣きだの相当に叩かれても動じない太さを感じたものだった(現代なら「あざとい系女子」として賞賛されるのかもしれない)まあ、それも今から見ればモンスターとしての松田聖子の一面を表しているに過ぎない。

『松田聖子40周年で振り返る、郷ひろみへ宛てた言葉「絶対一緒になろうね」の真実』という記事がWebに上がっていた。19851月に松田聖子が行った単独記者会見の事を扱った記事だ。当時、完全に興味を失っていたが、この会見で語られた「今度生まれてきたときには、絶対に一緒になろうねと言いました」的な発言は知っていた。まるで外的要因によって引き裂かれ、それでも愛しています。みたいなニュアンスを感じるが、真実は違っていたようだ。その後の事実が物語っているが、この会見は松田聖子が独断で開催したもので郷ひろみサイドには知らされていなかった。どころか別れるという話にすらなっていなかったらしい。この会見の5か月後、神田正輝と結婚した…

 

今回購入したLPは次の4点「Windy Shadow」「The 9th Wave」「SUPREME」「Strawberry Time

これはそれぞれ10枚目、11枚目、13枚目、14枚目のアルバムだった。全15枚のLP発売アルバムの中盤から後の作品群だということが分かった。

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10thアルバム「Windy Shadow」(1984.12.8

全曲作詞は松本隆。シングルとしては「ピンクのモーツアルト」(作曲 細野晴臣)「ハートのイヤリング」(作曲 Holland Rose名義=佐野元春)の2曲が収録されている。作曲家陣には矢野顕子、杉真理、NOBODY、林哲司が名を連ねSEIKO名義で松田聖子が1曲作曲している。松本隆臭が濃厚なアルバムだがプロデュースは若松宗雄(CBSソニー)このアルバムは上記の単独会見の1か月前にリリースされたもの。制作中は一体どんな精神状態だったのだろうか?

 
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11thアルバム「The 9th Wave」(1985.6.5

神田正輝との挙式が1985.6.24だったのでその直前リリースのアルバム。松本隆が参加しておらず、全作詞女性クリエーターの作品となっている。(なぜそうなったかは謎である。結婚と関係があるのか?)

尾崎亜美が作詞作曲した「ボーイの季節」「天使のウィンク」がシングル曲。作曲陣に甲斐祥弘、大貫妙子の名がみえる。(作詞には来生えつこ、吉田美奈子、銀色夏生の名がみえる)

普通にヒット曲を連発している。アイドルでありながら結婚の影響はほとんど感じられない。

 
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13thアルバム「SUPREME」(1986.6.1

12thアルバムはまるで企画もののような全編英語詞のアルバム「SOUND OF MY HEART」(Seikko名義1985.8.5)。プロデューサーはフィル・ラモーンだった。(全米進出を目論んでいた?)

「SUPREME」はその次のアルバム、松本隆が完全復帰し、公式にプロデュースとしてクレジットされている。神田沙也加の誕生日が1986.10.1なので妊娠中にレコーディングが行われたアルバムだとわかる。
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このアルバムはなぜか全曲聞いたことがあり、A-1の「蛍の草原」からB-5「瑠璃色の地球」まで名曲ぞろいである。アルバムのトータルの出来では(LP時代に限って言えば)一番なのではないか。ちなみにシングル曲は無い。

 
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14thアルバム「Strawberry Time」(1987.5.16

松田聖子に産休はないのか?出産後半年でリリースされたアルバム。前作に引き続き松本隆プロデュース(&全作詞)作曲陣に小室哲哉、大江千里、土橋安騎夫、辻畑鉄也、米米CLUBの名がみえる。(これは以前渡辺美里の項でも書いたが、当時SONYに所属していた若手クリエーター達を起用しているということだ。レコード会社の意向が強いのかもしれない)

タイトル曲はシングルとしてもヒットしたと思うが、アルバムのクオリティは前作の方が上である。
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ちなみにアルバムはダブルジャケット。さすがの松田聖子でも数えるほどしかないのだがこれはその1枚ということになる。本格復帰に向けた気合が感じられる。

 

LPとしてリリースされた最後のアルバムは15thアルバム「Citron」(1988.5.11)だった。プロデューサーに超大物デヴィッド・フォスターを迎えた意欲作。(フィル・ラモーンも大物だったが)ほとんどの作詞は松本隆、曲はフォスターはじめ外国人のクリエーターによるもの。シングルではないが「抱いて…」が収録されている。

松田聖子はこのアルバムをリリース後の1989年、サンミュージックを離れ独立している。レコード会社こそCBSソニーだがアルバム制作も変化していく。松本隆は制作から外れ新しい形で制作をしていくのだがここから先はほとんど知らないというのが本当のところである。アルバムどころか本人の動静自体あまり聞かなくなっていった。(自分が興味ないだけだが…)
松田聖子のLP時代はデビューから8年目まで、それ以降32年分の動向を知らないというのもどうかと思うが事実だからしようがない。

 

40周年記念シングルの作曲は財津和夫だそうで、うっすら聞いたがとても地味な感じである。とても「チェリーブラッサム」のようなインパクトを与えることはできない。あるべき時期に、そこにあるべき人があるべきことを行って初めて世界が動くような感動が生まれるのだなと改めて思った。そういう意味で松田聖子は80年代において、あるべき人であるべきことを行った人だったのだなと実感した。(「チェリーブラッサム」は、あの日あのときの松田聖子しか歌えなかった…)

松田聖子がデビューしたのは1980年である。今年は40周年ということになり新曲の発表などメディアの露出機会が増えている。

これはたまたまだが、松田聖子のLP4枚がハードオフのジャンクかごで、110円で売られていたので買ってみた。(Windy Shadow」「The 9th Wave」「SUPREME」「Strawberry Time」)

松田聖子のディスコグラフィーは5thアルバムの「Pineapple」くらいまでしか把握しておらず、今回買った4枚がいつ頃の何枚目かはわからなかった。(シングル曲を丹念にみれば、順番ぐらいはわかったかもしれないが…)

松田聖子関係の深い考察と情報量で他の追随をゆるさない、ライブドアブログの「さくの家電ノート」を参照させていただいて調べてみたらオリジナルアルバムとしてLPをリリースしたのは1980年~1988年までの8年間で15枚だそうである。(間に結婚出産を挟んでいるのに1年で2枚ペース。今から思うと驚異的である。1989年以降CD、カセットのみでのリリースとなる)当然今回買ったLPもその中に含まれている。(この15枚に企画ものやベスト盤は含まれない)

自分の事を書けば、リアルタイムで聴いたのは「Pineapple」(1982)まででそれ以降はアルバムとしては聞いていない。(そりゃあシングル曲なんかは相当流れているので知ってはいるが…)

デビュー曲「裸足の季節」(1980.4.1)はekuboという洗顔料?のタイアップで相当にメディア露出したが、CMのビジュアルに松田聖子は登場せず(登場したのは山田由起子だそう、かとうかずこと誤解していた)イメージ的に得していた?(松田聖子にえくぼが無かったため起用されなかった=若松宗雄談)ブレークしたのは2枚目のシングル「青い珊瑚礁」(1980.7.1)でその2枚のシングルを含むファーストアルバム「SQUALL」(1980.8.1)は「青い珊瑚礁」ブレーク真っ只中の発売でかなり売れたのではないだろうか。(当時複数の友人が持っていた)ちなみにこのアルバムはすべての曲の作詞を三浦徳子、作曲を小田裕一郎が担当している。
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2枚目のアルバム「North Wind」(1980.12.1)はシングル「風は秋色」を含む秋から冬をイメージしたアルバムでオリコン1位を獲得した。ジャケットのビジュアルは後の松田聖子のイメージを決定づけたもので名実ともにトップアイドルとなった作品である。

3枚目のアルバム「シルエット」(1981.5.21)はさらにギアが上がりシングル曲の作曲に財津和夫が起用され、それぞれヒットした。(「チェリーブラッサム」←イントロから最後まで隙なく、たぎる名曲である「夏の扉」←フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!などというサビは松田聖子以外成立しない)それまで2枚のアルバムですべて曲の作詞を三浦徳子が担当していたが、本アルバムで財津和夫が2曲(シングルではない)松本隆が1曲作詞をしている。

4枚目のアルバム「風立ちぬ」(1981.10.21)は財津が作曲した「白いパラソル」と大瀧詠一の「風立ちぬ」がシングル曲として収録されているが、それ以上にA面すべてを大瀧が作・編曲した特異なアルバムである。アイドルの曲をサウンドプロプロデュースするという概念が無かった当時、トップアイドルのアルバムで片面だけでもそれをやったというのは画期的である。アルバム全体でできなかったのが当時の限界だろう。ただこのアルバムについてはB面のアレンジを鈴木茂が担当しており(シングルの「白いパラソル」を除く)クリエイティブ指向のアルバムになったと思う。ここで大きな役割を果たしたのは松本隆である。(大瀧、鈴木とともにはっぴいえんどのメンバー。あと一人は細野晴臣)

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枚目のアルバム「Pineapple」(1982.5.21)すべての曲の作詞を松本隆が担当している。松田聖子の全キャリアの中でも屈指の名曲「赤いスイートピー」と「渚のバルコニー」(ともに呉田軽穂作曲)の2曲のシングルが収録されている。作曲者選びの段階から松本隆が関与するようになったのはこの辺りから?作曲家陣も来生たかお、原田真二、財津和夫、呉田軽穂(松任谷由美)と相当クオリティが高い。名曲ぞろい。若い恋愛がテーマのアルバム?で当時好んで聞いていた。
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このペースでいくと82年の暮れにもアルバムを出しているはず(案の定1121日に「Candy」というアルバムをリリースしている)だが聞いていない。82年後半以降、興味の中心が洋楽にシフトして日本の歌謡曲は聞かなくなっていったのだろう。ちなみに82年というのはCDが発売される年である。松田聖子のアルバムはこれ以降LPが先行しCD1か月遅れ、(マスターサウンドLP1カ月遅れ)で発売されることになる。そして89年以降LPの発売は無くなる。

松田聖子のCDは全く所有していない、iPodには折にふれリリースされていたbibleというベスト盤が1〜3まで入っているが、借りたものである。ここで画像を載せたアルバム3枚(LP)以外所有していなかった。(それとて手に入れたのはこの数年の間である)自分は、決して良い聞き手ではなかったということだ。

そんな自分が今回買ったアルバムはどういうものかというと・・・

つづく

Concert Hall Societyに関してはWikipediaに一項目設けられている。

それによると、戦後アメリカで生まれたレコード会社で会員を募ってレコードを送付するタイプの通販会社だったらしい。日本でも日本メールオーダー(現代にありそうな社名)という会社と提携して事業を行っていた。

仕組みとしては、会員あてには毎月Concert Hall Societyが選んだ特選レコードを送ってくる。(不要な場合はキャンセルの連絡をする)すべて買わなければならないわけではなさそうだが放っておいたら、とりあえず送られてくる仕組みである。定価をみれば2000円とあるが当時(1960年代)の貨幣価値は現在の倍くらいであろうか。決して安い買い物ではなかったと思う。(ネット上に存在する当時のConcert Hall Societyレーベルの広告をみると650円や1300円といった特価レコードもあったようだが…)

レコードは希少品だったのか、はたまた地方ではレコードを買うことが困難だったのか、前述の広告によると会員数は50万人以上いたらしい。(広告なので話半分?)定期的に新譜が送られてくる仕組みは情報が少なかった当時有益だったのかもしれない。70年代に破綻して事業は停止した。

現代の視点から見るとどうなのか。レコード盤のクオリティは悪くはない、十分な厚みがあり重量盤とはいえないまでも、そこそこの重さがある。レーベルは日本語表記だが、国内プレスかどうかは不明。(Made in Japan表記、JISマークの刻印なし)ジャケットはボール紙(中間に古紙層がある)ではなくやや厚めの用紙を使用している。ジャケットでレコードを保護するという感じではない。内容物はレコード保護袋のみ。解説は裏面に記載(日本語)

演奏者については前回触れたシューリヒトやミュンシュが指揮者として名を連ね、ピアニストのリリー・クラウスの演奏もある。その一方、全く無名の指揮者、無名のオーケストラ(Wikipediaの表現を借りれば幽霊オーケストラ)の演奏もあり(大多数がそうだった?)他のレーベルで再発されているのはごく一部なのかもしれない。(再発されているのは名演確定?)
ただ、そうなるとむしろ貴重で(演奏、録音の良し悪しはあるにせよ)Concert Hall Societyレーベルのレコードでしか聞けない演奏が存在するということになる。見つけたら買ってしまうかもしれない。


ちなみに同じハードオフにも複数枚Concert Hall Societyレーベルのレコードがあったので買ってみた。

次のようなラインナップだった。

パウル・クレツキー指揮  ベートーベン交響曲第1番、第5

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パウル・クレツキー指揮  ベートーベン交響曲第3番「英雄」

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パウル・クレツキー指揮  ベートーベン交響曲第6番「田園」

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クレツキーは渋い指揮者でこれらの録音のあとチェコフィルでベートーベン全集を出している。

ヴラド・ペルルミュテール(ピアノ) ショパン 前奏曲125
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いずれも古いレコードで状態は良くなかったが、そのうち数枚はレコード盤全体に薄い膜がかかったような状態で常時ノイズが出る感じであった。(経年劣化もしくは保管に問題があったと思われる)これは演奏を評価できない。
比較的状態の良かった「英雄」をしっかり聞いてみた。演奏自体は悪くないと思う(むしろ統制の取れた骨太なベートーベンだと思う)が録音がナローレンジで、やや広がり感が乏しい。(最初モノラルかと思った)一流の録音とはいえない。クレツキーのベートーベンというだけで価値はあるかもしれないが…
盤の状態次第で集めるのもあリかも…いや、どうだろう…





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