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天稚彦草子①-異郷譚5ー

 「天稚彦草子」は異郷譚というよりむしろ変身譚ですし、行くのもこの世の異郷ではなく天の世界です。念のため他に誰か訳していないかと検索しましたら、福福亭とん平という方が2020年には訳しておいででした。「新潮古典集成」等にもいくつか紹介されています。拙い訳で恥ずかしんのですが、とりあえず訳してみました。

上巻

 昔、とある長者の家の軒先で下女が洗い物をしていました。すると巨大な蛇が出て来て、「私の言う事を聞きなさい。もし聞かないのなら巻きついてしまうぞ。」と言うと、下女は、「どういうことでしょう。私でよろしければお伺い申し上げましょう。」と答えますと、蛇は口から書き付けを吐き出して、「この家の長者にこの文をとらせなさい。」と言います。下女はその文を持って参ります。長者がすぐさま開けて見ると、「三人の娘を私にください。もし私に娶らせないならば、あなたがた父母に取りついて殺してしまいましょう。私たちの披露宴の屋としては、そこそこの池の前に釣殿を建てて、十七間の家を作りなさい。我が身はそこに座を占めて待っているよ。」と書かれています。これを父母は見て泣くばかりです。

 長女の娘を呼んでこれこれと言うと、「ああとんでもないことです。たとえ殺されそうになってもそんなことはいたしません。」と言います。中の娘に言うと、二女も同様に答えます。三女は一番の愛娘(まなむすめ)でしたので泣く泣く呼んで言うと、「父上母上の命を取られるぐらいなら、私がどうなってもかまいません。仰せの通りいたしましょう。」と答えます。父母の悲しさは限りなく、涙ながらに送り出します。蛇が言いつけた池の前に家を作って末娘を連れて参り、たった一人置いて人々は帰りました。

 亥の刻(午後十時)ほどかと思う時に、風がざっと吹いて雨がぱらぱらとと降り、雷・稲妻がぴかぴかとして沖中から波が高く立つように見えて、姫君は、生きた心地もせず、恐ろしさはどうしようもなく、今にも死にそうにして居ますと、十七間に余るほどの巨大な蛇が来て言います。「私を恐ろしいと思わないでください。刀を持っていますか。持っていたなら私の頭を斬りなさい。」と。姫君は恐ろしさに泣きそうになりますが、持っていた爪切り刀で斬るとたやすく切れてしまいます。そこから直衣を着たじつに美しい男が飛び出してきました。男は抜け出た蛇の皮を体に纏って、姫君と小さな唐櫃に入りこんで二人で床を共にします。姫君は恐ろしさも忘れて男と語らいながら添い寝をします。

 このようにしてお互に愛し合って暮らします。この唐櫃は物は夥しく湧き出るようで、ほしいと思う物でないものはなく、この上なく幸せです。従者眷属も唐櫃から多くの者がとび出てお仕えしています。ところが、男はある時、「私は実は海竜王なのです。さらに空にも通わねばならない用事もあります。このほに行かなければならない事が出来たので、明日・明後日あたりに空へ上ろうと思います。七日を過ぎたなら帰りましょう。心ならずも帰らぬ事あったなら二七日(十四日)待ちなさい。それにも遅れるようならば三七日待ちなさい。それ以上過ぎたならもう帰ってこないと思ってください。」と言います。姫君が「そうなったらどうしたらいいのでしょう。」と尋ねると、男は、「西の京を尋ねなさい。そこに女がいます。一夜杓(ひさご)という物を持っています。その女に物を取らせて杓子を手に入れて天に上りなさい。それでも天に上る事は大事であるから難しいかもしれません。もし運よく上ったならば、道で会う者に天稚彦のいらっしゃる所はどこですかと尋ねて来なさい。」と言います。そして、「いいかい、この物の出てくる唐櫃はいかなる事があっても開けてはいけないよ。これもし開けたら帰ってこれなくなるのですよ。」と言って空へ上りました。

 そうしていると、姉娘たちが末娘の家に、すばらしい品々を見ようと遊びに来ました。そうして面白がっていましたが、「私たちは運悪くこの結婚話を恐ろしいことだと思ってしまったのね。」などち言いながら、様々な物どもを開けて見ていて、「あなたの旦那が開けるなと言った唐櫃を開けなさいよ。見ましょう見ましょう。」と口々に言いますが、姫君が「その鍵がわかりません。」と答えると、「是が非でも鍵を出しなさい。どうして隠すの。」と姉たちが妹の体をくすぐると、姫君は鍵を袴の腰に結ひつけていたのですが、それが几帳に当たって音がしたので、「なんとほらここにあったよ。」と言って、その唐櫃をわけもなく開けてしまいました。すると中は空っぽで、煙だけが空へ上っていきました。何も出てこないのでがっかりした姉どもは帰っていきます。

 その後、三七日待ったのですが男は帰ってきません。言われた通りに西の京に行って、女に会って金品を与えて一夜杓を手に入れました。それに乗っていざ空へ上ろうとしましたが、親たちが、娘は行方知らずになったとお聞きなさっては、嘆きなさると思うと悲しくてならず、「もう故郷は見られないのだなあ。」とおのずと振り返り見て、

  会ふことのいざしら雲の中空に漂ひぬべき身をいかにせん

  (再び逢うことはさあいつになるかは知りません。その「しら」ではないのです

  が、しら雲(白雲)のように中空を漂っている我が身をどうしたらいいのでしょう

  か。)

原文

 昔、長者の家の前に女物洗ひてありける。大きなる蛇(くちなは)出で来ていふやう、「我がいはむ事聞きてむや。聞かぬものならば*押し巻きてむ。」といへば、女、「何事にてか侍らむ。身に耐へん程の事はいかでか聞き侍らでは。」といへば、蛇、口より文を吐き出だして、「このうちの長者にこの文をとらせよ。」といふ。持ちて去ぬ。やがて明けて見るに、「三人の娘給(た)べ。取らせずは父(てて)をも母をも取り殺してん。その*儲(まう)けの屋には、そこそこの池の前に釣殿をして、十七間の家を作りたるに、我が身はそれに*はばかるぞ。」といひたり。これを父母(ててはは)見て泣くこと限りなし。

 大娘を呼びていへば、「あな思ひかけず。死ぬる色なりともさる事はし候はじ。」といふ。中娘にいへば、それも同じ事にいふ。三の娘は一の愛(かな)し子にてありければ泣く泣く呼びていへば、「父母取らせむよりは、われこそいかにもならめ。」といふ。あはれさ限りなくて泣く泣く出だし立つ。蛇のいひたりし池の前に家を作りて率て往ぬ。ただ一人据えて人々帰りぬ。

 亥の時ばかりならむと思ふ程に、風さと吹きて雨はらはらと降り、雷・稲妻ひらひらとして沖中より浪高く立つやうに見ゆれば、姫君、生きたるか死にたるかと思ひて、恐ろしさせむ方なく、あるかなきかにて居たるに、十七間にはばかるほどの蛇来ていふやう、「我を恐ろしと思ふ事なかれ。もし刀や持ちたる。我が頭斬れ。」といへば、恐ろしさ悲しけれども、爪切り刀にてやすく切れぬ。直衣着たる男のまことに美しきが走り出でて皮をばかい纏ひて小唐櫃に入りて二人臥しぬ。恐ろしさも忘れて語らひ臥しぬ。

(注)押し巻きてむ=蛇身を体に巻き付けるぞ。

   儲けの屋=婚礼の饗宴をする屋敷。

   はばかる=幅いっぱいにのさばっている、の意か。

 かくて相思ひて住むほどに、よろづの物多くてありける所なりければ、取り出だしてなき物なく楽しき事限りなし。従者眷属(ずんざけむぞく)多くあるほどに、この男いふやう、「我はまことには海竜王にてありしが、また空にも通ふ事あり。このほどに行くべき事あれば、明日・明後日ばかり空へ上りなんするぞ。七日過ぎて帰らんずるぞ、その心ならず、帰らぬ事あらば二七日を待て。それになほ遅くは三七日を待て。それに来ずばなかなか来まじきと思へ。」といへば、「さらばいかにせんずる。」といへば、男いふやう、「西の京に女あり。*一夜杓(ひさご)といふ物持ちたり。それに物を取らせて上れ。それも大事にて上り得む事難からむ。もし上りたらば、道に会はむ者に天稚彦のおはする所はいづくぞと問ひて来よ。」といふ。「この物入りたる唐櫃をば、あなかしこいかなりとも開くな。これだに開けたらばえ帰り来まじきぞ。」とて空へ上りぬ。

 さて、姉娘どもこの家に来て、めでたき事を見むとて来あひたる。かく楽しうておはしましけるに、「我ら*果報の悪くて恐ろしとも思ひけるぞ。」などいひつつ、よろづの物ども開けつつ見るに、「このな開けそといひし唐櫃を開けよ。見む見む。」といひあひたるに、「その鍵知らず。」といへば、「構へて鍵取り出でよ。など隠すぞ。」と姉ども*こそぐりけるに、鍵を袴の腰に結ひつけたりけるが、*木丁(きちやう)に当たりて音のしければ、「*なとくはありけるは。」といひて、その唐櫃をさうなく開けてけり。物はなくて、煙空へ上りぬ。かくて姉ども帰りぬ。

 三七日待てども見えざりければ、いひしままに西の京へ行きて、女に会ひて物ども取らせて一夜杓に乗りて空へ上らんと思ふに行方なく聞きなし給ひて、親たちの嘆き給はん事を思ふにいと悲しく、「今はふるさと見るまじきぞかし。」と返り見のみせれれて、

  会ふこともいざ*しら雲の中空に漂ひぬべき身をいかにせん

(注)一夜杓=未詳。柄杓なのか、瓢箪なのか。「集成」では一夜で成長する瓢箪か夕

    顔との語注があるが、瓢箪には空を飛べる霊性があるのだろうか。柄杓だとし

    たら北斗七星が連想される。

   果報=前世の報い。ここでは運が悪い程度の意か。 

   こそぐり=くすぐる。

   木丁=几帳。

   なとくは=なんとほら。

   しら雲=「いざ知らず」と「白雲」の掛詞。

 




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