「塵荊鈔」は室町時代成立の「類書(百科事典)」といっていいのでしょうか。問答体で書かれていて、仏教・文字・和歌・連歌・物語・歴史・武具や遊芸、音楽など広範の事象について解説された書物です。これ一冊あれば、僧侶や武士としての教養が網羅できるもののようです。国立国会図書館蔵の一本が現存するだけの孤本で、市古貞治先生編で昭和59年に古典文庫から翻刻出版されました。平成14年に松原一義先生の「『塵荊鈔』の研究」という大著が上梓されています。
怠け者で蒙昧と過度に謙遜する作者(語り手)が、作者の元に宿を借りた小座頭の語る早物語が心に残ったので、それを筆録したとの体裁を取っています。内容は比叡山の稚児、玉若と花若が老師匠の前で問答をするというものです。全体は11巻からなりますが、小座頭が早物語をして作者が感動したと思われるような物語的な展開は巻一と巻十一だけで巻二から巻十までは玉若、花若がちょっと顔を出すようですが、ほぼ事項の解説だけのようです。ですから、小座頭が語った、老僧から寵愛された玉若が死んでいく悲しい物語に、作者が百科事典的な内容を問答の形で差し込んで大部な一本十一巻に仕立てたという事でしょう。その巻一と巻十一が「稚児物語」的という事で、その部分を私なりに解釈してみたいと思いました。
本文は変体漢文で書かれていて、漢語・仏語が難解で、作者の教養の高さと私の無知さが思い知らされましたが、現在の人が読んでもまあわかるかな?ぐらいに訳してみます。固有名詞に気づかなかったり、思い込みでとんでもない訳になっているところがあるかもしれません。古典文庫「塵荊鈔」は非売品ですが、古書店には出回っているので、正確に読みたい方は、ご入手されるか図書館で手に取るといいと思います。
第一
観喜苑の春の花は、盛者必衰の道理を示すものの、無常の風に萎んでしまい、広寒宮の秋の月は、会者定離の実相を顕しますが、有為(無常と同義)の雲に隠れてしまいます。それなのに我々芭蕉泡沫の空しい身で、どうして電光朝露のはかないこの世で心を動かさないことがありましょう。どうしてもこの世に惑わされてしまいます。その心地は、観寿無量経には、「受け難き人身、値ひ難きは仏教(この世に人として生を受けるのは稀有な事だし、仏教に出会えるのはさらに稀な事だ)」と書いてあります。悲しいことに、私はたまたま人界に生を受けましたが、その智慧が劣っていて、蛍雪鑽仰といった学問への取り組みも怠惰で、金の烏の宿る太陽が空しく飛ぶように時がたって、既に釈門(仏門)に入りながらも、その性が信心深くなく、修善行法を怠り、銀の兎が住むという月が移りゆくようにいたずらに時が流れてしまいました。そればかりか、粗野な煩悩に繋がれて、ただはかない夢の中の名声利益に執着して、四重五逆の罪に当たることも恐れずに、悪の道に帰せんとしたことは、たとえていえば、生死流転の迷いの海に漂いながら悟りの境に至らず、輪廻する様子は、春に蚕が繭を作っても有無二見の妄執の糸を身に纏っているようなもので、秋に蛾が灯火に吸い込まれるように、ものを貪り求める羽を、生死の炎に打ちつけて焦がれるようなものです。なんとも疎かな所行であったことでしょうか。
私は「人は本来仏性を持っていて、学が成れば徳は顕れるのだ。」と思っています。古人は言います、「崑崙竹はまだ切られていない。だから笙は出来上がらず鳳凰の音色のような笛の音は聞こえない。同様に精誠が練られていないから、神のような明晰さは発揮できないのだ。」と。過去の荘厳劫、現在の賢劫、未来の星宿劫のすべての世に三千仏は世に出現しなさって、我らに仏の法を施しなさったのです。如来の大いなる徳は、この一身に備わっているはずです。仏の導きに喜んで従う事は難しい事でありましょうか。もしそれができないとしたらそれは、ひとえに塵巷で人と交わる所以でしょう。「一心三観」の経文にも、「海辺に居て、寄せ来る波に心を洗ひ、谷深きに隠れて、峯の松風に思ひを澄ます。(海辺で寄せ来る波に心を洗って、深い谷に隠棲して峰の松風に心を澄まして、俗世間を離れて悟りを目指すべきである)」と書かれています。法華経序品にも、「入於深山 思惟仏道」と説きなされています。みすぼらしくとも俗衣は奥山に捨てて、心の色も墨染に変えて、水源の清らかな滝つ瀬に煩悩の塵を洗い棄てて、菩薩(悟りの境地)に辿り着きたいものです。
殊更、最近は無常の色質が視界を遮り、遷滅(生死が遷りゆくこと)の音声が耳に満ちて、空しい思いにとらわれていました。そのような折節、とある琵琶法師の小座頭が、学問のために奥州から上洛する道すがら一宿を所望されました。長い行旅であり、日もすでに暮れかかっていたので、垂木三本の粗末な庵に招き入れ、粗茶淡飯の粗末な食事を供しました。夜に及んで、小座頭はおのずと早物語り語ってくれました。苔の筵のような粗末な寝床で旅寝の枕を押しのけて、夜を徹して語った中で、とりわけ天台山(比叡山)のさる院家にいらっしゃった花若殿・玉若殿という学匠の稚児、二人の思いもよらない顛末は心に残りました。肘の枕を傾けて、五濁のこの世の眠りを覚ましながら、玄妙奇特な話に感銘し、哀傷悲歎の語りに驚嘆したのです。その感激に堪えず、聞いたことを、筆(水茎の)跡を以って、水茎の浮く難波ではないけれど、難波の葭や葦ではないが良し悪し書き集めました。搔き集めた藻塩草ではないが、もし見る人がいたならば、眼の裏の塵のように、もし聞く人がいれば耳の中の荊のように視覚・聴覚を妨げるものとなるかもしれません。それでこの書を「塵荊鈔」と名付けました。
私は幼いころから万年山相国寺の金の扁額の下にお仕えし、清浄なる聖僧に交わっていました。ある時は姑射鳳闕(皇居宮城)に参内して、帝の錦帳玉座の傍らに伺候し、嬪嬙(中宮女御)のお言葉を取次ぎ、縉紳(公卿殿上人)と座を交えました。ある時は柳営幕下(室町将軍)に謁見し、八俊の士や七貴の族といった武士たちを、見下してないがしろにする事もございました。そうして九夏三伏の夏の暑い日盛りには、宮中の玉簾の内で燕の昭王の持っていたという招涼の珠を弄ぶように、もしくは班婕妤が「怨歌行」に詠んだように団雪の扇で涼み、玄冬素月の寒い夜は、錦の茵(しとね・敷物、座布団)の上で、寵臣羊琇が唐帝の自ら傾けた盃を受け、獣炭の囲炉裏を囲んだように時を得てほしいままにしていたのです。
さて、私は壮年の頃にとある理由で相国寺の寺籍を離れて、東にさすらい西にとどまり、とうとう未開ともいうべき僻遠の地に身を潜め、幾星霜を積みました。その間は文籍を閲する業も絶え、硯や筆にも塵が積もって姓名さえ書く事が出来なくなりました。異国(唐)の事は、門に入っても(誰かに招かれても、の意か)古詩を話題とすることもできません。敷島の道(和歌)については道を行き人に会っても、和歌の才能の余りが残っていたので、たまたま遺遊(貴遊?)末席に加わって文章学問を聞いても、おのずと耳がしいえるようで聴いても理解できません。まさにのどの乾いた驥(駿馬)が泉を通り過ぎるようなものです。稀に雅名宴の下座に侍して文字を見ても、おのずと目がくらんで見る事が出来ません。蟄竜(地に潜む竜)が陽光に背を向けているようなものです。(不遇で才能が衰えてしまった譬えか。謙遜。)そのような私ですから、書いたものは、仮名文字の読み方も、漢字の意味、事の筋道は錯乱し、時の前後は相違し、者之乎の助字は誤り、烏焉馬の書き間違いはあろうと思います。後にこれを見る緇素(僧俗の方々)は、恩愛・慈悲を下さり、添削を加えてこの「塵荊鈔」の誤りを正し、私を「一盲衆盲を引く(誤った者が皆を過ちに導く)」ような業果からお救い下さい。
古人は言います。「遊宴舞曲も第一義(最高の道理)に帰し、風声水音もこの世の実相を離れない。世間の浅はかな行為も法性の深義を顕すのは如来方便の教えである。」とか。山は笊で土をかぶせる。その積み重ねで成るのです。大河は盃からこぼれる一杯の水から起こるのです。「塵荊鈔」は狂言綺語の戯れのようなものですが、仏乗を讃える因となり、法輪を転ずる縁と成す為に(仏道を広く知らしめるために)、忸怩慚汗、恥ずかしい思いをも 顧みず、強いて小座頭の物語に聞く事を筆録して、永く童蒙の嘲けりとなるようなこの書を残すのです。
原文
第一
*観喜苑の春の花、盛者必衰の理を示すに、無常の風に萎(しぼ)み、*広寒宮の秋の月、会者定離の相を顕はして、有為の雲に隠る。然るに我ら*芭蕉泡沫の身を以つて何ぞ *電光朝露の世に心を驚かさざらん心地、*観経に云はく、「受け難き人身、値(あ)ひ難きは仏教」と。悲しいかな、偶々人界に生を受くと云へどもその智*下機にして蛍雪鑽仰の学に懶(ものう)く、*金烏空しく飛びて、已に釈門に肩を入れながら、その性不信にして修善行法の業に怠り、*銀兎徒に走る。剰(あまつさ)へ*麁強の見思に繋がれ、ただ夢中の名利に貪着して四重五逆の過(とが)をも恐れず再び三たび悪の旧里に皈(かへ)らん事、譬(たと)へば*生死海中に出没し境上に遷らず、輪廻する有様、春に蚕の繭を作り、*二見(にけん)の糸を以つて形質を纏ひ、秋に蛾の灯に趣き、貪愛の翅を以つて生死の火輪を撲するがごとし。
(注)歓喜苑=歓喜園。釈迦の生誕したインドのルンビニの異称。または忉利天の帝釈
の居城にある園。
広寒宮=月の都にあるという宮殿。
芭蕉泡沫=「芭蕉」はバショウ科の植物。果実の皮を剝いても果肉ばかりで種が
ないことから空しいもののたとえ。バナナに種がないという事。
電光朝露=はかないものの形容。
観経=観無量寿経。大乗経典の一つ。引用文がどこにあるかは未確認。ただ、高
野本「平家物語」、日蓮「守護国家論」、道元「修証義」などに用例が見える
事から、「受け難き人身、値ひ難きは仏教」という句はよく知られた表現であ
ったのだろう。
下機=下根。教えを受けるものとしての資質に劣った者。
金烏=太陽に住んでいる烏。太陽の異称。
銀兎=月にいるという兎。月の異称。
麁強の見思=「麁強」は荒々しい事。「見思」は見惑と思惑、煩悩の事。
生死海=生死の海。生死流転の迷いの境界を海にたとえていう語。
二見=有無の二見。有と無の対立するいずれかの一方を極端に固執する誤った考
え方。
蓋し、「*人の性は霊を含む、学の成るを待つて徳を顕はす。」と。古人云はく、「*崑竹未だ剪らず、鳳音彰れず、精誠未だ練らず、神明発せず。」と。*過去の荘厳劫、現在の賢劫、未来の星宿劫に三千仏出世し給ふ、如来の万徳、尚ほ一身に備はれり。*随宜の一門、豈に難きを得るや。是も只聚落交衆の故ぞかし。*心観の文にも、「海辺に居て、寄せ来る波に心を洗ひ、谷深きに隠れて、峯の松風に思ひを澄ます。」と。*法華にも、「入於深山 思惟仏道」と説き給ふ。哀しげに身を奥山に衣を棄て、心の色を染め替へて、源清き滝津瀬に煩悩の塵を濯(あら)ひ棄て、菩薩の岸に到らばや。
(注)人の性は・・・=勝海舟の揮毫に「人性含霊」というのがあるらしい。禅語か。
人は霊妙な心識を持っているという事か。
崑竹未だ剪らず、鳳音彰れず=日本国語大辞典「鳳管」の「(中国で、黄帝から
楽律を作るように命ぜられた伶倫が、嶰谷(かいこく)という谷の竹で笙を作
り崑崙山の下で鳳凰の鳴き声をきいて十ニ律を定めたという伝説から笙の異
称。」とある。物事の未だならざるの譬えか。
過去の荘厳劫、現在の賢劫、未来の星宿劫=三劫。
随宜=衆生の仏法を受け入れる素質能力に従う事。その時の事情に応じて取り計
らう事。
心観の文=天台宗で説く「一心三観」の経文か。続く引用は出典未詳。
殊更傾(このごろ)は*無常の色質眼を遮り、*遷滅の音声耳に満つる折節、一人の*小座頭学文の為に奥州より上洛とて、一宿を望む。長途の行旅なり、日已に暮(ゆふべ)に薄(せま)る間、*三椽(さんてん)の弊廬に請じ、*麁(粗)茶淡飲(飯?)を与ふる所に、自づから苔席に草の枕を押しのけ、終宵*早物語をし侍る中に、天台山去る院家に御座す花若殿、玉若殿と云ふ学匠の児、二人の始末の不思議を語るを聞きて、*曲肱の枕を欹(そばだ)て*五濁の眠りを覚ましつつ、玄妙奇特肝に命じ、哀傷悲歎魂を消す。為方(せんかた)無さの余り、聞く事をのみ*水茎の跡も難波のよしあしと掻き集めたる藻塩草、若し是を見る人有らば*眼の裏の塵、若し又聞く人有らば耳の中の荊(おどろ)ともならん。故に是を名付けて「塵荊鈔」と云ふ。
(注)無常、遷滅=対をなす言葉のようである。いずれもマイナスのイメージ。
小座頭=年若い座頭。若い僧体の芸人。
三椽=椽(たるき)。棟から軒へ斜めに渡す材。それが三本しかないので、狭い
粗末な庵であろう。
麁茶淡飲=「粗茶淡飯」と言う熟語はあり、粗末な食事。
早物語=盲人による語り芸能の一つ。面白い物語や口上などを即興的に早口でス
ラスラ語るもの。
曲肱の枕=貧しくて肘を枕にする事。
五濁の眠り=濁ったこの世の眠り。
水茎の・・・=以下、水茎(筆跡)、難波のよしあし(葭葦)、藻塩草(若し)
と縁語で結ぶ。
眼の裏の塵・耳の中の荊=視覚・聴覚を妨げるもの。
*吾儕(わなみ)丱童(くわんどう)より名を*万年の金牓に隷し、交はりを*清浄海衆に取れり。或る時は*姑射鳳闕に趨(はし)つて、錦帳玉座の傍らに侍り、嬪嬙の語るを伝へ、縉紳と座を交ふ。或る時は*柳営(りゆうえい)幕下に謁し*八俊の士を見下し、*七貴の族(ともがら)を蔑如(ないがしろ)にす。去るは*九夏三伏の炎日は玉簾の内に*燕王の招涼の珠を弄び、*婕妤が団雪の扇を握り、玄冬素月の寒き夜は、錦の茵(しとね)上に*唐帝の自ら暖め盃を傾け、*羊琇が獣炭の爐を囲みき。
(注)吾儕=一人称。私は。
万年の金牓に隷し=「万年」は万年山相国寺。足利義満が創建した。京都五山の
一つ。「金牓」は金の扁額で「隷し」は所属する、仕えるか。
清浄海衆=清浄で海のように広大な浄土の聖者たち。
姑射鳳闕=皇居宮城。
柳営=幕府。
八俊・七貴=「三君八俊」「五侯七貴」はともに中国の王朝の序列。二番
手にあたる武士階級か。
燕王の招涼の珠=燕の昭王の持っていたと言われる、夏の暑い時でも自
然と涼しさをまねき寄せる珠。
婕妤=班婕妤。前漢成帝の女官。詩人。「団雪の扇」は帝の寵愛を失った女の譬
え。「怨歌行」 詩に拠る。
羊琇が獣炭の爐=羊琇は晋の武帝の寵臣。晋書羊琇伝に「琇性豪侈、費用無複齊
限、而屑炭和作獣形以温酒」とある。贅沢を好んだ。婕妤の例とともに時流に
乗って栄えた例であろうが、相国寺の稚児か若い僧侶がどうやって禁中や幕府
に出入りし、帝の寵愛を受けたのであろうか。出自はどのような名家であった
のだろうか。
爰(ここ)に壮年の比(ころ)故を以つて相国の籍を辞して、東に漂へ西に泊まる。聿(つひ)に*断髪文身の地に潜(かく)す。星霜既に積もれり。然る間文籍の業絶え、硯筆塵積もりて姓名をさへ記す事叶はず。異域の事跡、門に入りても、古詩の*話欛(わは)を執らず、敷島の道行き、人に値(あ)ひても、和歌の余財を捨てざれば、偶(たまたま)遺遊の末席に陪して文章を聆(き)く時は、性自ら聾(みみし)ひて聴く事を得ず。只*渇驥の泉を過ぐるに似たり。稀に雅宴座下に待ちて、文字を睹(み)る時は心自ら盲(めしひ)て見る事を得ず。偏に蟄竜の陽に背くがごとし。和字の訓、漢字の釈、事理の錯乱、前後の相違、*者之乎言の端の失、*烏焉馬字体の誤り、後見の*緇素、恩慈を垂れ、筆削を加へて、*一盲衆盲を引く業果を救ひ給へ。
(注)断髪文身=未開の風習。中国では呉越の風俗とされるが、田舎の意か。古典文庫
では傍注に「越」とあるが、「呉越」の「越」で「越の国」ではないだろう。
話欛=話柄。話題。正直、もっと普通の漢字使えよ。衒学的過ぎ。
渇驥の泉を過ぐる=「渇驥奔泉」という熟語は勢いが非常に激しい事の譬え。
者之乎=中国の成語に「者也之乎」「之乎者也」がある。宋の趙匡胤の逸話によ
るようである。者・之・乎は中国語の虚字とか助字とか呼ばれるもの。
烏焉馬=字形が似ていて誤りやすい字。
緇素=僧俗。
一盲衆盲を引く=一人の盲者が多くの盲者の先に立って誤った方向へ導く事。誤
った指導者が無知の学人を誤った方向へ導く事。
*古人の曰く、「遊宴舞曲も*第一義に皈し、風声水音も実相を離れず、世間の浅名を以つて法性の深義を顕すは如来方便の教へ」と云々。山は*覆簣より成り、江は*濫觴より起こるなれば、加(斯)様(かやう)の狂言綺語の戯れを以つて、*讃仏乗の因、*転法輪の縁と成さん為に、*忸怩慚汗を 顧みず、強いて此の物語に聞く事を録して、永く童蒙の嘲きを残すものなり。
(注)第一義=最高の道理。究極の真理。勝義。
覆簣=簣(こも)を覆うとは、コモで土を一つ乗せる事。それが重なって山がで
きる。論語子罕第九の「譬如爲山。未成一簣。止吾止也。譬如平地。雖
覆一簣。進吾往也。」を踏まえる。
濫觴=物事の始まり。觴(杯)を濫(うか)べるほどの細流。
讃仏乗=仏の教えを讃える事。「狂言綺語の理と云ひながら、つひに讃仏乗の因
となるこそあはれなれ」(平家物語巻九・敦盛最期)
転法輪=仏の説法。
忸怩慚汗=ひどく恥じ入って汗をかく事。