こんにちわ。rekikakkunです。
神戸観光2日目、三木城包囲戦探訪を綴っています。
前回まで、下図の①~⑥を探訪ご紹介致しました。
①竹中半兵衛の墓
②竹中半兵衛陣所跡
③中華料理店一貫楼
④平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)
⑤法界寺山ノ上付城跡
⑥朝日ヶ丘土塁跡
(下の地図の番号をクリックすると探訪先が出てきます)
今回は三木城包囲戦シリーズ最後となります、
⑦三木城とみき資料館に伺います。
⑦三木城とみき歴史資料館
さて、いよいよ⑦三木城探訪に向かいます。
⑦の三木城は、それまで訪問した①②④と⑤⑥の
秀吉包囲軍の付城陣地の中間にあたります。
まず最初に、二の丸跡の三木市立みき歴史資料館
へ伺います。



赤丸の三木城を黄色線の付城、土塁等で包囲している。
(ただし実際は内側や川向うにも、多くの付城群があります。)
上図の左下(黄色線の左端)に、前回探訪しました
法界寺山ノ上付城があり、2つの方形曲輪が見えます。

そして右側に土塁が続いていますね~。
現地に行っているので、図を見て直ぐにこれだと分かります。👍

三方を川で囲われ、残り1方が台地の急斜面と
山谷による天然堀の要害です。

別所氏は東播磨八郡の守護代に任じられ、
東播磨最大の勢力だったとあります。

これ、実際の別所氏の勢力が可視化されて分かり易いですね~。
付城についても説明があります。

少し離れた安全な所に付城を構築。

防衛力を強化した築城構造になっている。
第3期は包囲を狭め、大軍を駐屯できる最前線構造。
この他にも出土品の写真や三木城、付城の詳細な説明等、
三木城の歴史的な価値を伝える多くの展示がありました。
今まで三木城の要害性や付城包囲網、別所氏の支配域、
史跡の状態等、分からなかったところが良く分かりました。👍
~さて、三木城の本丸に向かいます~





そして本丸からの眺望、高さを確認します。
本丸北西側に流れる美嚢川方向が、台地の端になります。






別所氏最後の当主別所長治は、13歳の若さで家督を継ぎ、
織田軍との2年に及ぶ籠城戦の末、23歳の時に開城し、
天正8年1月、城兵の命と引き換えに潔く自刃します。
ただしそのまた2年半後の天正10年には、
信長も本能寺の変で自刃するという、過酷さです。
三木の干殺しとも言われるこの籠城戦は、
包囲付城群により補給路を断たれた城兵の
食料が尽き、多くの飢え死を生じさせた
悲惨な兵糧戦を後世に伝えています。
今回は日帰り(神戸からの)で、
三木城はほぼ本丸しか見ておらず、
付城群も10分の1も見ていません。
それでも実際に行ってみて、攻守共とてつもない
土木量と規模を、少しだけでも伺い知る事が
出来ました。
土の城好きには必見の所だと思います。
レンタカーを返しました。
そして夜おなかが空いたので南京町に繰り出しましたが、
ちょっと遅くて、出店が少しだけ営業してました。

う~む、
冷めて干からびていたので、美味しくなかったです。
・・・と、ここまでの2日間は一人歴史旅でしたので、
食事はなんか今一、訪問先も私の趣味で枯れ木と土
だらけで、写真映えしませんでしたね。😞
ただし明日からの2日間は、かみさんが合流
するので、次回は少し華やかな写真
(・・・普通の観光写真)を掲載予定です。
少ないですが (;´∀`)。
あと、10月後半は旅を計画しており、
アクセス少となります。
ほんとに行けたら記事にしますね。
ご高覧ありがとうございましたm(__)m