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<小田原北条氏の防衛戦(その31)>豊臣秀吉の石垣山城築城と北条氏の降伏

 

こんにちは、rekikakkunです。

 

今回は、いよいよ小田原北条氏の防衛戦

シリーズのラスト、北条氏の小田原開城

決定づけた石垣山城を探訪します。

 

1.石垣山城探訪

 石垣山城小田原城の西南、早川を挟んだ

 衣笠山(きぬがさやま)に築城されました。

 

 車で国道1号線から一夜城下通リに入り、

 石垣山城へ進みます。 

石垣山城へ進む道

1)小田原城遠望

  途中小田原城下が見渡せたので、遠望しました。

石垣山の途中、小田原城全景
正面見えてる所が、全部戦国小田原城

 

石垣山城の山麓から見た小田原城

  戦国時代にこんな大規模の城は無かったと

 思いますので、豊臣方も驚いたと思います。

石垣山城と小田原城遠望
黄色丸辺りから小田原城を見てます

小田原城の西側を構成している天神山丘陵の傾斜
(写真右側が相模湾

小田原城天守閣拡大

写真中央の半分住宅開拓されてる丘陵が、
細川忠興が布陣した富士山砦

 因みに、小田原城から石垣山を見ると・・・

小田原城三の丸土塁(場内でも石垣山が見易い所)

上の写真のところから見た石垣山

少し拡大

 これを見ても石垣山城から小田原城への脅威は、

 感じられそうですし、築城工事も見えてますよね~。

 

2)石垣山城入口

 それでは石垣山城に入ります。

駐車場に到着しました。
正面が石垣山城入口です。

石垣山城 案内図

石垣山城 説明版

入ります

早速石垣です
(南曲輪の南面石垣)

石垣拡大

南曲輪の石垣
地震で崩れた感じがします

石垣山城 説明板2

整備された道を歩きます

直ぐに別の石垣が現れました
(二の丸東面の石垣)

歩きます

3)二の丸(馬屋曲輪)

広場に着きました

二の丸(馬屋曲輪)だそうです

4)本丸

二の丸の西側が本丸です。

本丸への入口

本丸の石垣
小田原城側に石垣なので、見える
(見せる)本丸石垣だったのかな?

今は野原の本丸

本丸内を西側に進むと遠くに天守台の
盛り上がりがありそうです

徹底的に破城された感じの天守台と残存石垣

 関東大震災で大部分の石垣が崩れたとなってますが、

 この天守台の状態は破壊された感じがしました。

 

5)西曲輪

西曲輪と本丸西側の石垣
ここの石垣は小田原城から見えないな~

西曲輪


6)本丸南側周辺

西曲輪の南側

来るときに見た石垣

隙間から見えた小田原と相模湾

本丸周辺をぐるっと回って、本丸の南東部に着きました

7)井戸曲輪

 石垣山城で最も石垣が現存していると言われる、

 井戸曲輪へ行きます。

井戸曲輪への道

井戸曲輪に着きました

井戸曲輪 説明板

井戸曲輪石垣

井戸曲輪石垣 迫力あります
関東大震災に耐えたと書かれています

井戸曲輪石垣

井戸曲輪全体
谷は南東方向に落ちているので、南と東側を石垣で遮蔽し、
北と西側は斜面を使って石塁になってると思います。
(現地説明板の東西が逆なのでは?)

小田原の街と相模湾

小田原拡大
中央鉄塔の左に小原城天守閣。
全体風景は秀吉が見ていた景色に近いかも

 

駐車場に一夜城鎧塚ファームがあります。
パン、ケーキ、レストランがありますが当日は休業日でした😂


2.小田原城開城

 1590年(天正18年)

  ・6月23日 八王子城落城

  ・6月24日 韮山城開城

  ・6月26日 石垣山城へ秀吉が入城

    ある意味小田原城からは見えない早雲寺から、

    大将秀吉が目の前の石垣山城に動座したのを

    アピールしたことも大きいでしょうか。

 

 石垣山城は周辺の樹木を一夜で伐採して、

 1日で作ったように見せたとも言われていますが、

 実際は秀吉入城まで約80日かかってるとの事です。

 

 多少の突発性はあったかもしれませんが、

 まあ夜はかがり火がたかれ、曲輪を作るには

 伐採しなければならず、最初から小田原城

 から見えていたことでしょう。

 

 逆に見たことない土木量で石垣造りの城が

 構築されていくのを、毎日見せつけられ、

 精神的に苦しいですよね~。 

 

 そして忍城以外の城も攻略され、

 7月5日、5代目当主北条氏直より

 降伏が通達されました。

 

3.戦後の北条家

 7月11日、4代当主北条氏政と弟氏照切腹しました。

 

 小田原駅の東100m程の街中に墓所があります。

北条氏政、氏照の墓所

北条氏政、氏照の墓所

北条氏政、氏照の墓所 説明板

 5代当主氏直は死一等を許され、高野山へ蟄居と

 なりましたが、翌年病死しました。

 

 北条氏の血統は、韮山城主だった北条氏規

 の息子氏盛河内狭山藩1万石の大名となり、

 明治維新まで続いたとの事です。

 

以上で小田原北条氏の防衛戦シリーズを

完了致します。

長きにわたり、同シリーズの

ご高覧ありがとうございました。m(__)m

 

実は、3月終わり頃、中国西安へ、

ツアー観光に行ってきました。

 

良いタイミングとなりましたので、

次回投稿しようと思います。

 

 

 

 

 















 

 




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