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<小田原北条氏の防衛戦(その25)> 壮絶! 八王子城の戦い(その3)

こんにちわ。rekikakkunです。

 

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致しします。

 

今回より約3カ月ぶりに、小田原北条氏防衛戦

シリーズに戻りたいと思います。

 

同シリーズは、下の地図番号順に時系列で進行しており、

現時点では、山中城から鉢形城まで終了しています。

 

そして八王子城を2つ投稿した所で中断していました。

 

 

 

八王子城の投稿済みの目次を下記に洗い出してみます。

 

1.八王子城の歴史

2.八王子城の縄張

3.八王子城攻防戦の概要

4.八王子城探訪

 1)根小屋地区 探訪

   ①宗関寺

   ②北条氏照及び家臣の墓

   ③八王子城跡ガイダンス施設

   ④八王子城跡管理棟

 2)居館地区 探訪

   ①アシダ曲輪

   ②大手の門跡~御主殿に通じる古道

   ③曳橋と御主殿の段石垣

   ④御主殿の虎口

   ⑤御主殿跡

   ⑥御主殿曲輪西側の土塁石垣遺構

   ⑦御主殿の滝

 

  ・・・上の自分の記事を読み返して、

     ちょっと思いました。・・・

 

  あんた!しつこく書いてますな~と。🙄

 

  しかし、残念ながら、もう少ししつこく

  お付き合い頂くことになります(~ ̄▽ ̄)~

 

  ちょうど1年前初めて八王子城を探訪しました。

 

  その時は、麓に復元整備された八王子城の代名詞

  である壮大な御主殿跡と、本丸までの山登り

  メインルートを探訪しました。

 

  このルートを行けば、基本的に下の

  八王子城公式散策ガイドマップに載っている

  城遺構を全て見ることができます。

  (一般的にはこれで充分と思います)

八王子城公式散策ガイドマップ

  

  実際、ガイドマップの15箇所全て探訪しました

  ので、八王子城の攻防戦を探訪した写真を使い

  ながら、描こうとしましたが・・・・。

 

  書けないんですよね~、それだけだと。

 

  前田利家の軍しか描けれない。

 

  それが下図となります。

八王子城の戦い 攻撃想像図

 上図は諸先輩方の記事等を参考に、一つの仮説として

 表現しました。個人的な想像と思ってください。

 

 このうち昨年に探訪したのは、結局赤線で示した

 前田利家のル-トのみであることが分かりました。

 (同じ赤線で前田軍から分岐した真田昌幸

  山王丸ルートは、ほぼ通行禁止になってました)

 

 また図の左側の詰の城堀切への尾根ルートも

 山城の遺構を多く残しています。 

 

 そして上図の右側の緑線は上杉景勝の経路との

 説があり、ここには太鼓曲輪と呼ばれる尾根に、

 5つの大堀切がはっきり残っています。

 

 またメインルートの山登りも、古道側を通る

 ことで、見えなかった石垣が見えてくる様です。

 

 そういった事等がだんだん分かってきたので、

 今冬に八王子城を2日間、再訪してきました。

 

 追加の探訪を含め、八王子城を再開致します。

 

4.八王子城探訪

 1)根小屋地区 探訪

 2)居館地区 探訪

 3)太鼓曲輪 探訪

  昨年投稿しました1)根小屋地区2)居館地区

  に続き、今回は3)太鼓曲輪に行ってみます。

 

  太鼓曲輪八王子城主要部の南東側に

  延びている尾根筋です。

  5つの堀切で尾根自体を防御すると共に、

  城内に侵入した敵軍を南東側から横矢を

  仕掛けれます。

 

  地形図で見ますと、下の図となります。

八王子城 太鼓曲輪と5つの堀切 地形図

  ほんとは注意表示ですが、断面ではこんな感じです。

現地に掲示されていた、太鼓曲輪の尾根コースと堀切断面図
堀切を渡る経路も黒線で示してくれてますね~

 

  ここは上杉景勝による攻略ルートと言われてます。

 

  早速行ってみます。

 

 ①太鼓曲輪へ登る

  事前にyoutubeで調べると、見た限りでは

  太鼓曲輪へのアクセスは、上のルート図の

  右端(東側)からと紹介されています。

  

  ただ、記事等をよく見ますと、第4堀切付近

  から登った投稿もありました。

 

  東側からのルートは、最初の第一堀切までそこそこ

  歩くのと、駐車場が不明、かつ戻る必要がある等

  により、堀切に直登できそうな、第4堀切付近

  から登ることにしました。

 

  八王子城の専用駐車場に車を停めて、

  まずは管理棟から御主殿の南側の道を進みます。 

管理棟から御主殿の南側の道を進む

曳橋の下を進んでいきます

御主殿を越え、橋を渡ります

2つ目の橋を渡ります

地図で見ると中央の茶色の線を左下方向に歩いてます

  そして第四堀切に向かうため、道を外れて

  赤矢印=尾根の方向 へ入って行かなければ

  ならないのですが、想定通り標識が有りません。

2つ目の橋を渡って少し歩いたところ

  地図を片手に第四堀切の位置を想定しながら、

  この辺りで5分程入り口を探していましたら、

  なんとなくここかもというところがありました。

  下の写真です。(少しだけ入口っぽい)

道から第四堀切へアクセスする入口
ただし標識はありません

  もう勘でしかありません。😂

信じて進みます1
かすかに道の様な気がして吸い込まれています。

信じて進みます2

あ、なんか石垣?っぽいものが落ちてます
第四堀切を削った岩盤の落下物と推定できます)

あ、登り口がありそうです

「赤リボン」がありましたので、間違いなさそうです👍

登って行きます

登ってます

道が細く、落ちない様に注意が必要です

尾根に近くなりました

 

 ②第四堀切

第四堀切の所に来ました

  本当に堀切の所に着きましたね~。

  位置的に間違いなく第四堀切と思います。

  赤リボンの所から10分程で到着です。

第四堀切の底から東側の尾根を見上げる

第四堀切の底から西側の尾根を見上げる

  断面図で確認すると一番小さな堀切みたいですが、

  深さ4mあり、凄い迫力です。👍

 

第四堀切の西側を登ります

 

第五堀切を目指して、尾根を西側に歩きます

尾根を歩いてます

 

 ③第五堀切

第五堀切が見えてきました

お~、良いですね~

第五堀切

ん?第五堀切の底にロープがあるけど?
怖いのでいきません!

第五堀切の西側の尾根

第五堀切から東方向へ戻ります

 

 ④第三堀切

  この辺りから写真がどこなのか、

  分からなくなってきました。😅

  (違っていたらいつもの様にスイマセン。)

多分第四から第三堀切に向かっている

 

   第三堀切だと思います。

第三堀切を西側から見ている

櫓台を撮ってる?

第三堀切に入りました
太鼓曲輪で最も大規模な堀切です。

東側尾根から第三堀切を見る

 

 ⑤第二堀切

第二堀切へ東方向に向かってます

第二堀切に到着
これは岩盤を頑張って削ってますね~

第二堀切

第二堀切 北側を見る

第二堀切から尾根下を拡大すると大手道が見えました

 

 ⑥第一堀切

第二堀切から第一堀切へ東方向に進みます

15分程東へ進みました

このへこみが第一堀切と思って、引き返しましたが
写真を見たら、なんか違う気がしてます。

 

 ⑦太鼓曲輪を降りる

  第二堀切第一堀切の間(第二に近い)に

  分岐表示がありました。  

第二堀切の東側にある分岐

分岐表示拡大
(尾根道から90°北方向に向かう道)

半信半疑で進んでます

まだ半信半疑です

道なのか?
でもわざわざ注意表示があるしな~。

あ、下が見えてきました

お、見覚えがある木橋です。

大手道に来ました

大手道からは、ここから入る様ですが、
何にも表示がありません。

登る方向で見ますと、ここを登るんですよって
いう山道には見えませんね~。

 

 ⑦大手道

  大手道大手門跡から曳橋を通って御主殿へ向かう道で、

  主に城主や来客用に整備された道と説明されています。

  現在このルートが八王子城観光のメインになっています。

  またこの道に沿う形で太鼓曲輪の尾根が伸びています。

木橋を下から見ると綺麗です

現在大手道御主殿は山用の準備をする必要が無い整備された道です。
なので、山装備が必要な太鼓曲輪へは安全を考慮し、
積極的には誘導してないと思われます。

 

大手道を歩く

大手道から、先程歩いた太鼓曲輪を見上げる

大手道。左側が太鼓曲輪
かすかに尾根が分かります。
上も下も同時攻撃されてたと感じました。

大手道を進むと、曳橋に着きます

曳橋からは、見事な御主殿石垣へと続きます

  御主殿は前回ご紹介済ですので、今回詳細は割愛します。

  太鼓曲輪の探訪はお終いになります。

 

 

4)根小屋、居館地区の陥落

  天正18年(1590年)6月23日早朝、

  八王子城の攻防戦が始まりました。

  (時間は諸説あり)

根小屋、居館地区での攻防(想定)

  

  前田利家率いる豊臣主力軍は、根小屋を突破し、

  城域で最初のターゲットとなる山下曲輪

 (現在の管理棟周辺)に攻撃を開始しました。

 

  城方は早朝未明の暗闇と霧により豊臣軍の接近を

  気付けず、防御態勢を整えていない状態で攻撃を

  受けてしまったとの事です。

 

  ただし攻撃側も周辺が見えないことから

  一時的に混戦にもなりました。

  

  しかし戦力差もあり、前田主力軍山下曲輪及び

  アシダ曲輪近藤曲輪、家臣の居住エリア)を突破し、

  居館地区最大の防衛拠点である御主殿

  攻撃しました。

 

  そして前田軍と途中で分かれた上杉景勝は、

  今回ご紹介の太鼓曲輪の尾根筋を東側から

  西へ進み(第一堀切から第二第三へと進み)、

  曳橋の後方、第三第四堀切周辺から

  下って御主殿へと進んだ様です。

 

御主殿跡1

御主殿跡2

 

  御主殿は、城主や奥方の住まいと共に、

  政庁としての役割もあったので、

  重点防御をしていたと思われますが、

  前田利家上杉景勝との挟撃となった時点で

  支えきれず、陥落したと思われます。

 

  一説には、豊臣秀吉がなかなか降伏しない

  小田原城への見せしめのため、皆殺しを

  命じたとも言われています。

 

  城主北条氏照正室比佐及び女性、

  残った家臣達の多くが、山上に退去する事が出来ず、

  自害又は御主殿の滝へ身を投げて命を落としました。

  この悲劇性が秀吉の話になった可能性も感じます。

 

御主殿の滝

御主殿の滝と石垣
現代の道により、御主殿の滝御主殿が分断されていますが、
ここに石垣が残っているので、当時御主殿の範囲が
滝付近まであって、もっと高かったとイメージ出来ます。

  この御主殿の滝城山川は、三日三晩血で染まった

  伝説もあり、また実際に多数の命が落とした

  場所である為、後に関東を支配した徳川家康は、

  八王子城を立入禁止にしたと言われています。

 

  以上、今回を含めて3回、八王子城山麓

  構成していた根小屋、居館地区、太鼓曲輪

  探訪、ご紹介となりました。

 

  次回より、八王子城の山城部分となる要害地区

  探訪に進んで行きたいと思います。

 

  ご高覧ありがとうございました。m(__)m

  




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