こんにちわ、rekikakkunです。
今回は前回に続き黒井城探訪、
その後半を進めていきます。
黒井城は下のマップの⑥です。
1.黒井城探訪(国指定史跡、続日本百名城)
前回は、黒井駅から出発し、黒井城の
二の丸まで探訪しました。
ここから再スタートします。





多少位置ズレや、紹介済みの写真もありますが、
黒井城本丸周辺からの見事な眺望を載せてます。
~南東方向~
この方向は八上城、篠山の街、
その先の亀山城、京都に至ります。
ここから明智光秀の黒井城攻撃軍が
進軍してきたのでは?
と妄想します。


朝霧がまだ薄っすら残っていて幻想的です😊
~北東方面(福知山城、その先に舞鶴、田辺城等)~
この方向には福知山城があります。
また、その先には舞鶴、田辺城等に至ります。

~北方向~
この写真の谷は行き止まりなのですが、
黒井城北側の集落になると思います。


ここも見応え充分な景色です。
~北西方向(千丈寺砦)~
写真中央の頂きは、黒井城の西側に続いている
尾根筋を越えて、千丈寺砦があったところです。
そして、この山並みを越えた所に、
赤井直正は所領の北側、但馬国主の山名氏とも
戦っており、竹田城を攻撃していた様です。

~南西方面~
この方面は加古川経由で姫路城に続きます。


まあ~ここまで四方が見渡せる本丸は
なかなか無いのでは?
凄い所です。😀
本丸の西側には腰曲輪があります。

~西の丸、千丈寺砦方面~
腰曲輪から西側に降りて、西の丸、千丈寺砦方面
に行ける様です。

(写真中央の下側に見えます)
上の写真中央下に写っている柵まで行ったのですが、
ちょっと草ぼうぼうで、行って良いのか分からず
諦めて戻ってきました。
他の方の記事には西の丸の土塁や堀切等が
紹介されていますね~。
~本丸周辺の帯曲輪、石垣等~
雑で申し訳ないですが、いっぺんに載せます。











ここからゆるやかコースで下山します。


2.興禅寺と黒井城の歴史
下山しましたので、麓の興禅寺に寄ります。

手前は補修で作り変えてますが、
結構古い時代の石垣が残ってる様です。

正面の碑に「春日の局出生地」と書いてます
そう、ここは江戸幕府の大奥で有名な、
春日局ゆかりの地になっています。
興禅寺駐車場の休憩所には、確かに資料が色々ありました。
しかし、へ~って感心しながらも深く考えず、
ちゃんと撮ってませんでした。m(__)m
説明板は撮ってました。ほ~よかった。

ここで、黒井城攻防の歴史を簡単に・・・。
丹波攻略戦は、有力国人波多野氏を味方につけ、
赤井直正が守備する、黒井城まで攻め寄せましたが、
波多野氏の離反(作戦?)により撃退され、総退却
となりました。
亀山城を築城(又は修築)し、拠点として
丹波の敵対勢力を着実に攻略していきました。
波多野氏が降伏。
前年に猛将赤井直正は病死しており、
同年8月黒井城も落城し、丹波平定戦が
終了しました。
彼は現在の興禅寺にあった赤井家の下屋敷を陣屋に
改造し、約3年間統治したとの事です。
この3年間の統治生活の中、お福(春日局)が、
ここ興禅寺の地で誕生し、成長していきました。
しかし彼女が3歳の時、本能寺の変が勃発。
父利三は山崎の合戦で秀吉に敗れ、
斬首されました。
お福は逃げ延びて母方の稲葉家及びその親戚だった
公家に養育され、長じて稲葉正成の妻となりました。
東軍に寝返らせた重要人物の一人とされています。
その後、正成と離縁して徳川将軍家家光の乳母
となって大奥を構築し、権勢を得たのは
周知の通りです。


(興禅寺の場所は赤井直正の下館跡と書いてあります)
黒井城落城後、赤井直正の子孫は藤堂家の
家臣となり、親戚筋は旗本等、江戸時代以降も
繋がっているそうです。


う~ん、何度も撮ってしまう。


黒井城の門材料を使って建てたと伝わる
以上で黒井城探訪が終わりました。

東側から撮影(12:16)

結局無難な店を選択してしまうな~。
そして山陰本線で京都駅に行ってかみさんと

右側には光秀の坂本城があったはずと思ってます。

方向的にその左奥の山は観音寺山城かも。
と思いながら見てます。
今日は、朝一の福知山駅で朝霧に愕然とし、
黒井城の壮絶な歴史を感じながらの山登りと
想像を絶する絶景に感動して、夕方大津、
琵琶湖の平和な景色と、なんか不思議な感覚でした。
(何で今ここに居るのだろう?って感覚)
以上で黒井城探訪を終わります。
ご高覧ありがとうございました。m(__)m