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明智光秀 丹波の足跡を訪ねて(5) 丹波の赤鬼と呼ばれた猛将 赤井直正と黒井城(2/2) 

こんにちわ、rekikakkunです。

 

明智光秀丹波攻略戦を綴っております。

 

今回は前回に続き黒井城探訪

その後半を進めていきます。

黒井城は下のマップのです。

 

 

1.黒井城探訪(国指定史跡、続日本百名城)

 前回は、黒井駅から出発し、黒井城

 二の丸まで探訪しました。

 ここから再スタートします。

二の丸から本丸を見る (10:02)

本丸の正面と堀

本丸への階段へ進む

本丸に到着しました (10:05)

黒井城、別名保月城

 

 多少位置ズレや、紹介済みの写真もありますが、

 黒井城本丸周辺からの見事な眺望を載せてます。

 

 ~南東方向~

  この方向は八上城篠山の街

  その先の亀山城、京都に至ります。

  ここから明智光秀の黒井城攻撃軍が

  進軍してきたのでは?

  と妄想します。 

南東方向1(八上城、篠山、亀山方面)

南東方面2 拡大
朝霧がまだ薄っすら残っていて幻想的です😊

 

 ~北東方面(福知山城、その先に舞鶴、田辺城等)~

  この方向には福知山城があります。

  また、その先には舞鶴田辺城等に至ります。

北東方面1


 ~北方向~

  この写真の谷は行き止まりなのですが、

  黒井城北側の集落になると思います。

北方向1

北方向2 拡大
ここも見応え充分な景色です。

 

 ~北西方向(千丈寺砦)~

  写真中央の頂きは、黒井城の西側に続いている

  尾根筋を越えて、千丈寺砦があったところです。

 

  そして、この山並みを越えた所に、 

  天空の城で有名な但馬国竹田城があります。

 

  赤井直正は所領の北側、但馬国主の山名氏とも

  戦っており、竹田城を攻撃していた様です。 

西方向 (正面が千丈寺砦)

 

 ~南西方面~

  この方面は加古川経由で姫路城に続きます。

南西方面1

南西方面2 拡大

 まあ~ここまで四方が見渡せる本丸は

 なかなか無いのでは?

 凄い所です。😀

 

 本丸の西側には腰曲輪があります。

本丸西側の腰曲輪

 

 ~西の丸、千丈寺砦方面~

  腰曲輪から西側に降りて、西の丸千丈寺砦方面

  に行ける様です。

本丸西側の柵
(写真中央の下側に見えます)

 上の写真中央下に写っている柵まで行ったのですが、

 ちょっと草ぼうぼうで、行って良いのか分からず

 諦めて戻ってきました。

 他の方の記事には西の丸の土塁堀切等が

 紹介されていますね~。

 

~本丸周辺の帯曲輪、石垣等~

 雑で申し訳ないですが、いっぺんに載せます。

本丸南側

本丸南側

本丸東側

本丸東側

本丸北側の帯曲輪から、二の丸本丸間の空堀を見る

空堀拡大

空堀から見た空堀 日本語が?

本丸南側

本丸南側

東曲輪の石垣に戻ってきました(10:47)

 

石踏の段 (10:56)

 

 ここからゆるやかコースで下山します。

下山中(10:57)

下山中(11:16)

 

2.興禅寺と黒井城の歴史

 下山しましたので、麓の興禅寺に寄ります。

興禅寺(11:25)七間堀と高石垣
手前は補修で作り変えてますが、
結構古い時代の石垣が残ってる様です。

興禅寺 楼門(11:38)
正面の碑に「春日の局出生地」と書いてます

 そう、ここは江戸幕府の大奥で有名な、

 春日局ゆかりの地になっています。

 

 興禅寺駐車場の休憩所には、確かに資料が色々ありました。

 しかし、へ~って感心しながらも深く考えず、

 ちゃんと撮ってませんでした。m(__)m

 説明板は撮ってました。ほ~よかった。

春日局斎藤利三 説明板

 

 ここで、黒井城攻防の歴史を簡単に・・・。 

 

 天正3年(1575年)に始まった明智光秀による

 丹波攻略戦は、有力国人波多野氏を味方につけ、

 赤井直正が守備する、黒井城まで攻め寄せましたが、

 波多野氏の離反(作戦?)により撃退され、総退却

 となりました。

 

 天正5年(1577年)丹波攻略を再開します。

 亀山城を築城(又は修築)し、拠点として

 丹波の敵対勢力を着実に攻略していきました。

  

 天正7年(1579年)6月八上城が落城し、

 波多野氏が降伏。

 前年に猛将赤井直正は病死しており、

 同年8月黒井城も落城し、丹波平定戦

 終了しました。

 

 その後、黒井城には光秀重臣斎藤利三が入ります。

 彼は現在の興禅寺にあった赤井家下屋敷陣屋

 改造し、約3年間統治したとの事です。

 

 この3年間の統治生活の中、お福(春日局が、

 ここ興禅寺の地で誕生し、成長していきました。

 

 しかし彼女が3歳の時、本能寺の変が勃発。

 父利三山崎の合戦秀吉に敗れ、

 斬首されました。

 

 お福は逃げ延びて母方の稲葉家及びその親戚だった

 公家に養育され、長じて稲葉正成の妻となりました。

 

 稲葉正成こそ小早川秀秋重臣で、関ケ原合戦時に

 東軍に寝返らせた重要人物の一人とされています。

 

 その後、正成と離縁して徳川将軍家家光の乳母

 となって大奥を構築し、権勢を得たのは

 周知の通りです。

 

興禅寺 説明板

赤井直正と黒井城跡 説明板
興禅寺の場所赤井直正下館跡と書いてあります)

 黒井城落城後、赤井直正の子孫は藤堂家

 家臣となり、親戚筋は旗本等、江戸時代以降も

 繋がっているそうです。

 

興禅寺黒井城本丸という凄いアングル(*_*;

本丸拡大1

う~ん、何度も撮ってしまう。

本丸拡大2

 

興禅寺の惣門 (11:45)
黒井城の門材料を使って建てたと伝わる

 以上で黒井城探訪が終わりました。

 

 黒井駅に戻り、電車で福知山駅に戻ります。

電車に乗ってる時に黒井城
東側から撮影(12:16)

福知山駅に戻って王将で昼飯 (12:42)
結局無難な店を選択してしまうな~。

 

 そして山陰本線で京都駅に行ってかみさんと

 合流し、滋賀県大津市のホテル前に到着。 

大津に到着(15:58) 琵琶湖比叡山の方向
右側には光秀坂本城があったはずと思ってます。

琵琶湖とその東側、たぶん三上山。(16:11)
方向的にその左奥の山は観音寺山城かも。
と思いながら見てます。

 

 今日は、朝一の福知山駅朝霧に愕然とし、

 黒井城の壮絶な歴史を感じながらの山登り

 想像を絶する絶景に感動して、夕方大津

 琵琶湖の平和な景色と、なんか不思議な感覚でした。

 (何で今ここに居るのだろう?って感覚)

 

 以上で黒井城探訪を終わります。

 

 ご高覧ありがとうございました。m(__)m




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