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明智光秀 丹波の足跡を訪ねて(2) 丹波三大山城 八木城(1/2) 

こんにちわ、rekikakkunです。

 

現在北条小田原城編を中断して、

今年3月に行ってきました、明智光秀

丹波の足跡探訪を綴っております。

 

本編の全体像は下のマップとなります。

マップで示しました①から⑦は、下記です。

 ①京都タワー(位置関係把握の為の参考)

 ②老ノ坂峠(マップに無いので、近くの道標で代替)

 ③丹波亀山城

 ④丹波八木城

 ⑤八上城

 ⑥黒井城

 ⑦福知山城   

 

前回は(1)老いの坂と丹波亀山城

をご紹介致しました。

 

今回はマップでの位置にあります、

丹波八木城をご紹介致します。

 

 

(2)丹波八木城 探訪(丹波国三大城郭)

 1)丹波国の概要 

  丹波国は、現在の京都府の西、兵庫県

  大阪府の北側にまたがる広い地域で

  全体的に山と盆地で構成されてます。

 

  その為、国として統一された勢力が育ちにくく、

  複数の国人達で分割統治され、攻略し難い

  土地柄の様です。

 

  私も京都のすぐ隣なのに信長軍による平定が遅いな~

  と思ってましたが、脅威となる勢力が

  無かったのかな?とも思います。

 

  大きな盆地としてはマップで③亀山、⑤篠山、

  ⑦福知山の3つが挙げられ、それぞれ、丹波亀山城

  ⑤八上城⑦福知山城 等が有名です。

 

 

 2)丹波平定戦と八木城

  1575年(天正5年)に始まった

  明智光秀による丹波平定戦は、

  1度目は波多野氏の離反により退却を

  余儀なくされ、失敗しています。

 

  2度目は1577年亀山城築城から本腰を

  入れ、1579年にかけて丹波平定戦

  行われています。

 

  1579年9月の黒井城落城により、

  丹波国内の有力な抵抗勢力が平定されました。

  

  そして丹波八木城は現地の説明板では、

  「光秀の丹波平定が始まった所」

  紹介されています。

 

  確かに、光秀丹波攻略拠点である亀山城

  からは、上のマップを見て頂いても分かる様に、

  平野続きであり、京都市中で比較すると、

  清水寺から金閣寺間程度の近距離です。

 

  なので納得して書き始めてたのですが、

  光秀軍による八木城落城時期を確認すると、

  1579年(天正7年)落城の記事が

  多かったです。

 

  これは丹波平定を決定付けた八上城、黒井城落城

  と同じ年で、終盤戦と言えます。

 

  本拠(丹波亀山城)と至近距離なので

  最初に攻略したいはずなのに、

  個人的にはだいぶ不思議です。🤔

 

  資料が少なく、一度目の1575年時点で

  光秀方が接収、また第2次丹波攻め開始時の

  1577年に落城の記事もありました。

 

 

 3)八木城へのアクセスと縄張り

  八木城への最寄り駅は、亀岡駅からJRで

  北東方向に3駅目の八木駅です。

 

  八木の地は、諸説ある丹波国国府所在地

  の一つだそうで、光秀亀山城下町を形成

  する前は、八木城丹波国でも中心的な

  城下町の一つだったのかもしれません。

 

  下の八木町観光業界のパンフレットの赤線の通り

  徒歩で進むと、30分弱で登山口に到着できます。

八木城へのアクセス

 

  八木城室町時代に、細川家の家臣内藤氏

  丹波国守護代となった際に、標高330mの

  城山に築かれたと推定され、四方の尾根に曲輪を

  配置し、その規模は東西700m、南北900m

  に及ぶ、日本最大級の山城と紹介されています。

 

  丹波国内では八上城黒井城と共に丹波三大山城

  数えられています。

  ただ何故か続日本百名城や市、町の史跡にはなって

  いない様です。(違ってましたらすいません。)

 

  これは少し後述の予定ですが、キリシタン禁教に伴う

  資料喪失により、大規模で有力だった城にも関わらず、

  不明確になってしまったからかもしれません。

 

  因みに但馬国兵庫県北部)にも八木城があり、

  そちらは国史跡になってます。

  最初は知らなくて混同してました。😅

  

八木城の縄張り

  ともあれ、上の縄張図を見ますと、壮大であったと

  感じられますし、遺構も多く残ってる様なので、

  早速行ってみましょう。

 

 

 4)丹波八木城  探訪

  丹波の旅初日は、静岡から老ノ坂、亀山城探訪後、

  福知山まで向かって宿泊したので、丹波2日目に

  福知山から山陰本線を戻る形で八木駅に行きました。

 

  理由は2泊3日の3日間で、晴れの日に黒井城

  に行きたかったので、朝一に行先を選択出来る様、

  2泊共黒井城に近い福知山を宿泊拠点にしたからです。

 

  結果初日は曇り時々雨だったので、老いの坂亀山城

  に行き、2日目は雨上がりの曇時々晴で八木城

  3日目の晴れのお天気日に黒井城に行けました。👍

 

 福知山駅から八木城登城口へ~  

  それでは福知山駅から八木駅に向かいます。

山陰本線京都パープルサンガの列車を発見
実はサンガの競技場は亀岡なんですね~。

 

山陰本線での綺麗な景色(由良川と予想)

八木駅に到着
(駅前しか撮っていなかった)

校庭から見えた八木城(中央の山)

だいぶ八木城に近づきました
駅からだいたいあっちの方向、で着きます(笑)

城に近づくと、案内板とジョアン通りがありました

内藤ジョアンの石碑1

内藤ジョアンの石碑2
彼の足跡については次回少し触れたいと思っています。

八木城への一本道に入りました

八木城案内パンフレット

八木城案内図 

登山口に到着
(私は駅からゆっくり歩いて25分でした)

 

 ~八木城登城~

直ぐに鬱蒼な山道になりました

登山口から4分で登山一合目の案内板
があり、道順に行ってる事が分かって安心。

家臣達の北屋敷群跡
平らに加工されていますね~

三合目

三合目付近から登り道になっていきます

5合目

急な山道

六合目 くいっと折れ曲がってますし、
少し足がずれると落ちそうです(*_*;

 

 六合目と七合目の間に別れ道がありました。

分岐点
(左方向に行くと対面所跡。真っすぐが本丸方向。)

 ~対面所跡~

  折角なので左の対面所跡へ行ってみます。

対面所跡の尾根を見上げる
はっきり平らになっていて何かありそう・・・。

 

パンフレットの縄張図で見ると、多分ここ。
(くねくね山道を登ってきて、赤丸分岐点で、
四角枠対面所の尾根。)

対面所跡1
分岐点から登ってすぐ、多分対面所跡の曲輪

対面所跡2
堀切により、尾根(曲輪)が2つに分かれている

対面所跡3 堀切

対面所跡4 対面所跡の上側。
この尾根を登れば本丸に行けそうだが、
案内が無いので辞めておきます・・・。

分岐点に戻り、次の7合目に来ました。

  対面所跡は山城らしくて、良かったです。😀

 

  丁度半分位ですので、八木城は2回に分けます。

 

  ご高覧ありがとうございました。m(__)m




















 

 

 

 

 

 

 

 




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