こんにちわ、rekikakkunです。
現在北条小田原城編を中断して、
今年3月に行ってきました、明智光秀の
丹波の足跡探訪を綴っております。
本編の全体像は下のマップとなります。
マップで示しました①から⑦は、下記です。
①京都タワー(位置関係把握の為の参考)
②老ノ坂峠(マップに無いので、近くの道標で代替)
④丹波八木城
⑤八上城
⑥黒井城
⑦福知山城
をご紹介致しました。
今回はマップで④の位置にあります、
丹波八木城をご紹介致します。
1)丹波国の概要
大阪府の北側にまたがる広い地域で
全体的に山と盆地で構成されてます。
その為、国として統一された勢力が育ちにくく、
複数の国人達で分割統治され、攻略し難い
土地柄の様です。
私も京都のすぐ隣なのに信長軍による平定が遅いな~
と思ってましたが、脅威となる勢力が
無かったのかな?とも思います。
大きな盆地としてはマップで③亀山、⑤篠山、
⑤八上城、⑦福知山城 等が有名です。
2)丹波平定戦と八木城
1575年(天正5年)に始まった
1度目は波多野氏の離反により退却を
余儀なくされ、失敗しています。
2度目は1577年亀山城築城から本腰を
入れ、1579年にかけて丹波平定戦が
行われています。
1579年9月の黒井城落城により、
そして丹波八木城は現地の説明板では、
「光秀の丹波平定が始まった所」と
紹介されています。
からは、上のマップを見て頂いても分かる様に、
平野続きであり、京都市中で比較すると、
なので納得して書き始めてたのですが、
光秀軍による八木城落城時期を確認すると、
1579年(天正7年)落城の記事が
多かったです。
と同じ年で、終盤戦と言えます。
最初に攻略したいはずなのに、
個人的にはだいぶ不思議です。🤔
資料が少なく、一度目の1575年時点で
光秀方が接収、また第2次丹波攻め開始時の
1577年に落城の記事もありました。
3)八木城へのアクセスと縄張り
八木城への最寄り駅は、亀岡駅からJRで
北東方向に3駅目の八木駅です。
の一つだそうで、光秀が亀山城下町を形成
する前は、八木城が丹波国内でも中心的な
城下町の一つだったのかもしれません。
下の八木町観光業界のパンフレットの赤線の通り
徒歩で進むと、30分弱で登山口に到着できます。

八木城は室町時代に、細川家の家臣内藤氏が
城山に築かれたと推定され、四方の尾根に曲輪を
配置し、その規模は東西700m、南北900m
に及ぶ、日本最大級の山城と紹介されています。
数えられています。
ただ何故か続日本百名城や市、町の史跡にはなって
いない様です。(違ってましたらすいません。)
これは少し後述の予定ですが、キリシタン禁教に伴う
資料喪失により、大規模で有力だった城にも関わらず、
不明確になってしまったからかもしれません。
そちらは国史跡になってます。
最初は知らなくて混同してました。😅

ともあれ、上の縄張図を見ますと、壮大であったと
感じられますし、遺構も多く残ってる様なので、
早速行ってみましょう。
4)丹波八木城 探訪
福知山まで向かって宿泊したので、丹波2日目に
理由は2泊3日の3日間で、晴れの日に黒井城
に行きたかったので、朝一に行先を選択出来る様、
2泊共黒井城に近い福知山を宿泊拠点にしたからです。
結果初日は曇り時々雨だったので、老いの坂と亀山城
に行き、2日目は雨上がりの曇時々晴で八木城、
3日目の晴れのお天気日に黒井城に行けました。👍
~福知山駅から八木城登城口へ~

実はサンガの競技場は亀岡なんですね~。


(駅前しか撮っていなかった)


駅からだいたいあっちの方向、で着きます(笑)



彼の足跡については次回少し触れたいと思っています。




(私は駅からゆっくり歩いて25分でした)
~八木城登城~


があり、道順に行ってる事が分かって安心。

平らに加工されていますね~





少し足がずれると落ちそうです(*_*;
六合目と七合目の間に別れ道がありました。

(左方向に行くと対面所跡。真っすぐが本丸方向。)
~対面所跡~
折角なので左の対面所跡へ行ってみます。

はっきり平らになっていて何かありそう・・・。

(くねくね山道を登ってきて、赤丸が分岐点で、
四角枠が対面所の尾根。)

分岐点から登ってすぐ、多分対面所跡の曲輪

堀切により、尾根(曲輪)が2つに分かれている


この尾根を登れば本丸に行けそうだが、
案内が無いので辞めておきます・・・。

対面所跡は山城らしくて、良かったです。😀
丁度半分位ですので、八木城は2回に分けます。
ご高覧ありがとうございました。m(__)m