こんにちは-、rekikakkunです。
昨年はお付き合いありがとうございました。_(._.)_
今年も宜しくお願い致します。
さて、大坂歴史探訪は3日目になりました。
朝、ホテルをチェックアウトして、

そのまま谷町筋を北へ進むと、

そう、
向かうは、、、念願の真田丸👍
歴史に全く興味がない我が息子が、
しかし私のイメージは昔放映の真田太平記。
草刈正雄の幸村です。(昌幸役も良かった)
真田丸の戦い前夜の幸村、15年も待ち続け、
蓄積された気合、かっこよかった!
今時マニアックすぎるか(*_*;
と言いつつも、
大阪に来る前に真田太平記を全部見ておいて、
イメトレOK👍
では今回は、真田丸の戦いで有名な
大坂冬の陣の痕跡を求めて探訪してみます。
1.真田丸
確認しながら、西方向に進むと・・・、
三光神社の北側に来ました。

(左手が神社、ちょっと高台になってる)



三光神社にある真田の抜け穴、忘れましたm(__)m
そして三光神社北側の道を西方向に進み、
ふと北側を見ると、道が下がって上がってるのが
見えました。
あまりこんな道見たことありません。
外堀の位置っぽいですよねー?

そして、来ました(⌒∇⌒)。
テレビや下調べで見たことがある
真田丸で有名な場所。
ちょっと武者震いがして感動(@_@;)
玉造駅から真田丸までの地図を載せます。
上の二本線は外堀を表してます。
ちょっと調べてみると、真田丸の規模は
ざっくり、下記1~3の3つの説が見れます。
この堀の左側のみ(ほぼ名星学園の大きさ)の説。
(説2)説1+心眼寺等の西側のお寺までを含めた説。
(説3)地図①の三光神社まで含まれる説
とりあえず、私は(説1)で進めますが、
他の説も否定しません。
知識が薄いので(-_-;)
下の案内図は三光神社も含めた(説3)です。

上の図は外堀が非常に分かり易いです。
ただ、この地図に書かれている真田丸が東西180m
という説明ですと、三光神社を含めた上の地図では
2倍となってしまい、矛盾してる感じです。
古地図も色々ある様ですね~。

真田丸を北東側から南西方向を見てます
そして、上写真の正面が真田丸跡地と言われています。
(どの説でも真田丸の位置とされている様です)
明らかに高台になってますよね~、
低くなっているとの事なので合致してます。
この道を上がります。

(正面が大阪明星学園で真田丸比定地)

(左手が真田丸、右手がお寺)

(写真で下った先が秀吉時代の大阪城外堀です)
言われています。
ざっくりですが、上の写真は
現地に掲載されていた下の地図で見ると、
緑色の心眼寺坂の上側半分位となります。

(この古地図ですと、赤丸で隠れてしまいましたが
学園部分(赤丸部分)に真田丸と記載されてます)
視点を元に戻し、心眼寺坂(上地図の緑色の道)
を登ります。
右手には真田丸比定地(中心地)である
明星学園があります。

学校の正面には真田の顕彰碑がありました。

そして坂を挟んで真田丸と反対側(東側)は
お寺が並んでおり、古地図でも記載されています。
その中の心眼寺は、1622年真田父子の菩提を弔うために
建立されたそうです。


入ると幸村のお墓がありました。

心眼寺の正面を見ると、

グランドの先のビル群の下側がグランドに隠れていて、
特にグランド左側(真田丸が)高い位置である事が分かる


(道が下がっている⇒真田丸が一番高い)

(平な道全体が真田丸の南面、徳川方は写真の左側)
下の写真、真田丸から南正面を写しています。
南から徳川軍が真田丸に取り付き、攻撃。
これを真田軍が撃退。
この辺りが、まさに激戦地だったのかな~?

(南側も下っている⇒真田丸が高い)

(心眼寺坂と同様下っている、写真右手が明星学園)
総構えの外堀(崖地形だったのかも)があり、
現在でも低くなってました。
そして東面と南面も真田丸より低くなっており、
真田丸の立地がイメージできました。
いたのかは分かりません。
ちと?です。
そもそもお寺群が1615年の時あったのか?等
でも真田丸、
ここで激戦があったのは間違いないですよねー。
痕跡は充分感じることが出来て感激でした(⌒∇⌒)
2.空堀商店街
さて、真田丸(明星学園)の次は空堀(外堀、総構え)
を見に行きます。
分かりました。
地図で確認すると、真田丸から西の方向、
歩いて行けそうな距離です。
①真田丸
②空堀商店街(もっと東から商店街になってます)
③田島北ふれあい広場
※超ざっくりは、①から②③を結ぶ線が外堀の南面です。
南面の外堀が東西方向に延びてました。
その痕跡の一部が商店街になっている様です。
真田丸の南面から西方向に100m程進むと・・・、
早速、道が下がって上がっている・・・w

丁度真田丸の西側から外堀は斜めに南西側に傾いており、
位置的にピッタリ感アリアリ👍
ここから上町筋まで歩くと、
空堀ど~り商店街が見えてきました。

時間はちょうど12:00。
商店街を西に進みながら全国割りのクーポンが使える
お店を検索した所、すぐ近くにレストランがありました。

(正面の道は空堀ど~り商店街)


ただし、空堀ど~り商店街の東側半分はアーケ-ドが
無くて、ここの外堀は商店街の南側にあった模様。
写真は無いが、南側を見ると確かに道は下ってました。
しかしこの上の写真は商店街の北側(城の中側)ですので、
何で下がってるのか全然分かりません。
誰か教えて~
そして、西に進んで谷町筋に来ました。
ここからは空堀商店街になってます。

(正確には「はいからほり」の入口、
途中から「空堀商店街」に変わる模様)
・・・と思ったら、
何か微妙に名前が違うな~、と
ここを書いてる最中に、念のため確認してみると、
大分感違いしてました🤣。
空堀商店街っていうのは3つの組合に
分かれていて・・・、
①最初の上町筋から谷町筋までを、
②谷町筋から西方向の三角屋根のアーケード部が
「はいからほり」。
③上記から更に西へアーチ状になってる部分が
「空堀商店街」。
だそうです。
だから入口に「はいからほり」と「空堀商店街」
の2つが表示されていたのか~~~。
それを知ってから行くべきでした。
まあ、もう行ってしまったので(笑)
「はいからほり」の商店街を進みます。

(ちょうど写真の真ん中が境目で空堀商店街になる)
そして谷町筋から150m位西に進むと、
アーケードが三角からアーチ状に変わり、
空堀商店街のエリアとなります
入ってすぐ北側の道は、下がってる?

何故堀の北側(城内側)が下がってるのかな?
商店街は城内側の土塁の上だったとか?
3.田島北ふれあい広場
そして空堀商店街に入ってすぐの、
南側の道、下ってます。



堀の中の名残と言われています
(ちょうど堀がクランク(南北)になってるところかな?)
になっていて、下り坂になってる様です。
が、うっかりそこを通る前に、谷町の地下鉄の方へ
行ってしまいました。
実際、マップで確認しますと、
その北側延長線上に商店街の坂がありました。
参考に翌日に撮った上町台地西側の縁(北方向に撮影)。
写真中央と右側が上町台地(高台)です。
写真左のビル群が低くなってます。
写真下部のお墓が左側に段々に下がってるのも分かりますね。

(参考写真)

(上町より高いですが、台地のイメージです)
徳川軍を撃退した大阪冬の陣の痕跡が、
ちょこっとですが、見ることが出来ました(⌒∇⌒)
以上で大坂冬の陣終わります。
次回は大坂冬の陣、最大の激戦地、
舞台は天王寺です。
ご高覧ありがとうございました。m(__)m