こんにちは-、rekikakkunです。
大坂歴史探訪2日目、
飯盛城の2回目です。
前回、飯盛城の防衛の中心部である
本曲輪(高櫓郭)と展望台の曲輪まで来ました。
今回、石垣探しを中心に城の北半分を巡ります。
<石垣配置図>

(上の地図の番号①~⑩と写真の番号が同じです)
また、高櫓郭と展望台の郭、この2つの曲輪名称
が資料によってバラバラなので、
ここで、2つの曲輪をまとめて本丸とします。


ここから、縄張図を片手に、曲輪や石垣が
ありそうな東の方向に進みます。




(左の道自体が曲輪みたい)

せっかくなので、上写真右方向の、
楠公寺に行きます。


もっと南へ戻れば竪堀があったのかも。
全体像は掴んだので、先程の交差路に戻り、
ハイキング道を北方向に進みます。
そうすると、飯盛城でもしっかり残ってる
石垣がありました。


ちょっと見難いですが、このハイキング道の
石垣の上の段にも石垣がかすかに見えます。

かすかに石垣が見える、つまり段になっている
そしてハイキング道の下側にも石垣が
ありました。
結構高くて、長いです。



少なくとも本丸の東斜面には、
4段以上の石垣が連なっていたのが
見れました。(⌒∇⌒)
飯盛城が点々と石垣を使ってたではなくて、
城全体に石垣を多用していたという話・・・
本当に感じましたよ~。👍


(角は算木積みではない)
ここから参考ですが、
まず1550年代と言われる
近江 六角氏の観音寺城本丸の石垣。

(算木積みになろうとしている)
てか、一見飯盛城と観音寺城の石垣似てる?
算木積みが本格的に導入されたといわれる
安土城二の丸の石垣(当時のままといわれてます)。
ここは流石に財力、規模が違いすぎますよね~。

(ほぼ算木積み)
天下統一の気運が見え始める
戦国中期から後期に向かう時代の
大城郭山城、よく残してくれました👏
よし、他の名城も行くぞ(ノ・ω・)ノオオオォォォ-
さてっと、飯盛城に戻ります。

(道が無いので行けなかった)

(本丸の北西、一部崩れてしまってる)

尾根道を北へ進みます
御体塚に到着する直前に、右側へ入る山道
がありますので、ここは行ってください。
山道の上下に石垣が立体的にあります。



(上2つ、下1つの3か所ありますよー)

道を戻り、先程の階段を上がると、
三好長慶を葬ったとされる御体塚に着きました。




さて、御体塚から山を降ります。





ここを上がると、尾根筋最後の曲輪に着きました。

お、こんなに人が居たのか~、
この時知りました。
ハイキングに来ていたんですね~👍
そして景色を見ると・・・(@_@;)
こんなに眺望が凄かったのか~
本丸展望台より、はるかに見渡せる
範囲が広いです。

(左側の高い影が天王寺のアベノハルカス)


天王山、山崎方面

180°以上見えます。
京から西へ向かう動きが丸見えですね。
長慶の意図が少しだけでも分かる気がします(⌒∇⌒)。


四条畷神社に降りてきました。
御体塚から下りは30分位。
登っている方は大変そうでした。。。(;^_^A


正成の心中、父の死後正行のどうどうたる武者ぶり、
これはこれで思いに耽りたいのですが・・・、
膝がガクガクで手を合わせるだけでした。(;^_^A
四条畷駅に向かう途中、背後の飯盛城を撮りました。
う~ん、どこかな?
たぶん、中央及びその右側が飯盛城と思われます。


どうでしたでしょうか?
飯盛城はハイキングコースが整備され、
比較的安全に山城を楽しめる場所かと思います。
(ぼくは登りをタクシーで行ってしましたが)
飯盛城の東側には石垣が連なってました。
当時はもっと何十倍もあったのだろうと考えると、
城東側の奈良、京都に対して見せてるのかな?
でも、どう見えるのか分かりませんでした。
(上の写真は城の西側ですし)
車なら山麓をぐるっと廻れるんですがね~。
ただ、天下を狙う立地と規模は
感じられましたよ~👍
電車で本町に戻ってきました。
本町2日目の夕食は、ホテル隣にあって、
安くて気になっていたうどん屋さん。
う~ん、と500円で唸る、
心がほっとする美味さでした(⌒∇⌒)

以上で飯盛城編を終わります。
折角なのでホテルの場所を少し変え、
3日目から天王寺に拠点を移します。
次回は、山や城から離れて・・・、
天王寺周辺を街歩き散策をしてみます。
ご高覧ありがとうございました。_(._.)_