こんにちは-、rekikakkunです。
奈良歴史探訪の高取城の続き、2回目です。
さて、ここで高取城の歴史を少し確認してみますと、
築城を始めたとされています。
攻撃したが、撃退したと伝わってます。
・1585年秀吉の統一と共に羽柴秀長が大和の国主
となり、家臣の本田利久が石垣、多聞櫓、天守、
侍屋敷、城下町等現在の縄張り構成となった様です。
・1637年本田氏は廃絶し、1640年に植村氏が
2万5千石の城主となり、幕末まで続きます。
(植村氏は徳川家康より4代前から仕える生粋の譜代)
・また1863年(文久3年)の幕末維新の時代、
ことで、なかなか深そうな歴史がありますねー。
さて高取城の中心部の探索を進めます。


(全体図の右側の部分の拡大図です。⑩から㉔まで番号順に進みます)
~(3)十三間多門跡から二の丸、太鼓櫓まで~
図⑩:十三間多門手前の曲輪(大手門の先)
前回の大手門から入った曲輪から撮っています。

図⑪:十三間多門跡(二の丸の入口)


図⑫:二の丸


図⑬:二の丸から見た太鼓櫓

普通二の丸の次は本丸ですよね~、
その本丸は2重に石垣囲いされてます。
この写真28は本丸の外側の石垣になっており、
二の丸に突き出た馬出しみたいになってます。

図⑭:十五間多門跡手前
本丸に近くなると石垣に雪が残っていて映えますね。

図⑮:十五間多門跡



(入ると右手が太鼓櫓、左手が本丸)
図⑯:太鼓櫓



(本丸と二の丸の間の曲輪)
ここに入ると四方を囲われているので集中攻撃されそうですね。
これ自体が桝形かな?
~(4)本丸の石垣(外から撮影編)~
二の丸、太鼓櫓から本丸に来ました。
本丸は中に入って撮影しましたが、
外からも1周して本丸石垣を撮影しましたので、
まず外から本丸撮影編ををご紹介します。
(すいませんねー、複雑で)
図⑰:太鼓櫓正面の本丸石垣

図⑱:本丸虎口へ通じる細い道

基本ここが本丸虎口に通じる道になっていますし
昔は門もあった様です。

図⑲:本丸側石垣

図⑳:本丸虎口左側角

(ここのアングルがなかなかかと、雪も残ってますねー)
図㉑:本丸南側の長大な石垣


図㉒:本丸西側から太鼓櫓を見る
う~ん、ここの景色はマチュピチュみたいで圧巻でした。

~(5)本丸の石垣(本丸内から撮影編)~
さてようやく本丸に入りましょう。
図㉓:本丸虎口(入口)から撮影

図㉔:本丸内で撮影(以下同じです)





(高取城は奈良盆地の南端、その南方向は山々が連なってますねー)

500m超える山頂なのに、石垣造りの曲輪、桝形を
何重にも配置されていて、兵糧攻め以外落ちないん
じゃないか?っていうお城ですね。
高取城は3回に分け、次回最後3回目は、
本丸から駅までメインの登城道を降ります。
またその行程で高取城で最高の眺望、国見櫓
をご紹介いたします。
ではご高覧ありがとうございました。m(__)m