大平洋戦争開戦から2週間たった12月21日、
タイの首都・バンコクで,坪上大使とピブン首相が
「日本国タイ国間同盟条約」に調印しました。
日泰攻守同盟条約です。
(国連脱退の時のタイの行動)
大平洋戦争前、東南アジアで唯一の独立国だったタイは、日本に協力的な国でした。
1933年(昭和8年)2月24日に開かれた国際連盟総会では、2年前に起きた満州事変について現地で調査をしたリットン調査団の報告書を審議しました。
このとき、日本の代表の松岡洋右は、満州国が自主的に独立した国家であると主張しました。
審議の結果、賛成が42カ国、反対は日本のみで、満洲国は否認されました。
実は、この決議の時、投票に棄権した国があります。
シャム(=タイ)です。
タイは、1939年6月24日の革命記念日に,国名を「暹羅国(Siam)」から「タイ(Thailand)」へと改称することを告示しました。
また、タイは、1941年(昭和16年)8月1日付けで満洲国を国として承認する通告を発出しています。
このように日本とタイは同じアジアの独立国として親密な関係にありました。
(日泰攻守同盟条約調印)
大平洋戦争が始まった1941年(昭和16年)12月8日から2週間たった12月21日、バンコク時間午前10時(日本時間正午)、タイの首都・バンコクのワットプラケオ寺院本堂黄金仏仏堂で、日本とタイ間の日泰攻守同盟条約が結ばれました。
下の写真は調印式の模様で、右がタイ国のピブン首相、左が、日本の坪上貞二大使です。

(日泰攻守同盟条約の中身)
日泰攻守同盟条約では,日本とタイ、両国は、あらゆる政治的,経済的及び軍事的方法により互いを支援することが規定され,「附属秘密了解事項」では,日本がタイの失地回復要求の実現に協力することが定められました。


【画像引用:外務省ホームページ
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_000901.html)
(タイが米英に宣戦布告)
日泰攻守同盟条約に従い,タイは自国を日本軍の兵站基地として提供します。
そしてタイは翌年1月25日には米英に対し宣戦布告を行いました。
これに対し、ワシントンDCのアメリカ合衆国大使セーニー・プラーモートは宣戦布告の通達を拒否しています。
このことからわかるように教科書では教えていませんが、太平洋戦争は、日本だけが連合国を相手に戦ったのではないことがわかります。
つまり、アジアの独立国どうしの日本とタイ王国は同盟国として共に連合軍と戦っていたのです。

その後、タイ以外にも米英に対し以下の国が宣戦を布告しています。
汪兆銘中華民国 1943年1月9日
ビルマ 1943年8月1日
自由インド仮政府 1943年10月24日
フィリピン 1944年9月23日
下は1943年(昭和18年)6月に発行された「大東亜戦争記録画報」でのアジアの地図です。
日泰攻守同盟条約は、1945年(昭和20年)9月2日の東京湾でのミズーリ号での日本の降伏文書調印調印で破棄されました。
・・・ということで12月21日は
日泰攻守同盟条約が調印された日です。