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11月18日、警察と陸軍が衝突した「ゴーストップ事件」──和解の日にちなみ大阪・天神橋筋六丁目(天六)交差点で歴史をたどる

11月18日・・1933年(昭和8年)6月13日に、
大阪で起きた「ゴーストップ事件」で対立した
警察と陸軍がようやく和解しました。
大阪天六にある事件現場に行きました。

ゴーストップ事件とは)
1933年(昭和8年617日午前11 30分頃、大阪市北区天神橋六丁目、「天六」の愛称で親しまれて いる交差点でおきました。

衝突現場は、今は、大阪メトロ天神橋筋六丁目駅の真上あたりです。

この交差点で陸軍兵が信号を無視して道路を横断しようとしていました。そこを曽根崎警察署の巡査が注意します。
ここで重要なのは、戦前の警察の権威のことです。
当時の警察官の事を知っている人に聞けば全員が口にしますが、戦前は警察官は現在よりも権力を持っていて非常に恐ろしい存在でした。
天六派出所での乱闘)
さて、信号無視で注意された陸軍兵士は近くの天六派出所に連行されました。
注意され た兵士は、「憲兵の指図はうけるが巡査の指 図 は受けない 」と言い派出所で巡査と兵士との間で乱闘が起き双方ともに負傷します。

(乱闘現場)
現在、天神橋筋六丁目交差点から少し歩いた場所にある天神橋七丁目交番が、ゴーストップ事件の乱闘の舞台となった天六派出所の後身です。

天神橋七丁目交番にいた警察官に聞いたところ、天六交番はタワーマンションができた時に場所が移転したそうです。
かつて交番があったとされる場所は、今では木が植えられた空き地になっており、事件の痕跡は見えません。

(陸軍と警察の対立に!)
天六交差点の信号無視をきっかけに陸軍兵士と警察官が天六派出所で乱闘し、お互いが負傷したこの事件に関して、この兵士が所属していた陸軍第四師団司令部の師団長・寺内寿 一中将が、 警察の行動は軍の威信を揺るがすものと捉え、新聞記者を招き、警察を非難します。

非難された警察と当時警察を管轄していた内務省は、兵隊が私人として通行している時は一市民として交通信号に従うべきだと主張して軍部と対立します。
こうして 一兵士と一巡査の小さな喧嘩がエスカレートし警察・ 内務省や軍、さらに天皇までも巻き込 む大事件へと発展していきました。
(5か月後にようやく和解)
そして発生から5か月が経過した同年 1118日、陸軍歩兵第八連隊で、松田四郎・歩兵第8連隊長(左)と増田曽根崎警察署長が握手を交わします。

さらに同日、井関参謀長と粟屋大阪府警察部長が共同声明書を発表し、ようやく解決をみました。

 

なお、本事件の過程では、双 方から何度も呼び出しを受けていた目 撃者の一人が行方不明となり、後日死 体で発見されるといった悲劇も生まれ ました。
現在、衝突が起きた周辺には商店街や飲食店も多く、事件当時とはまったく違う風景になりました。

事件の舞台となった大阪・天神橋筋六丁目交差点は、
今では賑やかな商店街の一角ですが、
かつてここで国家権力同士が衝突したと思うと
感慨深いものがあります。




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