2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)11月2日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第42話は「招かれざる客」です。
それではストーリーを見て行きます。
(🕊 オロシャ船の来航)
1792年(寛政四年)、これまで鎖国政策で、外国との交流や交易を一部に限っていた、江戸幕府に衝撃が走ります。
江戸の町に一報が届きました。長崎から松前藩を経由して、江戸に「オロシャ船」が来航するという知らせです。
その船には、ロシアから漂着した日本人が乗っており、彼らを送り届けるためにやって来たとのことでした。さらに、ロシアの正式な使節も同行しており、「国交を結び、通商を望む」という王の勅書を携えているというのです。
ちょうどこのころ、書物問屋・須原屋市兵衛が、林子平の『三国通覧図説』や絶版となっていた『海国兵談』を再販本として流通させました。
『海国兵談』には、オロシャ(ロシア)が日本に攻め寄せる可能性があると記されていました。
オロシャ来航の知らせを受け、老中の松平信明は、交易の道を開くことも一考に値すると前向きに考えました。
しかし、同じく老中である松平定信は強く反対します。「オロシャの船を江戸に招き入れるなど断じてならぬ!口車に乗せられ、江戸湾で大砲を撃たれたらどうするのだ!」と、定信は警戒心を露わにし、対応は幕府が直接行うべきだと主張しました。
(🏯 朝廷との緊張:尊号一件)
その矢先、京から新たな知らせが届きます。
光格天皇が父・閑院宮に「太上天皇」の尊号を贈る意向を示したのです。朝廷への影響力を強めていた定信は、これを「朝廷の越権」と受け取り激怒しました。尊号を強行するならば、幕府からの援助金を打ち切ると命じたのです。
江戸と京での緊張が高まります。
(🕯 母・つよの死)
その頃、蔦屋重三郎は尾張に出向き書物問屋・永楽屋との商談を新たな取引をまとめていました。
重三郎の母・つよは時折、頭痛に襲われていましたが、そのつよが死去します。
母・つよの訃報を知り、急ぎ帰郷した重三郎は、母を偲ぶ集まりを店で開きました。
会には、旧知の人々が次々と弔問に訪れ吉原からも、妓楼市右衛門や次郎兵衛、そして見番のりつが姿を見せました。
吉原からきた人々は口々に不景気にあえぐ吉原の現状を話します。
吉原の不景気を聞いた重三郎は、りつに「今、江戸中で人気の看板娘を絵にする計画があるので、喜多川歌麿に描かせてみてはどうだろう?」と「江戸の看板娘を絵にする企画」を提案します。
こうして絵師・喜多川歌麿に描かせることで、吉原の活気を取り戻そうと考えたのです。
りつはその話に心を動かされ、資金を出すことを約束しました。
(📚 書物問屋としての再出発)
やがて1793年(寛政五年)を迎えました。
重三郎の店は「書物問屋」として再スタートを切ります。黄表紙、狂歌集、書物、そして歌麿の美人画が店頭に並び、江戸の町は再び蔦屋の出版物で賑わいを取り戻しました。
歌麿が描いた「三人の看板娘」は大評判となります。
「三人の看板娘」とは、水茶屋・難波屋のおきた、せんべい屋・高島屋のおひさ、吉原の芸者・豊ひなです。
この三人を一目見たいと、多くの人がそれぞれの店に押しかけました。
「おきたが淹れる茶は一杯百文」「おひさのせんべいは一枚百二十文」などと、プレミアムがつくが程です。
人々の財布が動けば、町も活気づきます。
重三郎は「歌麿の絵が江戸の景気を動かしている」と豪語し、江戸の景気は活性化します。
(🎨 歌麿の葛藤と蔦重とのすれ違い)
この勢いで美人画の注文が殺到します。効率を求める重三郎は、弟子を使って量産を図ろうとしますが、歌麿は「一枚一枚、心を込めて描きたい」と譲りません。
重三郎と歌麿、非常に親密だった二人の間にはすれ違いが生まれました。
一方、老中の本多忠籌から、美人画の流行について定信に報告が入ります。
知らせを聞いた定信は「贅沢や浮かれた風潮が広がれば、田沼時代の乱れが再来しかねない」と激怒しました。
そして、問題の美人画に蔦屋の印を見つけるや、「また、あの者か!」と怒声を上げます。
蔦屋では、吉原との取引をめぐって新たな話が持ち上がっていました。吉原の借金を整理する名目で、歌麿に「女郎の大首絵」を五十枚描かせ、その売上を返済に充てるというのです。重三郎はこれを商機と見て即決しました。
しかし、歌麿の承諾は得ていませんでした。知らせを受けた歌麿は激怒し、「俺を借金のカタに売ったのか」と重三郎を責めます。
重三郎は「礼金は払う。売ったわけではない」と弁明しますが、信頼していた重三郎に勝手に決められたことが、歌麿には許せませんでした。
こうして2人の間はますます、暗雲が立ち込めます。
(👶 ていの懐妊)
重三郎の妻・ていの妊娠がわかりました。
そのため重三郎は、まもなく子が生まれるため「新しい売れ筋を出して、ていに苦労をかけたくない」という想いがあり、その一心で歌麿に「女郎の大首絵」を五十枚描かせ、その売上を吉原の返済に充てるという判断でした。
それを聞いた歌麿は迷いながらも、この仕事を引き受ける事にします。
(横から・・・)
重三郎との温度差を感じる歌麿・・・。
その歌麿のもとに、数日後、地本問屋・西村屋の跡継ぎである万次郎が訪ねてきました。
万次郎は、蔦屋の印の下に小さく押された「歌麿」の名を指し、「先生の絵が軽んじられているのでは」と問いかけます。「このまま蔦屋のもとで描くだけでよいのですか?」――その言葉は、歌麿の胸に深く突き刺さりました。
最近の重三郎とのすれ違いを感じている歌麿は「西村屋さん。お受けしますよ。この仕事が終わったら、もう蔦重とは終わりにします」と言い放ちます。
重三郎と歌麿・・・かつて“尽きせぬ欲”で共に夢を追った二人の道が、静かに分かれ始めていたのです。
次回に続きます。
<<おまけ>>
蔦屋重三郎に関する地域を歩きましたので紹介します。
<吉原>
【吉原神社】

【吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮】

【見返り柳】

<重三郎が構えた日本橋耕書堂跡>

<<蔦屋重三郎の墓標>>

<<平賀源内の墓>>

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第42回「招かれざる客」の紹介でした。
