1911年(明治44年)10月24日、
薩長出身でも皇族でもない元帥が初めて誕生します。
小倉出身の陸軍大将・奥 保鞏です。
(「元帥」とは・・・)
「元帥」は戦前の日本において、天皇の軍事顧問として、功績が顕著である陸海軍の
大将に与えられた称号です。
天皇は「大元帥」で、元帥は大元帥の天皇に次ぐ日本陸海軍の最高位です。
元帥は1898年(明治31年)から1945年(昭和20年)に、皇族9人、非皇族22人に、その称号が与えられています。
非皇族22人のうち11人は薩摩、長州出身です。
さて1911年(明治44年)10月24日、陸軍大将・奥 保鞏が、薩長・皇族出身以外で初めて、元帥の称号を得ます。
(奥 保鞏とは)
奥保鞏は1847年2月5日、小倉藩士の子として生まれます。
小倉には「歩兵第十四聯隊之趾」があります。

その傍らに「奥元帥誕生之地」の石碑があります。


奥は陸軍に入り、佐賀の乱、台湾出兵に参加します。
1877年(明治10年)に起きた西南戦争では歩兵13連隊大隊長として熊本城に籠城します。日清戦争では野津道貫の後任として第5師団長となります。
日露戦争前年の1903年(明治36年)には、薩長・皇族出身以外で初めての陸軍大将に任じられました。
日露戦争では、第2軍司令官として出征、南山の戦い、遼陽会戦、奉天会戦などを指揮しています。
奥には「日露戦争従軍軍司令官中、唯一参謀を必要としなかった将軍」や「奥大将が出たと聞くと、ああこれで勝ったと皆が思った」と言う逸話があります。
坂の上の雲に出てくる秋山好古は、この奥の下にいました。
下の写真は1905年(明治38年)に瀋陽で撮影された日本陸軍首脳部の写真です。
中央は大山巌です。
奥は右から4番目、乃木の隣です。

奥は日露戦争後には、陸軍の作戦部門のトップである参謀総長に就任しました。
日本陸軍の参謀総長に就任すると、奥は、組織の整備や教育制度の確立に尽力します。戦術や戦略の近代化が進められ、日本陸軍は戦術的に優れた軍隊へと成長していきました。
そして、1911年(明治44年)10月24日に皇族、薩長出身者以外で最初の元帥となりました。

(出典:元帥府ニ列セラレ特ニ元帥ノ称号ヲ賜フ 陸軍大将 伯爵奥保鞏

昭和5年(1930年)7月19日、脳出血で 死去します。享年85(数え)。
謙虚な性格で生涯自分の戦功を語らず、政治向きの発言も一切しませんでした。
・・・ということで10月24日は、
薩摩長州以外で初めての元帥が誕生した日です。
