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【今日は何の日】1944年10月24日 戦艦武蔵沈没──大宮・氷川神社との深い絆・慰霊碑を訪ねて

1944年(昭和19年)10月24日、
日本海軍の戦艦「武蔵」が
フィリピン・シブヤン海で沈没しました。

その戦艦武蔵の碑が
埼玉県さいたま市・大宮にある氷川神社
建立されています。
日本海軍最後の戦艦「武蔵」)
戦艦武蔵は、日本海軍が建造した最後の戦艦で、基準排水量は約6万5千トン、全長263m、幅38.9mという世界最大級の巨艦でした。
戦艦「武蔵」の名は、武蔵国にちなんで命名されています。

建造は広島県呉市三菱重工業造船所で行われ、1942年(昭和17年)8月5日に竣工。
戦艦名「武蔵」が武蔵国にちなんで命名されたという縁で、竣工式には、さいたま大宮の氷川神社から6名の神職が呉へ赴き参列しています。
戦艦武蔵の艦内神社「武蔵神社」)
日本海軍の軍艦には、航海の安全と乗員の心の拠り所として「艦内神社」が祀られていました。
戦艦武蔵は、さいたま大宮の氷川神社から御分霊をいただき、艦内に「武蔵神社」が設けられました。

海上をゆく巨艦の中に、埼玉の氷川神社の神様が祀られていた──。
陸の大社と海の戦艦が、つながっていました。
山本五十六長官の遺骨を内地に届ける)
武蔵は、1942年(昭和17年)8月5日に第一艦隊第一戦隊に編入されました。 武蔵は連合艦隊旗艦になった最後の戦艦で、太平洋戦争期間中に一番長く連合艦隊旗艦を務めた艦でした。

1943年(昭和18年)5月23日に、戦死した山本五十六長官の遺骨を内地へ届けたのも
戦艦武蔵です。

戦艦武蔵シブヤン海での最期)
1944年(昭和19年)10月24日、レイテ沖海戦の一幕として、シブヤン海で米軍機の猛攻を受けます。
下の写真は米海軍機動部隊 38 航空機の攻撃を受ける戦艦武蔵の様子です。

武蔵は集中砲火の被弾を受けます。

結局、戦艦武蔵は、19発の魚雷と17発の爆弾を浴び、午後7時半過ぎに沈没し、乗員約2400名のうち、1000名以上が戦死しました。
このとき艦内神社「武蔵神社」も、艦と運命を共にして海に沈みました。

下の写真は、駆逐艦・磯風の水雷長が撮影した「戦艦武蔵が艦前方が半ば海面下に没した写真」です。この写真は武蔵最後の姿として有名です。

武蔵は戦艦「大和」と並ぶ世界最大級の戦艦であり、その活躍を期待されましたが、
米軍機の猛攻を受け、わずか2年あまりの短い生涯を閉じることになります。
このとき艦内に祀られていた「武蔵神社」も、乗員たちと共に海へと沈みました。
戦艦大和顕彰碑)
戦艦武蔵沈没から71年=戦後70年を迎えた2015年(令和3年)10月24日、氷川神社
三の鳥居近くに「戦艦武蔵顕彰碑」が建立されました。
艦と共に海に沈んだ人々の魂を慰霊するため建立されたのです。

戦艦武蔵

 戦艦武蔵は世界最高技術を駆使し、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦である。
 パナマ運河幅の制限から、40cm(16インチ)を超える主砲を持つ戦艦を建造できない米海軍の弱点に注目し、主砲46cm砲三連装砲塔3基を搭載した世界最強かつ最大の戦艦として建造された。武蔵誕生に到るまでには多くの技術的困難があり、関係者の苦労は並大抵のものではなかった。また、海軍の指示により建造造船所である三菱重工業は、所員に対する緘口令等、建造秘匿の徹底を図った。
 昭和17年8月5日に広島県呉で行われた竣工式には、氷川神社より6名の神職が出向し、四季が厳しく執り行われた。艦内神社には、氷川神社分祀され武蔵神社と命名された。
 昭和19年10月17日「捷一号」作戦発令により、日米両海軍の主力が艦隊決戦を行わんとフィリピンレイテ沖を目指した。武蔵は米海軍の航空攻撃を一手に引き受け、10月24日シブヤン海に没した。同作戦により戦艦武蔵の乗員1039名戦死、生存1329名もマニラ防衛戦等に投入され最終的に祖国の土を踏めた者は430余名と言われている。
 ここに戦艦武蔵を顕彰し、碑建立に協賛、賛同するものである。

平成27年10月24日建立
 戦艦武蔵顕彰会
協賛団体
 軍艦武蔵会
 埼玉県防衛協会(創立50周年記念事業)

 その裏面には設立趣旨が書かれています。

設立趣旨
 連合艦隊旗艦であり世界最大の戦艦武蔵がフィリピン沖で戦没してから平成26年10月24日で満70年となりました。「武蔵」の艦名は埼玉県、東京都、神奈川県北東部の旧国名である「武蔵国」に由来し、乗組員の拠り所でもあった艦内神社として武蔵一宮氷川神社の分社である武蔵神社が艦内に祀られていました「大宮」の地名の由来ともなった「大いなる宮居」として尊崇されている氷川神社が鎮守するこの大宮後において、没後70年を節目として多くの心ある有志が集まり、戦艦武蔵顕彰会が設立されました。
 当時の世界最高水準である造船技術と、類まれなる操船技術で、不沈艦の相応しい最期を遂げた戦艦武蔵と乗組員の不屈の武蔵魂を後世に伝承し、先人たちへ感謝を捧げ、未来永劫、顕彰していくべく、この顕彰碑を建立する。
 平成27年10月24日
  戦艦武蔵顕彰会会長 新藤享弘
  権宮司 東角井真臣 揮毫

<<氷川神社戦艦武蔵の碑への行き方>>
「JR大宮駅東口」から徒歩約15分
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

・・ということで10月24日は戦艦武蔵が沈没した日です。




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