2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)10月12日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第39話「白河の清きに住みかね身上半減」です。
それではストーリーを見て行きます。
(規制突破)
松平定信による改革は庶民が気軽に楽しんでいた黄表紙や洒落本までもが厳しく規制の対象となり出版業界は存続の危機に立たされます。
1791年(寛政三年)、蔦屋重三郎は地本問屋の株仲間を発足させます。
さらに重三郎たちは、松平定信が出した出版統制の中で、「新規の出版は禁止だが、どうしても作りたい時は「指図」を受けること」という文章に書かれた「指図をもらう」ことに着目します。
江戸の地本問屋が結集して「株仲間」として団結し、お上に大量「指図」をお願いする大量草稿提出作戦を行い、行事の差配によるお触れに差し障りのない本なら出版できる、という言葉を引き出しました。
重三郎は山東京伝が執筆した洒落本三作品の出版しようと考えます。その三作品は、「娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい)」「仕懸文庫(しかけぶんこ)」「青楼昼之世界錦之裏(にしきのうら)」で、いずれも遊廓での男女の人間模様を描いた好色本です。
これは松平定信による寛政の改革で風紀粛正が進められる中、本来であれば出版が許されるはずのない内容です。
しかし重三郎は行事たちを巧みに説得する。跋文(後書き)に「遊びは身を滅ぼす」という戒めの文章を加え、袋入りの体裁で「教訓読本」と銘打つことで、表向きは教訓書としての装いを凝らしたのである。
重三郎の言葉巧みな交渉で、行事の伊勢屋新右衛門と吉兵衛は渋々ながらも検閲印を押します。
こうして重三郎は、府の検閲を担当する行事たちを説得して、山東京伝の作品を「教訓読本」として出版することに成功します。
これは、庶民の教養を高めるという名目で、娯楽性の高い読み物を合法的に世に出す作戦でした。
重三郎は「仕懸文庫」「青楼昼之世界錦之裏」「娼妓絹籭」の三冊を袋詰めにして販売します。三部作は庶民の間で大いに人気を博し、重三郎の店・耕書堂は再び活気を取り戻します。
(連行)
しかし、「教訓読本」という名目で出した本ですが、幕府からその内容が風俗を乱す可能性があると判断され、突如として絶版命令が下されました。
与力と同心が耕書堂に踏み込み、重三郎と山東京伝、行事(地本問屋の持ち回り検閲担当)の吉兵衛と新右衛門が牢屋敷へ連行され、厳しい取り調べを受けることになります。
重三郎は、冷たい水をかけられる水責めの拷問を受けます。一方の京伝も同様に捕らえられ、両者とも厳しい取り調べを受ける身となりました。
店の者たちは驚愕し、妻のていは夫の身を案じて気を失ってしまうほどの衝撃を受けます。
(重三郎の決意)
お白洲では、重三郎は松平定信と対面しました。最高権力者の松平定信、自らが出向いて裁きを下すという異例の事態です。
定信は、三作品を示しながら、重三郎に「どれもこれも女遊びの指南書だが、これのどこが好色でないと言うのか」と問い詰めます。
これに対し重三郎は「跋文には遊びは身を滅ぼすと但し書きしております。ゆえにそれは教訓の本でございます」と反論します。
しかし定信は「これを好色本とするか教訓本とするか、それを決めるのは貴様ではなく私だ。心得違いを認め、かようなものは二度と出さぬと誓え」と言い今回の三部作を「女遊びの指南書」と言い、廃止することを命じます。
これを受けて、重三郎は「越中守様は、透き通った川と濁った川、魚はどちらを好まれます?」と言い、それを聞いた定信は「魚は濁った川に棲むもの。人もまた、少しの濁りがあってこそ生きられる。」と答えます。
そこで、重三郎は「白河の清きに魚住みかねて 元の濁りの田沼恋しき」と狂歌を読みます。本人を目のまえにしての大挑発行為です。士農工商という身分制度が強いこの時代、商人の重三郎が武士、しかも老中首座の松平定信に対し、面等向かってこのような挑発行為をするのは命がけです。
この重三郎の命がけの発言でも幕府の方針は揺ぎません。
逆に重三郎のこのような挑発的な態度で処罰はさらに重くなることが確実となりました。重三郎は蔦再び牢屋敷に戻され、激しい拷問を受けます。
(つよの愛)
一方、絵師の喜多川歌麿は、瘡毒(梅毒)が原因で妻・きよを亡くした悲しみから心を閉ざし、筆を取ることができません。
そんな歌麿を重三郎の母・つよが気にかけ、歌麿におにぎりを差し出します。
差し出されたおにぎりを食べる歌麿・・・その姿には、母への渇望と救いが重なりました。
つよは、歌麿を連れて江戸を離れる決意をしました。歌麿は重三郎のもとを去り、つよの故郷である下野のパトロンである鹿沼の善野喜兵衛のもとへと向かいます。
こうして、つよの温かな支えを受けながら、歌麿はゆっくりと心の傷を癒していくことになります。握り飯を前に涙を流しながらも、少しずつ生きる力を取り戻していくのです。
母親の愛情を十分に受けることなく育った歌麿が、重三郎の母・つよの愛情で立ち直ろうとしています。
(妻の力)
重三郎の母が動き出した一方で、重三郎の妻・ていも動き出しました。
夫の命が危ういと知ったていは、なんとか助ける方法はないかと必死に考えます。鶴屋南北や須原屋市兵衛、宿屋飯盛らが集まったが、「みな店も家もある身、累が及ぶかもしれないから命乞いはできない」と告げられ、道はないのかと落胆します。
しかし、宿屋飯盛から、公事宿に来る人々が「今のお上の厳しいお裁きは、幕府が推進している朱子学の考えと合わないのではないか」と愚痴をこぼしているという話を聞いたていは、松平定信が抜擢したブレインの儒学者・柴野栗山に面会を申し込みます。
こうして、ていは、夫・重三郎を救うために長谷川平蔵の導きで、松平定信のブレインである儒学者・柴野栗山のもとを訪れました。
ここで、ていと柴野栗山の頭脳対決が繰り広げられました。
てい:子曰く、「之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに德を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格る
(導之以政 齊之以刑 民免而無恥 導之以徳、斉之以礼、有恥且格)」
訳:政によって民を導き、刑罰によって民を統制しようとすると、民は法や刑罰の裏をくぐることだけを考えて悪を恥じる心を持たなくなる。徳によって民を導き、礼によって民を統制すれば、民には悪を恥じる心が育ち、正しい道をふみ行うようになる。
ていは、論語の言葉を持ち出し、徳と礼によってこそ人は恥を知る。と主張します。
栗山:「君子は中庸し、小人は中庸に反す。小人が中庸に反するは 小人にして忌憚なきなり(君子中庸、小人反中庸 小人之中庸也、小人而無忌憚也)」
栗山は、君子は中庸を保つものであり、小人の中庸は自分の欲望を制御できず、小人であるからこそためらいや恐れなく極端な行動をする と答えます。
てい:「義を見てせざるは勇なきなり」
ていは、夫の重三郎が、困窮する吉原の女郎たちの姿を見て、礼儀を守る客を増やしたかったのだ。そして吉原で働く女郎たちは親兄弟を助けるために売られてくる「孝の者」である。そのような、不遇な孝行者である吉原の遊女たちを助けるのは正しいことであるから、儒教の観点から正しいお裁きを切に希望します。という意図です。
このやり取りの素晴らしい事。余計な説明を入れず、論語の言葉だけでのやり取り・・・。
儒学者・柴野栗山は本屋の女房であるおていさんと、まさかこのようなやり取りができるとは予想もしていなかったことでしょう。
(身上半減)
このやり取りをうけた栗山は、定信に「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言い、その結果、重三郎は死罪や遠島ではなく「身上半減」という刑に軽減されました。
い刑罰ですが、命を絶たれるわけでもなく、江戸から追放されるわけでもありません。規模は半分になりますが商売の継続が許されたのです。
裁きの結果、京伝には手鎖五十日の刑と罰金、検閲を行った行事の伊勢屋新右衛門と吉兵衛は江戸所払い、そして重三郎は「身上半減」という処分が下されました。
(びんた)
裁きの判決の時、重三郎は、「縦でございますか? 横でございますか?」とふざけた態度をとり、周囲の者は冷や冷やします。
このとき。ていが立ち寄り「己の考えばかり! 皆様がどれほど……べらぼう!」と重三郎を平手打ちしました。
こういう時には、ふざけずに真剣に対応する‥それが当たり前なんでしょうけど、重三郎はそれができなかったんですね・・。
(ピンチをチャンスに!)
「身上半減」という裁きを受けた重三郎の耕書堂。「身上半減」という名の通りは財産の半分を没収されました。耕書堂の看板やのれん、商品紹介の宣伝紙まできっちり半分に切られました。
この「身上半減」の裁きを受けたことで、耕書堂は人々の噂になります。
ここに重三郎は商機を見つけました。耕書堂を「身上半減の店」としてPRするのです。
重三郎の、この大胆な発想転換に、人々は驚きと興味を持って日本橋の耕書堂を訪れるようになりました。
そこへ大田南畝が訪れ、「蔦重らしい!」と大笑い。
こうして耕書堂は江戸の町で話題となり、再び人々が集う場所として賑わいを取り戻しました。
山東京伝も手鎖の刑を受けたことで、かえって名が広まる結果となりました。処罰を受けたことが逆に箔をつけることになり、京伝の人気はさらに高まっていきます。
こうして、重三郎は最大の危機を乗り越え、妻・ていの機転と勇気、そして仲間たちの支えによって、耕書堂は新たな一歩を踏み出すのでした。
(鬼平)
一方、江戸の街には盗賊集団「葵小僧」が暴れていました。そこで、長谷川平蔵が「火付盗賊改方」として「葵小蔵」をつかまえ、江戸の治安維持において重要な役割を果たす存在となりました。「火付盗賊改方、長谷川平蔵!」ですね。
(批判)
倹約節約を基本に改革を進める松平定信ですが、その厳しく、また性急な事に対し、幕府内からも厳しい批判が出てきました。
中には、定信を、「田沼以下」と発言する者もいたため、定信は苦悩します。
自らが掲げる政治の理想と、それが実現できない現実の狭間で揺れながらも、政の舵を取る覚悟を新たにします。
今後はどうなるのか・・・
次回に続きます。
<<おまけ>>
蔦屋重三郎に関する地域を歩きましたので紹介します。
<吉原>
【吉原神社】

【吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮】

【見返り柳】

<重三郎が構えた日本橋耕書堂跡>

<<蔦屋重三郎の墓標>>

<<平賀源内の墓>>

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第39回「白河の清きに住みかね身上半減」の紹介でした。
