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大河ドラマ べらぼう 第37話「地獄に京伝」ネタバレあらすじ 

2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。

2025年(令和7年)9月28日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第37話「地獄に京伝」です。
それではストーリーを見て行きます。
(担い手をどう確保するか)
松平定信が進める贅沢を禁じ倹約を重視した政治改革を進める中、寛政 元年 7月7日 (1789年 8月27日))、黄表紙「鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)」や「天下一面鏡梅鉢』の戯作者の恋川春町が自決しました。
さらに戯作者の朋誠堂喜三二も江戸を去りました。
重三郎は、江戸の出版文化を支えてきた春町と喜三二を失ったことで、大きな喪失感を抱え、これからどうすべきなのかと頭を抱えます。
その対策として、重三郎は政演に執筆を依頼しますが、政演は気乗りがしません。
(きよの足)
その頃、歌麿のもとに栃木の豪商・釜屋伊兵衛が訪れます。
歌麿は釜屋伊兵衛から屋敷に飾るための高価な一点ものの肉筆画を直接依頼されたのです。
この事を歌麿は画家としての力を認められた事に自信を持ち「おきよがいたら何でもできる気がする」と、幸せそうな笑顔を見せます。
しかし・・・・妻・きよの足に赤い湿疹が!!これは何かの暗示です・・・

(進む松平定信の改革)
一方、老中・松平定信は、倹約に重点を置いた自身の改革を着々と進行させます。
経済面では、借金を抱える旗本や御家人を救済するため、札差しに債務放棄などをさせる棄損令を発動します。

また、倹約は大奥にまで及び、大崎に対し、「鈴木越後(江戸時代の菓子屋。明治維新に廃業)の羊羹を日々使いにしておろう。羊羹など御膳所で作ることとすれば、10分の1の掛かりで済む。」と言い大奥も大いに倹約すべしと言います。

さらに、1789年(寛政元年)には、贅沢を取り締まるため、月見の名所として有名で、舟遊びなどで賑わっていた江戸三俣付近の歓楽街・中洲を取り壊します。
(吉原に影響が・・)
こうした贅沢を許さない風潮は町人の暮らしに影響を及ぼし、吉原では客足が激減します。さらに吉原には取り壊された中洲の遊郭からの遊女たちが流れてきます。

この状況に吉原では、女郎を守る見番や茶屋をなくして値を下げる女郎屋も出てきます。
重三郎は「無骨な輩が入ってきて、女郎の身がどんどん危うくなりゃしませんか?女芸者だって見番があるから守られてるわけで」と言い、
りつは「これじゃあ吉原はただの大きな岡場所。女郎は一分の夢も見られない、めっぽうでかいだけの地獄になっちまうよ。」と嘆きます。
(絢爛豪華な一冊を)
こうした現状をみて重三郎は、吉原のために「絢爛豪華な女郎を絢爛豪華に描く」というアイディアを思いつき、北尾政演と歌麿に「江戸の町を明るくする一冊を世に出そうと誘います。
しかし、ここで重三郎の妻・ていが、「2人に二方ともどうか書かないでくださいませ!」とその企画に反論します。
さらに重三郎には「大変申しあげにくうございますが、旦那様はしょせん市井の一本屋に過ぎません。立場の弱い方を救いたい。世をよくしたい。その志はわかりますが、少々己れを高く見積もりすぎてはないでしょうか!」と指摘します。
ていのこの一言は、重三郎が抱える問題と、彼自身の限界を容赦なく突きつけるものでしたね。
重三郎は、ていに対し「陶朱公のように生きろといったのは、どなたでしたっけ?」とかつて、ていから陶朱公のように生きろと言われたことを持ち出して反論します。
それに対し、ていは、将来の大きな目的を成し遂げるために、一時の恥や屈辱に耐えることを意味する故事成語韓信のまたくぐり」を引き合いにして、今は耐えるべきだと諭します。しかし、重三郎にはピンときません。

ていは、保身を考えることは恥ずべきことだと蔦重に言われると、眼鏡をかけ直し、金々先生以前の青本に戻る提案をしました。
(足の湿疹)
歌麿を訪ねた北尾政演は、「ありのまま」の襖絵を見て、女郎買いを指南する洒落本を思いつきます。

しかし、直後に映るきよのくるぶしには、赤い湿疹がさらに広がっていました。これは何を意味するのか・・・
(定信の決意)
松平定信が体調を崩している徳川治貞を見舞いました。
倹約を重視した倹約を進める定信に対し治貞は「悪をなくせると思わぬほうがよい」と言います。
さらに「全ての出来事は、神の御業の賜物。それを善だ悪だと我々が勝手に名付けておるだけでな。まあ己れの物差しだけで測るのは危ういということだ」と付け加えます。それに対し定信は「世は思うがままに動かぬもの。そう諫言した者を、私は腹を切らせてしまいました。その者の死に報いるためにも、私は、我が信ずるところを成しえばなりませぬ!と春町を死に追いやったことを悔い、死した春町に報いるためにも改革を進めていく決意を口にします。
(ありのまま)
政演は、歌麿の襖絵を見て「ありのまま」の美しさに気づきます。そして、女郎と客のありのままを書きあげました。
登場人物の女郎のことを、身内のように思える戯作です。これを見た重三郎は出版を決めました。
(怪しい仲)
また定信は、一橋治済と対峙していました。

治済は、松平定信が自身の太上天皇の称号を朝廷に断ったこと、さらに大崎が解任したこと知り、激怒します。対田沼で1つになっていたように思えた2人ですが、その仲が怪しくなります。
(2つの出版物)
政演は、「女郎と客の心理」を描いた洒落本『傾城買四十八手』を完成させます。
さらに、馴染みの花魁・菊園のアドバイスをうけて、『心学早染艸』を、重三郎の元ではなく別の版元・大和田から出版させました。

この『心学早染艸』は江戸時代後期に庶民のあいだで広まった「倹約・正直・勤勉」などを柱とした庶民向けの教え・心学をもとに、善悪の概念をわかりやすく伝える「教訓黄表紙(おしえ本)」です。
『心学早染艸』で描かれた「善魂」と「悪魂」が、今でも使われている「善玉、悪玉」の元になっているそうです。
(重三郎激怒)
重三郎は、北尾政演が『心学早染艸』を大和田という本屋で書いたことを知り、激怒します。さらに、この本の中身が「風刺や洒落ではなく、時の権力に寄り添った本」とだして怒り、政演がのもとに怒鳴り込みます。

北尾政演は重三郎に「面白けりゃいいんじゃねぇですかね!面白ぇことこそ、黄表紙にはいっちでぇじなんじゃねぇですかね。ふんどし担いでるとか担いでねぇとかよりも。」と言うと、重三郎は「抗ってねえと、一つもたわけられねえ世になっちまうんだよ!」と対立します。
そして、北尾政演は「俺、もう書かねえっす。蔦重さんとこでは、一切書かねえっす!」と言い、二人はついに決裂。
政演は重三郎の元を去っていくのでした。

次回に続きます。

<<おまけ>>

蔦屋重三郎に関する地域を歩きましたので紹介します。
<吉原>

【吉原神社】

吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮】

見返り柳

<重三郎が構えた日本橋耕書堂跡>

<<蔦屋重三郎の墓標>>

<<平賀源内の墓>>

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第37回「地獄に京伝」
の紹介でした。




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