2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)9月7日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第34話は「ありがた山とかたじけ茄子」です。
それではストーリーを見て行きます。
(身の回りに気を付けるように・・)
1787年(天明7年)5月、米価高騰と飢えで、各地で起きていた打ちこわしが、江戸にも波及し5月20日には、小田新之助たちの集団も、田沼家御用達の米屋の戸を壊します。
エスカレートする打ちこわし。その現場に、重三郎の宣伝隊が幟を立てて、「お救い銀」が出ることを伝える歌を歌いながら、ビラを配っていました。そのとき、重三郎が襲撃されます!
その重三郎を守ろうとして新之助が刺され死亡しました。
その新之助の死から数日が経ちました。新之助に命を救われた重三郎は、田沼意次の側近・三浦庄司から事件の真相を耳にします。しかし、犯人の身元は不明。三浦庄司は、重三郎に当分の間は身の回りに気をつけるようにと忠告します。
(情報操作)
田沼意次が失脚し、1787年(天明7年)6月19日。松平定信が老中首座に抜擢されます。
老中デビュー、しかもいきなりトップの老中首座です。
老中首座の松平定信が掲げたのが「質素倹約」。自分の祖父である8代将軍・徳川吉宗の世に倣い、質素倹約を推し進めます。
江戸の街では、松平定信の登場で政治が良くなったという話題で持ちきりです。
読売には「吉宗公の孫→生まれ変わり」「熊をも倒した柔術の達人」といった賛美が並びます。このように世間は松平定信の登場を大歓迎しているように見えます。
しかし、これは松平定信、自身によるの情報操作によるイメージ戦略でした。
定信は隠密を使い市井の声を収集し、また自分に好都合な噂を流していたのです。
(ふんどし)
松平定信が掲げた「質素倹約」は、遊興を控えさせる面もあり、厳しい統制でもありました。
この定信に対し重三郎は批判的です。
打ちこわしを収めたのは田沼意次であるにもかかわらず松平定信がおさめたことになっていることに不満で「「ひとのふんどしで相撲取ったふんどし野郎」だと揶揄します。
その重三郎に妻・ていが読売を渡します。
そこには、江戸城で、定信が「今この国は、田沼病にかかっておる!田沼病とは奢侈にやたらと憧れる病である!」と話したという内容でした。
この読売を見た重三郎は怒りますが、ていは、定信の倹約を否定はしません。逆に「至極真っ当なこと」と賛同し「働くな死ぬまで遊べでは世は成り立ちませぬ」と重三郎に告げます。これに対して重三郎は「死ぬまで遊ぶほうがいい」と対立します。
ていは眼鏡を外し、重三郎に「旦那様、明鏡止水にございます。新しいご老中のお考えは極めて真っ当で、皆は喜んでいる。まずはその世のあるがままを受け入れる。
それは本屋にとり大事なことではないでしょうか?」と言います。
ここで重三郎が「なんで眼鏡外すんだよ」ツッコミます。
ていは、自分がお店を潰したことがあるので、夫の重三郎にお店を守ることを考えて欲しいという思いがありました。
(揶揄・皮肉を許さん!)
重三郎は、戯作者・絵師を集め、狂歌絵本の制作についての打ち合わせをしていました。
狂歌と歌麿の写生絵を雲英摺で仕上げる豪華絢爛なものを作る予定です。
そのとき、そこに大田南畝が入ってきます。そして「俺はもう狂歌も戯作もやめる、筆を折る!」と言いました。
というのはある時、人気の狂歌師・太田南畝が幕府側の定信派の大名に呼ばれました。
その席で「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず」という定信を皮肉った歌を見せられ意見を問われます。
大田南畝は風刺が効いていると褒めます。しかし、作者は大田南畝なのではないか、と問い詰められ、いくら否定しても認められません。
定信を皮肉った狂歌を作った疑いで処罰の対象になるなど、自由に表現することが許されない世の中になってきたのです。
(最後の対面)
重三郎が田沼屋敷を訪れました。
「何かあったか、ありがたい山。まさかそなたにまで何か累が?何かあるなら遠慮なく申せよ。今となっては力となれるかどうかも怪しいが」という田沼意次に重三郎は「田沼様が作った世が好きだった。皆が欲まみれで、いい加減で。だからこそ、分を超えて親しみ、心のままに生きられるすき間があった。」と言い、松平定信が掲げる質素倹約という今の世に書をもってその流れに抗いたく存じますと言います。
そして「私は最後の田沼様の一派として田沼様の世の風を守りたいと思います。ただそのために田沼様の名をさらに貶めてしまうかもしれません。いいえ、貶めます。そこはお許しいただきますでしょうか?」と言います。
これを聞いた意次は「好きにするがよい。自らによって、我が心のままに」と返し、重三郎が「ありがた山のトンビガラスでございます!」と言うと意次は「こちらこそかたじけ茄子である!」と返します。
まあ、なんというやりとり!そして、これが二人の最後の対面でした。
(消えゆく田沼派)
重三郎は、田沼派の勘定奉行・松本秀持と勘定組頭・土山宗次郎を処罰するという読売を目にします。
そして田沼意次は城主だった相良城が廃城となり、財産や屋敷が取りあげられ、表舞台から消えさります。
田沼派で勘定組頭だった土山宗次郎は、江戸幕府から500両もの大金を横領した疑惑をかけられます。そこで平秩東作を頼って江戸から逃亡しますが。見つかり江戸に送還され打ち首となりました。
(黄表紙を作る!)
戯作者、絵師、狂歌師たちが集まりました。
その席で、重三郎は皆に松平定信が行う政治を茶化した黄表紙を出版したい。と言います。
意次を叩き定信を褒めているように見せかけるというのです。
そして同時に、誰もがほしくなる豪華な狂歌絵本も作りたいと言い出します。
この案に関して皆は乗り気ではありません。
大田南畝は最初は難色を示していましたが、歌麿が描いた蜂と毛虫の絵を見て
「毛をふいて 傷やもとめん さしつけて君があたりに はひかかりなは」
(「毛を吹いて傷を求めん」と近寄る。あからさまに君の辺りに這って、ひっかかるか。)
と言い、さらに「屁だ。戯歌ひとつ詠めぬ世など…屁だ!」と言いだします。
この勢いがその場にいた人々に伝播し、最後は皆で「屁!屁!屁!屁!」と騒ぎさらに全員で踊りだします。
①朋誠堂喜三二『文武二道万石通』(ぶんぶにどうまんごくどおし)
③山東京伝『時代世話二挺鼓(じだいせわにちょうつづみ)』
と豪華な狂歌絵本=狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』喜多川歌麿・画
の4冊が出版されました。
(つづく)
<<おまけ>>
蔦屋重三郎に関する地域を歩きましたので紹介します。
<吉原>
【吉原神社】

【吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮】

【見返り柳】

<重三郎が構えた日本橋耕書堂跡>

<<蔦屋重三郎の墓標>>

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第34回「ありがた山とかたじけ茄子」の紹介でした。
