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大河ドラマ べらぼう 第33話「打壊演太女功徳」ネタバレあらすじ 

2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。

2025年(令和7年)8月31日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第33話は「打壊演太女功徳」です。
それではストーリーを見て行きます。
(江戸でも打ちこわし始まる)
1787年天明7年)5月、米価高騰と飢えで、各地で起きていた打ちこわしが、江戸にも波及し小伝馬町、深川、赤坂と広がります。
そして、5月20日、小田新之助たちの集団も、田沼家御用達の米屋の戸を壊し、次々と米俵を運び出します。新之助は「天誅だ!俺達の苦しみを思い知れ!」と叫びます。
新之助が掲げるのぼりには「勿視金可視萬民 為世正我々可打壊」「我心のままに 喧嘩こそ江戸の華」と書かれていました。
新之助たちは、打ちこわしでは、狙うのは、大名御用達の米屋だけであるという大義名分があり、単なる盗みではないというのです。
また、米俵を奪っても口にはせず、道にばらまくだけ、すなわち=自分の物にするような略奪は行わないというスタイルです。
これには、民衆の「義」の思いが込められていました。
(歯止めが効かない・・)
米屋の戸を叩き壊し、米俵が道にばら撒かれる様子を見ていた人々が「俺たちもやろうぜ!」と次々と参加しその数は膨れ上がっていきました。
重三郎が経営する耕書堂では、米を炊いた時に出る煙を見た人々が、それに引き寄せられ打ち壊しに来ることを恐れていました。

さて、うちこわしの輪が広がる一方で、次第に状況がエスカレートして歯止めが効かなくなりました。
(お救い金)
重三郎が田沼意次の屋敷を訪れました。
重三郎は「源内の屋敷に出入りしていた男が打ち壊しを煽っていた」と話します。
また重三郎は、庶民に与える米がないのなら、「お救い金を配るべきだ。米がないなら銀を配って、それで後日米を買えるようにしよう」」と提案し、意次はそれに合意します。
そして、その宣伝周知のために重三郎が瓦版を刷って民衆に「御上が銀をばらまくこと」を伝える役目となりました。
(あの男登場)
そんなある日、打ち壊しにあった店の前であの男が姿を見せました。
それは丈右衛門だった男です。
この、「かつて“丈右衛門”を名乗っていた男」は、源内の屋敷で見た男であり、また大工姿で田沼意知の葬列に石を投げ、あるときは佐野大明神ののぼりを立てた男と同一人物であり、先日は、打ちこわしでの略奪を促した奴です。だったのです。
彼は、要所要所に出てきては、物語の流れで重要な役目を果たしますが、今回は打ちこわしに参加している人々に金品を盗むようにそそのかします。人々がそれに呼応し、略奪を始めたので、打ちこわしは収取がつかない暴動となっていきます。

状況を察知した新之助は、人々に盗みを止めようと制止に動きますが、この動きは止めようがありません。同心もやってきました。
(お救い米を!)
この騒ぎの中、江戸城には、大名たちが集められました。その席で、打ち壊しによる死者が出たという報せが入りました。
この状況を打開するためには、田沼は「騒ぎを真に収められるのは米。米だけが民の怒りを収めさせる鞘にございます。そのために身を切ったとなれば、皆様は打ち壊しにあった者ではなく、打ち壊しを収めた者として、後の世まで残りましょう。どうかご英断ねがいたく!どうか!」とお救い米として米を負担するよう伝えます。
(宣伝部隊)
お救い金の配布を知らせる瓦版を作ることになった重三郎ですが、ただ瓦版を配布するだけではなく、何か工夫をこらそうと考えます。

そのため、のぼりを作ったり、芸の確認をしたりと、その準備で大忙しです。
そこには斎宮太夫の姿もありました。
(宣伝部隊登場!)
打ちこわしがエスカレートし、盗みまで行われるようになった中、新之助は必死に盗みを止めようと努めますが、まったく効果がありません。
と、そのとき突然、銅鑼の音が鳴り響き、斎宮太夫の歌声が聞こえてきました。
斎宮太夫、次郎兵衛、留四郎、芸者たちが通りを練り歩き、幟を立てて、「お救い銀」が出ることを、伝える歌を歌いながら、ビラを配っています。
斎宮太夫が力強い歌声で「天から恵みの銀が降る~」と歌い、次郎兵衛の太鼓が鳴り響く中、重三郎とみの吉が「お救い銀の事を書いた瓦版を配布します。
この、斉宮太夫の歌とともに配られる「お救い銀」の知らせで、騒動が静まります。
(重三郎、遭難)
こうして騒動が次第に沈静化していこうとするなら、一人の男が背後から重三郎に近づきます。
この物語で、数々の不幸を呼び起こした、「かつて丈右衛門だった男」です。

右手には、あいくちを持っていました。
重三郎の背後に接近し、肩をつかみ、あいくちを振りかざす。と、そのとき、重三郎の身を守ろうと新之助が間に割って入ってきました。新之助は脇腹を刺されました!
重三郎殺害をしくじった男は、重三郎に斬りかかろうとします。
すると、その時、男に矢が刺さり、前のめりに倒れました。
駆けつけた長谷川平蔵の矢が刺さったのでした。長谷川平蔵は「狼藉を働くものは容赦なく斬る」と告げます。
こうして、丈右衛門と呼ばれた男は、平蔵の放った矢で成敗されました。
新之助死す!)
新之助が刺された、あいくちに毒が塗られていたようで、新之助は苦しみ始めました。そこで重三郎は肩を貸し、新之助を医者のいる場所に向かうおうと歩きだします。
新之助は「蔦重を守れて良かった…俺は世を明るくする男を守るために生まれてきた…」と言い、重三郎は「よしてくだせえよ、新さん、てめえで立ってくだせえよ。」と答えますが、笑顔のまま新之助は息絶えます。
(定信を老中にすることを大奥が認める)
白河小峰城
松平定信は、打ち壊しが収束したことを家臣の服部半蔵から報告を受けます。

その松平定信ですが、老中にしようという動きに対し、大奥からは、「提言」として、松平定信が老中にはなれない定めがあると指摘されていました。
というのは、定信の妹・種姫は、10代将軍徳川家治の養女であることから松平定信は、時期将軍徳川家斉の義兄にあたります。
9代将軍徳川家重が出した遺言には「将軍家の身内は老中になれない」という定めがあり、松平定信が老中になるのは、その遺言に抵触するというのです。
そのため松平定信が老中になることは不可能だとされていました。
しかし、その提言をした大奥が急に定信の老中就任を認める事となりました。
それは、一橋治済が、大奥総取締の高岳に対してある物を見せます。
それは徳川家基に贈った「死の手袋」で、それで脅迫し、定信の老中就任を決めさせたのです。
松平定信の老中就任を大奥が認めた」という報せは、田沼屋敷に届きました。この大逆転を耳にした意次は、高岳が裏切ったのではないかと疑います。
(首座老中に)
老中になることを認められた松平定信が一橋治済のもとにやってきました。
定信は、「首座以外なら老中の話を断る」と伝えます。首座老中とは、老中の中で事実上のナンバー1で幕府の政治を主導する大重要な役割です。
その首座老中に、いきなり老中デビューしたばかりの定信が希望したのです。
それを聞いた治済は、「息子である将軍・家斉に田安家を差し出すなら」と条件を持ち出します。
歌麿
喜多川歌麿が重三郎を訪ねてきました。
歌麿は、自分の身を守ろうとして死んだ新之助のことを考え、土饅頭の前で嘆いている重三郎に、花や虫などを活き活きと描いた絵を見せて「いつかは消えてく命を紙の上に残す。命を写すことが俺のできる償いかもしんねえって思いだして。近頃は少し心が軽くなってきたよ。」と言いました。
さらに歌麿は「新さんってどんな顔をして死んだ?俺はさ、いい人生だったと思うんだよ。さらいてえほど惚れた女がいて、その女と一緒になって。苦労もあっただろうけど、きっと楽しいときも山程あって。最後は世に向かっててめえの思いをぶつけて貫いて。だからとびきりいい顔しちゃいなかったかい?」

それを聞いた重三郎は「いい顔だったよ…。今までいっちばんいい顔で…男前で…おめえに、おめえに写してもらいたかった」といい泣き崩れます。

次回に続く・・・

<<おまけ>>

吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。

<吉原神社>

吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

見返り柳

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。

吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。

京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第33回「打壊演太女功徳」
の紹介でした。




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