2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)8月24日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第32話は「新之助の義」です。
それではストーリーを見て行きます。
(水害の傷跡)
1786年(天明6年)7月、雷鳴が鳴り響く大雨が続き、利根川が決壊し江戸は大洪水。街に水が押し寄せて人や家屋が流され江戸の街は大混乱に包まれました。
そして水が引くと通りには街のあちらこちらに瓦礫の山ができ、人々は水害のせいで、その日の食べ物にも困る始末でした。
田沼意次は、お救い小屋の設置を命じますが、米は不足し人々に十分には行き届きません。
秋になっても住民たちの生活は困窮が続きし幕府への不満が高まります。
重三郎は深川に住む小田新之助に米を持っていきますが、新之助は「おふくととよ坊が亡くなったのは、俺が米を受け取ったからとも言える。」と言い、米を受け取らず、仕事の報酬だけを受け取りました。
(沈んでいく田沼)
日本橋の蔦屋耕書堂では、朋誠堂喜三二や恋川春町が集まり、田沼意次の事を話していました。
意次は老中を辞職し、徳川御三家と松平定信からの意見書によって、江戸城への登城禁止、20,000石と大坂と神田橋の屋敷を没収されてしまいます。
さらに田沼派の勘定奉行・松本秀持の罷免、土山宗次郎の左遷も行われ、こうして田沼意次勢力は勢いがなくなってしまいました。
(松平定信を老中に)
田沼が去れば新しい人がそこにやってきます。
江戸城では、御三家と一橋治済が、意次に代わる老中として松平定信を推薦します。
しかし、水野忠友は、白河松平家の「家格」を理由にこれに否定的態度をとります。
それに対し、徳川治貞が、家柄と言うのなら、なぜ足軽上がりの田沼は老中となれたのか?と言い、それに返す言葉が見つかりません。
(田沼の復帰)
ある寺で、老中・松平康福、水野忠友が、大奥の総取締役・高岳が話し込んでいました。松平康福と水野忠友が、「もし松平定信が老中に就けば、高岳の立場も危うくなる」と指摘すると、高岳は、「大奥からの提言」として、松平定信の老中就任と引き換えに、田沼意次の謹慎を解くことを提案します。
後日、松平康福、水野忠友は、定信の老中就任には合意するが、「大奥からの提言」として同時に意次の謹慎処分を解くという条件を、一橋治済に伝え、治済も納得しました。
こうして1787年(天明7年)正月、田沼意次は一大名となったものの登城を再開します。
(裏の老中首座)
復帰した田沼意次は、さっそくその影響力を発揮します。
大名達が交代で毎日通う部屋である「雁の間」に詰め、老中たちに「進言」という形で様々なアドバイスやアイディアを伝えます。その姿は「裏の老中首座」と呼ばれるようになりました。
(もうここには来ない方がよい)
田沼が政界に復帰してしばらくたった1月半ば。
重三郎が深川の長屋を訪ね、新之助たちに米と酒を差し入れます。
せっかく差し入れをしたものの、深川には田沼意次の対応の悪さに対し恨みを持つ人たちが多く、重三郎についても「吉原とそこに落ちてくる田沼のカネで財をなした。ひょっとすると田沼の世で一番成り上がった男かもしれぬ。」などと否定的にとらえる人も多く、歓迎ムードとは程遠い状態になりました。
その空気を察した新之助は重三郎に「もうここには来ぬほうがよい」と言い出します。
(三浦)
重三郎が耕書堂に戻ると、三浦庄司が訪れていました。三浦は、意次が米を工面して庶民に配布したのに、その思いや意次の行いが民に伝わっていないと嘆きます。
そして、三浦は「意次の奮闘ぶりを世に知らせる黄表紙を作ってほしい」と依頼します。この申し出に重三郎が「政治に関する本を出版するとお咎めを受けるのでは?」 と問うと、三浦は「目こぼしできるように殿も計らえるのでは」と答えます。
(老中になれない定め)
一橋家の屋敷では能が催され、御三家の面々が顔を揃えます。
その席で、治済は御三家に、田沼の復帰は越中守(=定信)が老中に就くまでのつなぎ。と言い捨てます。
一方、意次は「ついにこの時が」と言い松平康福、水野忠友ら準備していた一橋治済への対抗策をうちだします。
しばらくして江戸城では、松平康福、水野忠友は、「大奥からの提言」として、松平定信が老中にはなれない定めがあると指摘します。
というのは、定信の妹・種姫は、10代将軍徳川家治の養女であることから松平定信は、時期将軍徳川家斉の義兄にあたります。
9代将軍徳川家重が出した遺言には「将軍家の身内は老中になれない」という定めがあり、松平定信が老中になるのは、その遺言に抵触するというのです。
(治済の横暴)
それを聞いた、治済は「さような定めなどなしにすれば良い。わしが破ってよいと言っておるのじゃ、破れ」と言います。
治済は将軍に就任したことがない人物ですが、その彼が、かつての将軍の名を呼び捨てにし、自分が時期将軍の父だと主張したのです。
そして彼はいずれ実権を握ることを企んでいるのです。
これは、家柄を重んじる将軍家としては見過ごすことができない発言です。
「一橋殿、残念ながら、貴殿は公に命を下せる立場ではないのだ。」と言われ、、紀州徳川家の当主徳川治貞からは「見苦しい!」と一喝されました。
(11代将軍家斉、宣下)
意次は徳川治貞に逢い、定信を次期将軍の後見にして、治済を政から遠ざけるように提案します。
こうして田沼は、御三家と一橋家のつながりを絶ち、田沼派の阿部正倫を新しい老中とすることにとしました。
1787年(天明7年)春、江戸城で徳川家斉の11代将軍宣下が執り行われました。
その時、集まった江戸幕府の官僚は、田沼派で固めました。
(白河の米をお救い米に)
米の値段の高騰が続き、大坂では打ち壊しが起こります。
田沼意次は、松平定信に会い、陸奥・白河藩の米を譲ってほしい、さらに、次期将軍の後見になってほしいと頭を下げました。
定信は米の話は承知しますが、後見の話は断ります。
意次は、これでお救い米ができると安堵します。しかし、定信は「約束をするが実行できるかはわからない」とつぶやきます。何かありますね。
(約束のお救い米が来ない!!)
重三郎は、幕府がお救い米を出すという情報を瓦版にして市中にばらまきます。これを受け取った民衆は大喜びです。
しかし・・米が配給される日になってもお救い米は配られませんでした。
約束を反故にされたことで新之助ら市民が幕府に押しかけます。
(治済と丈右衛門の芝居)
すると人々の中に物乞いの姿で紛れていた治済が「米がなければ犬を食え?犬を食えとは!」と叫びました。その声に、かつて“丈右衛門”を名乗っていた男が「誠にそんなことを言われたのか?」と大声で問い、物乞いは「そこのお侍から…」と反応します。指をさされた侍は「かようなことは言っておらぬ」と答えますが、このやり取りを目の前で見た人々の幕府への怒りはますます高まっていくばかりでした。
その場にいた重三郎は、その男に気がつきます。その男は、源内の屋敷で見た男であり、また大工姿で田沼意知の葬列に石を投げ、あるときは佐野大明神ののぼりを立てた男と同一人物だったのです。いつも騒ぎに姿を見せていたあの男です!
その場にいた新之助は「お上の考え、しかと受け取った」と打ちこわしをすることを心に決めます。
流言を広めて人心を乱し民を煽動するす丈右衛門と治済の暗躍・・恐ろしいです。
(打ちこわし参加を決意した新之助)
怒りに燃える新之助に重三郎が「新さん、まさか打ち壊しするつもりじゃねえですよね」と言いますが、新之助は「田沼の手先に話せることはないな。蔦重、俺はおふくと坊は世に殺されたと思うのだ。何ゆえおふくは、坊は、殺されねばならなかった。米がないからだ。何ゆえ米がないのだ。米を売らぬからだ。何ゆえ米を売らぬのだ。売らぬ方が儲かるからだ。では何ゆえ売らぬ米屋が罰せられぬ。罰する側が共に儲けておるからだ。みんな己の金のことしか考えぬ。田沼の作ったこの世に殺されたのだ。俺は、俺たちは、それをおかしいということも許されぬのか。こんな世は正されるべきだと声をあげることも。」と怒りをあらわします。
蔦重は返す言葉もなく立ち尽くしますが、平賀源内の「我が心のままに」という言葉を思い出します。
(ケンカ)
長屋では打ち壊しの準備が行われていました。
重三郎は平賀源内の言葉を思い出し、新之助に「カラッといきてえじゃねえですか、江戸っ子の打ち壊しは。血生臭えヤボな斬り合いなんかお侍に任せて。捕まらず死なず、江戸っ子らしく“喧嘩”に」と諭します。
それを聞いた新之助は、かつて源内と寝食を共にしていたことから、源内の言葉を思い出します。そして「喧嘩だな、打ち壊しが喧嘩なら、江戸の華で済む」と答えのぼりの布に思いを書いていきます。
新之助が書き上げたのぼりには「勿視金可視萬民 為世正我々可打壊」「我心のままに 喧嘩こそ江戸の華」と書かれていました。
次回に続く・・・
<<おまけ>>
吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。
<吉原神社>

<吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

<見返り柳>

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。
吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。
京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。
・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第32回「新之助の義」の紹介でした。
