1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で 韓国併合条約 が調印されました。
この条約により朝鮮半島は日本の統治下に入り、約35年間続く統治時代が始まります。
では、この出来事を当時の日本の新聞はどのように報じていたのでしょうか。
この記事では、当時の新聞記事や資料をもとに、韓国併合条約の内容と当時の報道の様子を紹介します。
1910年(明治43年)8月22日、
「韓国併合ニ関スル条約」が調印されます。
そして8月29日に公布・発効され、
大韓帝国は日本の統治下に入りました。

(韓国併合までの動き)
韓国併合の前年となる1909年(明治42年)10月26日、初代統監伊藤博文が満州のハルビンで安重根に射殺されます。
その後、韓国内の親日団体であった一進会は「劣等国民の名を脱するためには大日本天皇の皇澤に頼るべきである」と声明し日本への合併を申し出て、韓国内からの「合邦声明書」が出されます。
韓国では、ただ1人の閣僚が反対しただけで、韓国閣議が併合条約の調印を承認します。
そして1910年(明治43年)8月22日、京城で韓国の李完用首相と日本の韓国統監寺内正毅の間で「
下は全8条からなる条約の第1条です。
これには、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲與ス」と記述されています。

このように日韓併合条約(韓国併合に関する条約)は、日本と大韓帝国の両国が合意し両国の代表が調印した国際条約です。
このことから、韓国併合は、現在の竹島や北方領土のように、外国の軍隊が勝手に上陸して、その土地を占拠し一方的に自国の領土にしたわけではなく、双方の国の代表が併合に関する国際条約に調印するという手順を踏んでいることがわかります。
この条約はイギリス、アメリカ,フランス、ドイツ、清などに承認されました。
一個の独立国が自ら申し出た形で併合されたのは、アメリカのハワイ併合とこの韓国併合の例だけと言われています。
下は明治43年8月29日に出された「官報 号外」です。拡大してお読みください。

https://dl.ndl.go.jp/pid/2951509/1/10
(韓国併合をめぐる見解)
当時は帝国主義の時代であり欧米諸国による植民地支配が続いていた時代です。
そのため、この韓国併合条約を、「押しつけられたもの」とする見方や「国と国とが交わした正当な条約である」とする見方もあり見解が分かれています。
(新聞記事は韓国併合をどう伝えたか)
では当時の新聞記事は、韓国併合をどのように紹介しているのか、見てみます。
併合調印翌日8月23日の記事です。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/167
(合併前から財源の心配)
併合前の記事には、財源を心配する内容が書かれています。
つまり韓国が日本の領土になったものの、その後は様々な費用がかかり、その額が心配だというのです。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/155?page=right
韓国併合に関する条約です。拡大してご覧ください。


また、日本は韓国併合後には朝鮮総督府を設置しました。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/169?page=left

そして、併合後の9月3日には韓国併合の負債が9000万円だと報じています。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/173
新聞が報じたこの金額ですが、韓国が併合された年・1910年(明治43年)の日本の一般会計歳出は 「5億6千万円台」(数値の出典『戦前期主要統計』(財務省所収)。
一方、この新聞が記載した時点での韓国併合の負債額は9000万円。
この時点で、実に16パーセントを超え、一般会計の国家予算の6分の1近くになるのです。

併合後、朝鮮半島は日本の植民地として統治され、35年間にわたる日本の統治時代が
始まりました。
・・・というわけで8月22日は
韓国併合条約が調印され
韓国の日本への併合が決まった日です。
