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【妻を後部座席に乗せソ連軍へ特攻】~終戦後の8月19日、満州から妻と飛びソ連軍の戦車に体当たりをした神州不滅特別攻撃隊 ~特攻隊が満州にあった~

8月19日、神州不滅特別攻撃隊が出撃します。
その1人が、
妻を後部座席に乗せ
ソ連軍の戦車軍に向け特攻出撃しました。
終戦4日後)
終戦4日後の8月19日、 満州の飛行場で九七式戦闘機を改造した訓練機、11機が飛びたとうとしていました。

神州不滅特攻隊」を名乗った11人は、満州で日本人への虐殺を行うソ連軍に対し、
特攻することを決意し「戦い得ずして戦わざる空の勇士十一名 生きて捕虜の汚辱を受けるを忍び難し ここに神州不滅特別飛行攻撃隊を編成し 昭和維新のさきがけたらんとす」と記した遺書を残して出撃しました。

その近くには、白いワンピース姿に日傘を差した2人の女性がいました。 その女性たちは、特攻機の見送りではありませんでした。
なんと、それぞれ飛行機の後部座席に乗り込み、一緒に特攻に出撃しました。

ひと組は、谷藤徹夫・朝子夫妻。
もうひと組は、大蔵巌少尉と親戚で幼なじみのスミ子さんでした。

こうして女性を乗せた飛行機は満洲北部へと飛び立っていきました。
(谷藤徹夫・道子夫妻)
奥さんの道子さんを乗せて飛び立った谷藤徹夫少尉は、1923年(大正12年)、青森県に生まれます。
1943年(昭和18年)7月に、1年でパイロットを養成する「特別操縦見習士官(通称:特操)」に合格し、10月から福岡県にある大刀洗陸軍飛行学校に入学しました。

ここで谷藤さんは二つ年上の朝子さんと知り合い1944年(昭和19年)に結婚します。
その年の10月、谷藤さんは、訓練校を卒業し、陸軍少尉に任官し、満州で少年飛行兵に基礎操縦法を教える航空教官になります。
谷藤大尉は、先に満州の任地に向い、1945年(昭和20年)7月上旬には朝子さんも満洲に向かいます。
谷藤少尉が勤務していた日本陸軍第五練習飛行隊第一教育隊大虎山分屯隊は、満州北部の大虎山にある特攻隊員を育てる訓練隊でした。

ソ連参戦)
1945年(昭和20年)8月9日、ソ連が突然日ソ中立条約を破り満州に侵攻します。

ソ連による蛮行)
ソ連の侵攻により満洲各地では、ソ連軍による日本人虐殺が繰り広げられ、女性はソ連兵の性の道具にされていく地獄絵が繰り広げられます。

このような状況もなか、日本人を守ってくれるはずの関東軍は、無条件降伏のためソ連軍と戦闘を放棄してしいました。

ソ連終戦直後から何をしたかは
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神州不滅特別攻撃隊
8月18日、関東軍総司令部から第五練習飛行隊に、「武装解除を行い、飛行機は全機、錦県の航空基地に空輸し、ソ連軍に引き渡すように」との命令が下りました。

その晩、飛行場の近くにある伊予屋という小料理屋で、少年兵の教官たちが集まります。
無条件降伏をした日本人に対するソ連の残虐行為に対し怒りを抱いた彼らは、関東軍が出した降伏命令に背き、残っている戦闘機でソ連軍の戦車に体当たり突撃をすることを決断します。
そして自分たちを「神州不滅特別攻撃隊」と命名しました。
(出撃す)
翌19日早朝、11機の飛行機に、隊員たちが乗り込みました。
そのとき、見送りの人達の中から白いワンピース姿の谷藤朝子夫人(24歳)が現れ、
谷藤少尉(22歳)の飛行機の後ろの席に乗り込みました。
また、大蔵巌少尉の飛行機には、大蔵の親戚で幼なじみのスミ子さん、(前夜、みんなで打ち合わせした伊予屋の女中さん)が、同じく白いワンピース姿で乗り込みました。(スミ子さんの身元には他説あり)

また、この日、11機の1人の岩佐少尉は、朝、出発を前に、最後の別れにと許嫁の家を訪れます。このとき、出迎えた母と娘は白装束姿でその場で自決し、岩佐少尉は2人を介錯しています。

やがて、戦闘機のエンジンが始動し11機が次々と空に浮かびました。
うち1機が、エンジントラブルで飛行場のはずれに墜落しましたが、残る10機は、
北の空へと消えて行きました。

大虎山を飛び立った10機は、一路、赤峰のソ連軍戦車部隊を目指します。
こうして飛び立った九七式戦闘機10機のその後は不明です。
特攻が成功したのか、どうかもわかりません。

出撃した神州不滅特別攻撃隊10名です。名前の後ろは出身地です。

陸軍中尉 今田 達夫 広島
陸軍中尉 馬場伊与次 山形
陸軍中尉 岩佐 輝夫 北海道
陸軍中尉 大倉  巌 北海道
陸軍中尉 谷藤 徹夫 青森
陸軍中尉 北島 孝次 東京
陸軍中尉 宮川 進二 東京
陸軍中尉 日野 敏一 兵庫
陸軍中尉 波田野五男 広島
陸軍少尉 二宮  清 静岡

この話は本になっています

 

(存在自体がなかったことに・・)
神州不滅特別攻撃隊の11名の行為は「特攻は降伏命令に反した」ものであり、同時に
「2名の女性を同乗させた軍紀違反」であるために特攻を敢行した11名は、その存在がなかったことにされ靖国神社への合祀も行われませんでした。

ようやく1957年(昭和32年)に厚生省から戦没者と認定されて11人の特攻兵は靖国神社に祀られたのです。

世田谷観音にある神州不滅特別攻撃隊の碑)
東京世田谷区にある世田谷観音には、10柱の英霊を慰霊するために1967年(昭和42年)5月に建立された神州不滅特別攻撃隊の碑があります。
碑には特攻出撃に使用された機体のイラストも添えられています。

・・・ということで8月19日は、
満洲の地から神州不滅特別攻撃隊が出撃した日で、
その中には妻を後部座席に乗せソ連軍へ特攻した兵士も
いました。




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