2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)8月10日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第30話は「人まね歌麿」です。
それではストーリーを見て行きます。
(松平定信登場)
かつての御三卿・田安賢丸は、かつて田沼意次らによって奥州白河藩に養子に出されました。今は成長し松平定信となりました。
松平定信は、京伝の黄表紙「江戸生艶気樺焼」(えどうまれうわきのかばやき)を読みながら、定信の仇である田沼意次のことを思い出しました。
そして定信は、時期将軍である父・一橋治済から、政に加わる気はないかと要請を受けます。
(定信、政に加わる)
要請を受けた定信が一橋家を訪問すると、一橋治済は、天明の大飢饉の時の定信の対応を称賛します。定信が白河松平家の当主となったころ、奥羽各地を大飢饉が襲います。このとき定信は率先して倹約につとめ、会津藩の協力で米を確保するなどの対策をとり、白河では一人の餓死者も出さなかったというのです。この行いを称賛したのです。
その一方で、満足な手を打つことができなかった田沼意次を批判します。
こうして、一橋治済から、せっかく政に関わるように誘われた定信ですが、定信はそれには家格が足りず、養母・宝蓮院の体調が思わしくないという理由で断ります。
そこで、一橋治済は、息子が将軍になった暁には必ず田安家を復活させると約束する定信は政に加わることを承諾します。
定信は、田沼を追い落としてみせましょうと言います。
一方、宝蓮院は、大奥取締役・高岳を通じて田安家を取り潰しを交換条件に白河松平家の家格の向上を願い出て、田沼意次に認められました。
(「江戸生艶気樺焼」大人気)
1785年(天明5年)正月に「江戸生艶気樺焼」が登場しました。
この本は、お金持ちで、世間知らずのおぼっちゃまである主人公の艶次郎が周囲からモテ男や色男と周りから言われたい、ちやほやされたいために、涙ぐましい努力をして数々のマヌケな、イタい行動を繰り返すものの、世間からは見向きもされないという姿を描いた作品です。
江戸生艶気樺焼」は大ヒットし、蔦屋耕書堂は「史上最高の賑わいです。
(人まね歌麿)
次の一手を考える重三郎は、「入銀による狂歌絵本」を思いつきます。入銀をすれば、人気狂歌師と並んで自分の狂歌を載せられる、しかも絵師は一流の北尾重政!というのです。
しかし北尾重政は、「近頃噂になってるよ、人まね歌麿って」と言い、絵師として歌麿を推しました。
これを聞いた重三郎は「こりゃ、時が来たってことか…!」と考えます。
1786年(天明6年)はじめ、2冊の狂歌絵本が完成しました。
1冊の絵師は北尾重政。もう1冊の絵師は歌麿で、その画風は北尾重政そっくりです。(入銀方法)
同じ頃、江戸城溜場には老中たちとともに松平定信が参列していました。
この席で、松平定信は、田沼意次に対して質問を浴びせ続けました。
その後、意次が、三浦庄司に武家の借金に対する考えを問います。すると、三浦庄司は、重三郎が狂歌本を作る時に行った、広く安く入銀を募るというやり方を説明し、
この仕組みを応用すればいいというのです。
(黒ごまむすびの会)
江戸の白河上屋敷では、田沼をよく思っていない大名や旗本たちとの派閥の集まり「黒ごまむすびの会」が開かれていました。
これは、黒ごまのおむすびを食べている質素な倹約家である松平定信にちなんだ命名です。
この席で、松平信明は、人事に大きな影響力を持つ大奥を味方につけることが重要だといいます。
それを聞いた松平定信は、亡き徳川家基の生母で・隠遁生活を送っている知保の方を訪ねます。
定信は知保の方に、大奥のことを指南してほしい、さらに、田沼を追い落としたいと伝えます。
(歌麿を売り出す!)
さて「人まねの歌麿」として名が知られるようになった歌麿を売り込むには今がチャンスだと感じた重三郎は、歌麿に、人の真似ではなく自分自身の絵を描くように勧めます。
しかし、これまで他人の作風の真似をしていた歌麿は、歌麿ならではの絵を描けと言われても、そう簡単には行きません。
そこで重三郎は「名のある絵師ってなあ、たいてい面白え枕絵を残してる。表じゃ流さない分、好き勝手やれるし、枕絵から名を成した絵師も多いって言うし」と説明し、「枕絵(春画)」を題材にすることを提案します。
枕絵は、8代将軍吉宗の享保の改革以来、幕府の検閲の対象になっていました。しかし、取り締まりをすり抜けたものが“裏本”のような形で出版され流通していきました。
歌麿はその提案にのり部屋に籠って枕絵に取り組みます。
食事も取らずに打ち込む歌麿ですが、描いていると、毎回、死んだ母親と、そのヒモで歌麿が死に追いやった男・ヤスという自らの辛い過去の幻影が現れ、苦しめられます。歌麿には、この2人が今も大きな心の傷になっているのです。
(追い詰められる歌麿)
どうしても絵に専念できない歌麿は、外に出ました。
そして、廃れた神社でボツにした絵を捨てようとしたときです。
社殿から男が出てきて、その奥には女の姿がありました。歌麿は、その姿が、死んだ母親に見え、絶叫します。
さらに歌麿は精神状態がおかしくなり、石で男を殴りつけます。その歌麿を見た重三郎が止めに入ります。歌麿は「女、殴ってたろ!」と叫びますが、女に殴られた痕はありません。歌麿はもうおかしくなったようです。
重三郎は男に謝り、薬代として金を渡します。そして錯乱し「描けねえんだよ」とつぶやく歌麿を、そっと抱きしめます。
歌麿のこころの傷が相当深いようです。
(鳥山石燕先生)
店に戻ると、妖怪画の大御所・鳥山石燕が訪ねていました。
鳥山石燕は歌麿を見ると「やはり歌麿は三つ目であったか〜!」と大喜び!
歌麿は、石蒸が自分を覚えてくれていたことに驚くと、石蒸は「忘れるか!あんなに楽しかったのに!」と喜んでくれました。
この鳥山石燕は歌麿が幼い頃に絵を習った人物であり、影響を与えた存在でもありました。重三郎が黒く塗りつぶされた絵を見せると
「あやかしが塗り込められておる。そやつらはここから出してくれとうめいておる。
三つ目、なぜ、かように迷う?見える奴が描かなきゃ、それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろ?その目にしか見えぬものを現してやるのは、絵師に生まれついた者の務めじゃ」と言います。
その言葉を聞いた歌麿は「弟子にしてくだせえ!俺、俺の絵を描きてえんです。俺を傍に置いてくだせえ」と土下座します。
こうして歌麿は鳥山石燕の弟子になり、住み込みで暮らし、絵の修業をすることになりました。
(貸金会所令)
この夏、後年「貸金会所令」と呼ばれる命令が布告されました。
これは、融資を希望する大名に年7%の金利で貸し付け、農民や町人が出したお金を5年後に利子をつけて償還する、という制度です。
これは幕府の財政が逼迫し、財政難に陥った大名を救済していた「拝借金」ができなくなったことの代替案です。
この仕組みは重三郎の「広く安く入銀を募って狂歌本を作る」という手法を真似たものでした。しかし、大名たちはなぜ自分たちが取り立てた金を幕府に納め、借金をしなければならないのかと反発します。
しかし、将軍・徳川家治はこの手法を評価します。
(雨)
同年7月。雷鳴が鳴り響く大雨。雷と雨が混じる土砂降りの中で、一橋治済が外へ飛び出し、びしょ濡れになりながら舞っていました。さらに、浄瑠璃人形も登場します。
同じ頃、田沼意次のもとに利根川決壊の知らせが入ります。治済は天に向かって両手を伸ばし「時が…来た!」と笑います。
米不足、米価上昇、飢饉、大雨、そして河川崩壊・・・。次回に続きます。
<<おまけ>>
吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。
<吉原神社>

<吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

<見返り柳>

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。
吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。
京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。
・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第30話「人まね歌麿」の紹介でした。
