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大河ドラマ べらぼう 第26回「三人の女」ネタバレあらすじ 

2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。

2025年(令和7年)7月6日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第26話は「三人の女」です。
それではストーリーを見て行きます。
(米不足)
1783年5月9日(天明3年4月9日)、浅間山が本格的に噴火しました。この噴火は、7月7日(8月4日)夜〜翌朝頃に最盛期を迎え]約90日間続くことになります。

天候不順と浅間山の火山噴煙が原因で米が不作となり、収穫量が激減します。天明の大飢饉です。
大阪では米価が急騰し江戸にもその影響が広がりました。米の値が前の年の倍につりあがりました。
城中では勘定奉行から米の不足と価格が高騰しているとの報告があり、田沼意次ら幕府の重臣たちは、その対策をどうすればいいかと悩んでいました。
(米がない!)
1783年(天明3年)9月、ついに日本橋に蔦屋耕書堂をかまえた重三郎でしたが、米不足の影響が押し寄せていました。
今や耕書堂の奉公人は8人。さらにここには絵師や作家達も勝手に上がり込んで食べる状況でした。そのため、気がついたら蔵の米が残りわずかになったのです。

そんななか、幼い頃に姿を消した重三郎の母・つよが突然、重三郎の店に現れました。母親を見つけた重三郎は「ババア! 手前、今更何しに来やがったんだ!」と、怒鳴りますが、母親も「お前、おっかさんを捨てんのかい!?」と怒鳴り返します。
重三郎は母親を追い返そうとしますが、「鳩に三枝の礼あり、烏に半哺の孝ありと申します」と、ていが止めました。
この、ていが話した「 鳩に三枝の礼あり、烏に半哺の孝あり」と言うのは、「子鳩は親鳩の止まっている枝より、三枝下に止まって礼節を守り、烏は親の恩に報いる為に、親鳥の口に餌をふくませて孝行をする 」ということで、「子供が親に対して、礼儀を尽くし、孝行をしなければならない」という意味を持ちます。

下野(しもつけ)で髪結いをしていた、つよは、不作の影響でやむなく江戸へ戻ってきたというのです。
(機転)
こうして、住み着いた重三郎の母・つよは、店の座敷で旅人の髷を直していました。
それを見た重三郎は「勝手に商売するな!」と怒りますが、つよは「髪結い代は貰っていない!」と返します。
ここで、重三郎の形だけの妻となったていは、つよが髪結いをしている間にその時間を生かし、客に本を手渡して読んでもらいました。
つまりその時間を本の宣伝の時間にしたのです。
ていの意図を理解した重三郎も、錦絵を見せるなどして本の売り込みを行うなど新たな商売が始りました。
(品の系図
その晩、ていは重三郎に「本や絵の関係性を示す“品の系図”を作ってはどうか」と提案

します。
商品を客に紹介するときに、関連性やつながりを図式化すれば説明しやすくなり、本を手に取ってもらいやすくなる、しかも、それがあれば重三郎以外の者でもの客に説明ができる、と考えたのです。
重三郎は「では、おていさんに任せる」とこれに応じます。
(衝立)
重三郎とていは、夫婦ですが、それは店を一緒に切り盛りする為の結婚だったので、別々の部屋で寝起きをしていました。

しかし、重三郎の母親のつよが舞い込んできて一緒に暮らすようになったために、ていはつよに部屋を譲ります。そして、重三郎と同じ部屋に移り住むことにしました。ただし、2人尾間には衝立が置かれたままです。
(米の価格を吊り上げるのは・・・)
一方、駿河屋では、重三郎が、米を金に変える商売をする、札差の大引赤蔵を、もてなしていました。米不足と米の高騰が続く中、この生活を何とか改善したいと思っていました。

そこで狂歌師の大田南畝を招いて、札差の狂歌の指南をしてもらい、和やかな雰囲気になったところで少しでも安く米を分けてもらうように交渉しました。

すると商談は成功し古米や古古米を安く売ってくれるという事になりました。

すると田南畝は米の高騰は天候のせいだけではない。米が無いわけでは無く、売り惜しみをする商人たちが価格を吊り上げているのではないか」と感じました。つまり米の値段は人為的に上げられているのではないかと考えたのです。
そして「搗く音に 無限の米を 降らせよや ここに三俵 かしこに五俵」と詠み「米!来〜い!」と天に向かって叫びました。
(正月用の狂歌集)
米高騰と米不足に対して自分たちにできることはないか」と考えた重三郎は、正月用に、おめでたい狂歌集を作り、暗い世の中を笑いと希望で彩ろうと思いつきます。
重三郎と大田南畝は「正月だ、はあ、めでてぇ、さあ、めでてえさあって、歌を詠んで、本当に、めでてえ世にしちまおうって寸法よ! 俺達や、米一粒作れねえ、この世の役立たずじゃねえか、そんな俺達に出来る事ってな、天に向かって、言霊を投げつけることだけだろ!」と言い、挿絵を入れて、黄表紙仕立ての狂歌集にする事に決めました。この絵は、歌麿が担当する事になりました。

こうして3人は年末に向けて黄表紙の制作に取り掛かります。
その様子を、ていが見つめます。ていは、重三郎が、日本有数の文化人たちとアイデアを出し合い作品を作っていく様子に感心します。
重三郎から狂歌の歳旦集を作るのにお前の絵がいると言われた歌麿は、その実力通り素晴らしい絵を描きます。
そして出来上がったら得意そうに「こんなに言うこと聞く奴は俺しかいねぇからな、俺いないと困りそうだからいてやるよ」なんて言います。そんな歌麿が、描いた絵には自分の「歌麿」という名を変えて「千代女」となっていました。
(この足軽あがりが!!)
その頃、紀州徳川家の治貞が、江戸城に赴き、米高騰になんら手を打つことができない幕府の対応を厳しく批判します。
さらに「足軽上がりが、かような世を作り出した責めをどう負うつもりか! いつまでも紀州が支えると思うなよ!」と田沼意次を罵倒します。
意次はその非を認め、「必ずや、米の値を下げる策を出します故、どうかしばし!しばし!」と、平伏して謝罪します。
そんな父・意次の姿を見た息子の田沼意知は、重三郎を訪ね、「どうすれば米価は落ち着くのか」と問いかけます。
重三郎は大田南畝と一緒に作っている『歳旦狂歌集』を見せ「これも、米の値を下げる立派な政策の一つです」と説明します。
さらに重三郎は「地本問屋内にも、株仲間のような仲間がありまして、そこに認めてもらえねえと、市中に本を流して貰えねえんですよ、仲間など無ければ、自由に商売が出来るのにと、憤りながら、ここまで、工夫を凝らして商いを続けて来たんです!」と話します。その重三郎の言葉が意知にヒントを与えました。
この様子を見ていた、ていは、重三郎が田沼意知のような高位の武家とも付き合いがあることに驚きます。
(ていの家出)
この年の暮れ『歳旦狂歌集』の草稿が完成しました。

「時間の無い中、歌麿が頑張った!」と労い喜び合っていると、重三郎の母・つよが、姿を現し「ていが『品の系図』を置いて出ていった」と言うのでした。

そこには「拙いものですが、お約束の系図、出来上がりました、皆様のご多幸と、蔦屋の繁盛を心より、お祈り申し上げます てい」と書かれた置き手紙がありました。
ていは、重三郎が持つ幅広い交友関係と、その才能を見せつけられ、自分には不釣り合いだと感じ身の引いて家を出たのです。

重三郎は、以前、ていが「出家を考えている」と話していたことを思い出し、寺へ向かって走りました。
この時代、出家をするというのは、世捨て人になる=現世とのかかわりを断つという、今以上に重要なことです。
(本当の夫婦)
追いついた重三郎に対し、ていは「江戸一の利き者の妻は私では務まらぬと存じます。私は石頭のつまらぬ女です。歌麿のように才能があるわけでなく、人気作家や絵師、狂歌師から意知まで集まる重三郎の女将は吉原一の花魁をはれるような、華やかな人間がふさわしい」と話します。
そんなていに、重三郎は、「俺は、おていさんの事、つまんねえって、思った事なんか、無えですぜ! 説教めいた話は面白えし、縁の下の力持ちみてえな所も好きでさぁね、けど、んなのは、細けえ事で『出会っちまった!』って思ったんでさ、俺と、同じ考えで、同じ辛さを味わって来た人が居たって、この人なら、この先、山があって、谷があっても、一緒に歩いてくれんじゃねえか?って、いや、一緒に歩きてえって、おていさんは、俺が俺の為だけに目利きした、たった一人の女房でさ!」と直球のプロポーズをします。

こうして2人の心が通じ合い、二人の寝室の衝立も取り払われ、2人は結ばれました。そして2人は晴れて“本当の夫婦”となります。
しかし、その傍らの部屋では「よかったな、蔦重…」と呟きながら布団をかぶる歌麿がいました。
翌朝、歌麿の絵に「千代女画」という、女名を見つけた蔦重が理由を尋ねると「生まれ変わるなら女が良いからさ!」と答えた歌麿でした。タイトルの三人目の「女」はどうやら歌麿のようですね。
(株仲間の解散)
一方、米価を下げる施策のヒントを求め重三郎のもとを訪れた意知は、重三郎が語った地本問屋業界の話から、米の株仲間を廃止し誰もが米を売れるようにしたらどうかと考えます。

そして田沼意次達老中は、紀州徳川治貞に「大坂、京都、駿河、西国の大名に米を送るよう命じたので、年明けには江戸に米が入ってくる、それを米問屋や、仲買いが売り惜しみしないよう、米に関わる株仲間をしばらく廃する、商人達が結託して値を吊り上げる事を阻止する」と、対策を述べました。
(バレた!!)

こうして江戸城を去る、田沼意知と意次でしたが、その姿を松前廣年が見つめていました。
松前廣年は、吉原で会った花野雲助が、田沼意知だという事に気づきます。その後方には廣年を見つめる松前道廣がいました。
つまりバレタのです!!。
田沼意知蝦夷地を幕府の直轄地にしてロシアとの交易や鉱山の開発を行うことで歳入を増やし幕府の財政を健全化しようと考えていました。
そのためには蝦夷地を上知にする理由が必要で、吉原を巻き込み動いていた田沼ですが、松前廣年が、花野雲助=田沼意知ということに気づかれてしまいました。
さてさて一体、蝦夷地の話はどうなっていくのでしょうか。

次回に続く・・・

<<おまけ>>

吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。

<吉原神社>

吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

見返り柳

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。

吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。

京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第26「3人の女」の紹介でした。




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