
6月4日は、1989年(平成元年)に
中華人民共和国で民主化を求める、
いわゆる天安門事件が起きた日です。
戦車の隊列に1人で立ちふさがった男性の映像が
有名ですが、あの頃の中国を知る人たちからは
「ある事」がささやかれていました。
(中国にいたことがあるおっさんの疑問)
天安門事件で「戦車の前に立つ男性の映像」・・・よく見ますよね。
おっさんは1986年(昭和61年)から87年(昭和62年)に短期間ながら大学生として、
上海にある大学の留学生宿舎にいました。
下は、1988年(昭和63年)の年賀状で,前年までいた上海で撮影した写真を使用しています👇
日付には「87年1月5日」と書かれていますから、1987年(昭和62年)1月5日の撮影だとわかります。
(自転車と人民服の国)
さて、おっさんが過ごしていた時期の中国は、鄧小平氏の指導のもと、共産主義に資本主義を導入し始めた頃です。
現地で感じた第一印象は「自転車と人民服の国」でした。
人民服を着た中国人の方が、通勤時間帯に道路いっぱいになり自転車で通勤する光景が当時の中国の印象です。
(外国人と中国人の区別)
当時の中国は外国人に対して規制や監視がありました。
お金も外国人専用の外貨券(兌換元)と中国人専用の人民元(不換券)の2種類ありました。
中国には、外国人立ち入り禁止地区や写真撮影禁止地区も、たくさんありました。
おっさんが上海の工業博覧会を見に行った時、初めての場所なので道に迷って違う方向に進んだことがありました。
そのとき、どこからともなく2人の男性が現れ「通行禁止」と英語で告げ、おっさんを大学の関係者の元へと連れて行ってくれたことがありました。中国当局が外国人である おっさんの動きを尾行していたのです。
(監視・・・)
また、留学生宿舎では中国人学生を中に呼ぶことは禁じられていました。
そのため、夜は日本人どうしで集まり、話をしていましたが、ある時「中国は、鄧小平氏の指導の下、共産主義の中に資本主義を導入するという新しい挑戦に取り組んでいる。この取り組みは成功するだろう、さすが中国だ。これからは中国の時代がくる」と言い「そういえば、経済成長が見込まれる中国でコカ・コーラが飲みたいなあ」と皆で言いました。
当時は1元が80円で、コカ・コーラは外貨ショップでしか購入できない、ぜいたく品であり、当時の中国人がそう簡単に入手できるものではなかったのです。
しかもその値段は労働者の3分1の日当に相当するという貴重品でした。
なお中国語では、コカ・コーラは「可口可樂」という漢字表記となります。
この発言の翌日、夕食時に食堂で特別にコカ・コーラが支給されました。しかも当時の中国としては、かなり珍しい❝よく冷えた缶❞でした。
当時の中国はこのような国だったのです。
中国の人にも、中国で暮らす外国人以上に色々な規制がありました。
当時は中国の人が自由に行動することが今以上に難しい状況でした。
ましてや政治批判、体制批判などしたら大変です。そんな状況でした。

(6月4日、天安門事件勃発)
その3年後に天安門事件が起きました。
1989年(平成元年)6月4日、中華人民共和国の北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使しを行い、多数の死傷者を出したのです。

そして、天安門事件の1つのクライマックスであり、象徴とも言えるのが、6月4日に起きた、あの戦車の前に立つ男性の映像でした。

(疑問)
しかし、おっさんと同時期に中国にいた友人の数人からは、このような指摘がありました。
すでに、あの映像が撮影された時点で、民主化運動は軍に制圧され、天安門広場は軍により厳重に警戒されていたはずです。
しかし、あの男性は、途中で捕まってもおかしくないのに、人民解放軍の厳しい厳戒態勢をかいくぐり、車道に侵入しました。
それだけでも当時の中国では、かなり凄いことなのに、その後、数分間にわたり戦車の進軍を妨害しています。これは変です!!
いくら何でも市民が人民解放軍の邪魔をしたら、周囲にいたであろう兵士達が、駆け寄ってあの男性を取り押さえてもよいはずです。しかし、そういうことは起きませんでした。

そして、その後ですが、天安門広場は厳戒態勢のはずなのに、あの男性が逮捕されたという正式な情報はありません。
ましてや中国共産党が「あの男性は逃走した」と発表しています。
軍による厳重体制下の中国、しかも首都・北京で「逃走」ができるでしょうか?
そして中国という国が、自分たちがつかまえることが出来ないという一種の恥でもあるのに、公に「逃走した」と発表するでしょうか?
・・・と、友人達は、あの映像に関して色々と不自然を感じるというのです。
事件が起きた天安門の近くには北京飯店がありました。
中国語では「飯店」は食堂ではなくホテルのことです。
この北京飯店には当時一流クラスのホテルで外国メディアが多く滞在していました。
北京飯店からは天安門の戦車の前に立つ男性の映像は、撮影できますし、その映像は
世界中に配信されます。
すると、あの戦車の前に立つ男性の映像は、外国メディアが撮影できるポイントを計算し「中国共産党は、この問題に対し若者に危害を加えることなく人道的に対応した」ということを世界に広めることを目的とした映像ではないか?と推測する人もいました。
あるいは、あの戦車の前に立った男性は、中国当局が闇にほおむったのでしょうか・・・?
あの戦車の前に立った男性が、その後どうなったのかが、中国政府が公式に発表していないので、何もわかりません。
(日本でもデモで見たものは・・・)
この天安門事件が起きてすぐ、日本にいる中国人留学生もデモを行いました。
おっさんは渋谷の竹下公園で。そのデモに遭遇しました。
けっこうな数の若い中国人がデモをしましたが、このとき、留学生の顔や姿をビデオで撮影している人達がいることに気がつきました。
中国公安か政府関係者だと思われます。

6月4日を迎え、天安門事件の事が話題になると、
あの戦車の前に立つ男性の映像の事を思い出します。
