以下の内容はhttps://reiwa00502.hatenablog.com/entry/2025/05/28/000000より取得しました。


5月29日 日本初の軍神・広瀬武夫の巨大銅像が旧万世橋駅前に登場

1910年(明治40年)5月29日に東京神田区須田町、
万世橋駅前に、
日露戦争旅順閉塞で殉死し、
初の軍神となった
広瀬武夫の像が建てられます。

(神田町万世駅前に登場した広瀬中佐の銅像
1910年(明治40年)5月29日に東京神田区須田町、万世駅前に広瀬武夫の大きな像が建てられます。
路面電車や歩く人の大きさからこの広瀬像の大きさがわかると思います。f:id:reiwa00502:20220224163913p:plain

(1911年(明治44年)刊行「東京風景」 国立国会図書館ウェブサイトより)

この銅像の下にいるのは杉野です。

広瀬中佐銅像除幕式を伝える当時の新聞記事です。

(出典:新聞集成明治編年史 第十四卷:国立国旗図書館デジタルアーカイブ

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/152?keyword=%EF%BC%97%EF%BC%98

 

(旅順閉塞作戦
1904年(明治37年)2月日露戦争が勃発します。
日露開戦後、世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊と旅順にいる太平洋艦隊(旅順艦隊)が合流した場合には、日本側が圧倒的に不利となると判断していました。
そのため、旅順艦隊を旅順港に閉じ込めて合流できなくする旅順港閉塞作戦が立案されます。

そして旅順港の入り口を中心に汽船を沈め、旅順港に停泊するロシアの旅順艦隊を出撃させないように旅順港閉塞作戦が展開されます。
広瀬武夫
広瀬武夫は大分竹田の出身で1889年(明治22年海軍兵学校卒業。ロシア語もでき、ロシア留学経験もあり、またロシア国駐在武官としてドイツ・フランス・イギリスを視察します。日露開戦により戦艦朝日の水雷長として出征します。

f:id:reiwa00502:20220224165201p:plain

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

(広瀬死す、日本初の軍神へ)
3月27日、広瀬は旅順港第二次閉塞作戦に参加します。
下は出撃前に広瀬が書いた遺書です。

f:id:reiwa00502:20220302151933p:plain
このとき、閉塞のために自爆させた福井丸から離れる際に、部下の杉野孫七兵曹長の姿が見えないことに気がつきます。
そこで広瀬は杉野を探すために自爆で沈もうとしている福井丸に1人で戻り、
「すぎのー すぎのはどこだー」と叫びながら船内を捜索しますが、杉野の姿は見つかりません。
時間が押し寄せるのでやむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、ロシア軍の砲弾の直撃を受け戦死します。35歳でした。

広瀬武夫死亡を告げる新聞記事です。

(出典:新聞集成明治編年史 第十二卷:国立国旗図書館デジタルアーカイブ

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920426/1/135?keyword=%EF%BC%95%EF%BC%95

 

広瀬の遺体は福井丸の船首付近に浮かんでいるところをロシア軍によって発見されました。広瀬の遺体をロシア軍は、栄誉礼をもって丁重な葬儀を行い、陸上の墓地に埋葬しています。
なお、海軍の連合艦隊旅順港閉塞作戦を三次にわたって行いますが、いずれも十分に封鎖するに至りませんでした。

銅像建立)
この戦死で海軍は広瀬を海軍少佐から中佐に昇進させ、また広瀬は、日本初の軍神となり国民的英雄となります。
海軍兵学校同窓の財部、森両名が広瀬武夫銅像の作成を発起し、東京日日新聞、時事新報、大阪毎日新聞の3紙が寄付金を募集します。こうして読者から2万3千円が集まり、工事が始まります。
1910年(明治43年)5月29日に、22尺の台基の上に12尺の立像、台石の前面には杉野兵曹長の座像を、背面には錨一挺を配する広瀬中佐の銅像が完成しました。
当日は暴風雨で除幕式は人々が傘を差して行ったそうです。

文部省唱歌に)
広瀬は歌にもなります。

その1つ文部省唱歌「廣瀬中佐」という歌があります、これは1912年(明治45年)に

登場します。

作詞作曲不詳。

著作権が失効していますので全部の歌詞を記述します

  1. 轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。
    荒波洗ふ デッキの上に、
    闇を貫く 中佐の叫び。
    「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」
  2. 船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、
  3. 呼べど答へず、さがせど見へず、
    船は次第に 波間に沈み、
    敵弾いよいよあたりに繁し
  4. 今はとボートに 移れる中佐、
    飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、
    旅順港外 恨みぞ深き、
    軍神廣瀬と その名残れど

f:id:reiwa00502:20220224165201p:plain

・・・ということで5月29日は

旅順港閉塞作戦で日本初の軍神となった広瀬武夫
銅像が旧万世橋駅前に登場した日です。




以上の内容はhttps://reiwa00502.hatenablog.com/entry/2025/05/28/000000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14