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福岡歩兵第124連隊の英霊を祈るガダルカナル島慰霊祭とは?護国神社での少人数式典を訪ねる

太平洋戦争の激戦地として知られる ガダルカナル島の戦い。
その地で命を落とした兵士の中には、福岡歩兵第124連隊 の将兵3,179柱が含まれています。

彼らの慰霊祭が、現在も福岡市の福岡縣護國神社で静かに執り行われています。
しかし、その式典は決して大規模なものではありません。参列者はわずか数名という、慎ましやかな追悼の場でした。

私は実際に現地を訪れ、慰霊祭に参列し玉串を奉納しました。

本記事では、ガダルカナル島の戦いの背景とともに、福岡歩兵第124連隊の歩み、そして少人数ながら今も続く慰霊祭の様子を記録としてお伝えします。

【2025年4月20日(日)】
福岡縣護国神社「ガダルカナル島慰霊祭」に参列!

歩兵第124連隊・英霊3,179柱に玉串を奉納!

(激戦の島ガダルカナル島・餓島)
南太平洋に浮かぶイギリス領ソロモン諸島の1つガダルカナル島。
ここガダルカナル島では1942年(昭和17年)8月から翌年の2月まで日本軍とアメリカ軍の激しい戦いが繰り広げられました。f:id:reiwa00502:20220202153236p:plain(転進)
戦局が不利になった日本は、ガダルカナル島からの撤退を計画します。
ガダルカナル島撤収作戦は「ケ号作戦」と呼ばれました、
これは、捲土重来から由来しているとされています。
「捲土重来」つまり「また戻ってくる」と言う意味があります。ですから当時は「撤退」ではなく「転進」と表現していました。

ケ号作戦は1943年(昭和18年)2月1日9時30分の第一次撤収から2月7日の第三次まで続けられ完了しました。

ガダルカナル島は短縮してガ島とも呼ばれますが、この島で戦った日本兵が、食糧難で飢餓に苦しんだため飢餓の「餓」から餓島とも呼ばれました。
(ガ島会)
ガ島に上陸した3万人余のうち戦死・病死・餓死者は約2万5千人に上ったという記録があります。

このうち、福岡歩兵第124連隊の将兵3,179名が犠牲になっています。
そして、福岡にはガダルカナル島で戦った方々の集まりであるガ島会があります。

(福岡縣護国神社で慰霊祭開催)
2025年(令和7年)4月20日(日)、福岡市中央区にある福岡縣護国神社で、「ガダルカナル島」で戦没された福岡歩兵第124連隊の英霊3,179柱を追悼する慰霊祭に参列しました。

(参加者は5人)
福岡縣護国神社で開催されたガダルカナル慰霊祭。
2025年(令和7年)は1943年(昭和18年)のガ島の戦いから82年となるので、当時18歳の方でもご存命なら100才です。

今回のガ島会慰霊祭の参加者には、ガ島体験者が参加されず、参加者は、5名でした。
前年=2024年(令和6年)の参列者は3人でしたが、今回は、若い綺麗な女性がいました。
おじいさんがガダルカナル島の生存者だということでした。
(玉串を奉納!式典は厳かに執り行われました)
慰霊祭は午前11時30分開始です。
神事の最中は撮影禁止なので式開始前に外から撮影しました。

太鼓の音を合図に式典が開始。

2025年(令和7年)のガダルカナル島慰霊祭は

①開始の太鼓

②祓いの言葉奏上

③玉串・及び参列者をお祓いで清める

④隆神の儀・・ガダルカナル島で犠牲になった3197柱を迎える儀式

⑤献饌(けんせん)の儀・・・宮司が瓶子の蓋を取る

⑥祝詞奏上
⑦巫女さんの神楽奉納【みたま慰の舞(みたまなごめのまい)】

⑧参列者玉串奉納

おっさんは、ガダルカナルの戦いで志半ばで亡くなられた先輩方に対し敬意と追悼、

感謝の気持ちを抱き、玉串を奉納しました。

f:id:reiwa00502:20220417155006p:plain

⑨昇神の儀・・・神様をお送りする儀式

⑩終了の太鼓

…と言う流れで20分ほどで終了しました。。

式典終了後、参列者が盃1杯の御神酒を飲み慰霊祭は終了しました。


(意外な出来事)
毎年参加しているガダルカナル島慰霊祭ですが、今年は思いがけない出来事がありました。
式典が終わり、帰ろうとしていたときのことです。
今回参列した若い女性が、おっさんに声をかけてきたのです。
「ブログを書いている方ですよね。そのブログを読んできました」と。

おおおお──!!!
そのおっさんのブログ記事を読んで、今回この慰霊祭に参列してくれたのです!!
こんなうれしいことはありません。

自分が書いた言葉が、誰かの心を動かし、行動につながった。
ブログを書き続けてきて、本当によかったと思えた瞬間でした。

本当はその場で「読んでくれてありがとう」と伝えたかったのですが、
おっさん、昔から綺麗な女性にはちょっと弱くて……
言葉にできずに、会釈だけしてしまいました。

この場を借りて、心から御礼を申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
来年、またお会いしましょう!!
(ガダルカナル島戦士之碑)
ガダルカナル島慰霊祭終了後、ガダルカナル島慰霊祭が行われた福岡縣護国神社から徒歩15分程度の場所にある谷公園に行きました。

ここはかつて陸軍省が管轄する福岡陸軍墓地で、この一角にガダルカナル島戦士之碑があります。
この碑は1974年(昭和49年)3月に、亡くなった方の死を悼みガ島会によって建立されました。

ガダルカナル島戦士之碑、動画でも撮影しました👇

ガ島戦士之碑にある石の玉・・。
この石の意味を福岡市役所に電話で尋ねましたが不明とのことでした。
なんか意味があると思いますが・・・

石碑の左には碑文が刻まれていました。

f:id:reiwa00502:20220202160435p:plain

碑文

昭和十七年八月三十日より翌十八年二月七日に至る間 

英領ソロモン群島ガダルカナル島ルンガ飛行場の争奪をめぐる米軍との戦いに 

食なく弾薬尽きて尚勇戦し要地アウフテン山を

よく死守した福岡歩兵第百二十四連隊の将兵三千百七十九柱の霊

此の地に静まる

昭和四十九年三月吉日建立  ガ島会

<<ガダルカナル島慰霊祭があった
福岡縣護国神社への行き方>>

福岡市営地下鉄六本松駅徒歩10分以内
住所:福岡市中央区六本松1-1-1

<<ガ島戦士之碑がある谷公園(福岡陸軍墓地)への
行き方>>
福岡市営地下鉄六本松駅徒歩10分
住所:福岡市中央区谷2丁目11-28

(記念品)
ガダルカナル島の慰霊祭では、毎年記念品を頂いています。

記念品は、かんぱん、おこし、護国神社の御神酒でした。

(平和は当たり前ではない。今こそ語り継ぐべきこと)
80年以上の時を経て、戦争の記憶は少しずつ人々の意識から薄れつつあるのでしょうか。

しかし、記憶が薄れても、「命の重さ」は変わらない。
静まり返った神殿の前で、私はそのことを深く胸に刻みました。
戦後80年を超え、戦争体験者の声を直接聞く機会はますます減っています。
だからこそ、こうした慰霊の場に自ら足を運び、歴史の現場に身を置いて静かに感じる時間がとても大切だと感じました。

先人たちの犠牲の上に、今の平和と暮らしがあります。
そのことを忘れず、これからも子どもたちや若い世代に語り継いでいきたいと思います。




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