2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)4月13日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第15話「死を呼ぶ手袋」(しをよぶてぶくろ)のストーリーを見て行きます。
今回は、サスペンス色が強いストーリーでした。
(独立)
蔦屋重三郎は、独立して、吉原五十間道で自分の店である『耕書堂』を開きました。
しかしながら、瀬川が急にいなくなった悲しみの傷が癒えずに、夢の中に瀬川が夢に出てきてしまい、寂しさを隠せません。
そして須原屋へ向かっていると、平賀源内を見かけます。源内は自分が発明したエレキテルをイカサマと子どもに言われたため、癇癪を起し竹光を抜き暴れてしまいます。
重三郎が、須原屋に着くと、そこには源内の弟子の杉田玄白が来ていました。
彼らの口からは、源内がエレキテルへの悪評で機嫌が悪くなっているという話が出ます。
杉田玄白は「エレキテルはイカサマじゃないとも言い切れないですからねえ」と言います。
重三郎が、須原屋に鱗形屋のことを訪ねます。すると鱗形屋は、もう青本を出せない状況まで追い込まれているというのです。
重三郎は、その帰りに、本を背負って行商している鱗形屋を目にしました。
(伏線)
江戸城西の丸では、将軍・徳川家治の嫡男・家基が熱心に経済を学んでいました。
家基は、自分が経済のことに精通するようになれば田沼意次がいなくてもよくなると思っていたのです。家基にとって田沼は邪魔な存在だったのです。
その田沼意次ですが大奥の高岳が、田沼が持っている懐紙入れが洒落ていると褒めます。
さらに高岳はその懐紙入れを見ながら「主殿頭さま、ひとつお願いがございます
以前より種姫様が西の丸様に贈り物をしたいと仰せで。そこで、この細工を活かした手袋などどうかと思うのです」と言います。そして家基の鷹狩に間に合うように用意しました。
(ご褒美は吉原遊び)
ある日、重三郎に、地本問屋・朋誠堂喜三二」(ほうせいどうきさじ)が、「一緒に青本を作らないか」と声をかけました。
鱗形屋は恋川春町の青本を出すのが精一杯で、喜三二の青本は鶴屋が引き受けることになったのですが、朋誠堂喜三二は、耕書堂から出してもいいんじゃないかと考えたというのです。
重三郎は、「耕書堂は地本問屋仲間に入っていないために、江戸市中の本屋には出回らないこと」を伝えますが、朋誠堂喜三二は「蔦屋重三郎と本づくりは楽しい。お礼として吉原で遊ばせてくれれば良い」と言うのです。
また絵師・北尾政演(きたおまさのぶ)も、同じように、「報酬が吉原での遊び」ということで、重三郎の仕事を引き受けたいと申し出てきました。
結局2人の目的は、吉原遊びなのです。喜三二と政演は意気投合し盛り上がります。(変化)
重三郎の「吉原は内側から変わらなければいけない」という言葉を聞いた親父達にも変化が出てきました。
りつは、女郎屋を辞めて芸者の見番をすることを親父達に伝えます。
「建て前で禁じても、女芸者が色を売っちまう、売らされちまうってのは後を絶たないじゃないか差配するものがいればさ、女芸者の一人座敷は避けるなんてこともできるわけだろ?」という考えです。
吉原の主人たちも世間から「四民の外」と蔑まれないようにしようと、女郎の待遇をよくすることを話し合います。
重三郎は、耕書堂の店先に「青本、洒落本、読本作者求む」という貼り紙をします。
おもしろい本を作れば、吉原には、楽しい人が集まる場になると考えたのです。
(謎の死)
10代将軍・徳川家治の嫡男・家基の鷹狩の日が来ました。
家基は、江戸城 西の丸で種姫から贈られた鮮やかな鷹狩り用の手袋を身に着けていました。家基は、出発前に、松平武元の肩を掴み、「吉宗公のごとく自ら政の舵をとる将軍になりたいのだ」と自分の決意を述べます。
しかし、家基が鷹狩の最中に急死します!!18歳という若さでした。
これまで身体が弱いわけでもなく、持病もない家基の急死に関して、江戸城内では「毒殺ではないか」という噂が流れたのです。
そして徳川家基と田沼意次の仲が悪いことから、家基毒殺を仕掛けたのが老中・田沼意次だという噂が流れます。
病死を信じない生母・知保の方は、将軍家治の目の前で意次を睨みつけ、自分の爪を噛みちぎり、「お前であろう!お前が毒を盛ったのであろう!!」と泣き叫びます。
さらに家基が亡くなった東海寺に意次が寄進したのは和尚を丸め込むためだという憶測も流れます。こうして意次の立場はますます悪くなります。
(蝦夷地)
ある夜、月明かりの長屋で平賀源内が歩きまわります。手には万歩計を持っていました。
この万歩計を見ながら源内は意次と出会ったときのことを思い出しました。
そこへ平秩東作がやってきました。東作は巾着を持ってきて源内に見せます。
家基の父である将軍・家治は、息子家基の急死の原因を明らかにするよう松平武元と
意次に申し付けます。
意次は、武元が自分に疑いを向けるよう画策するのではないかと警戒しています。
家基急死の原因を調べるうちに、鷹狩りには毒見役が付いていたため、家基に毒を盛ることが不可能だという事がわかりました。
すると毒はどうして???
平賀源内が田沼意次の屋敷を訪ねてきました。平賀源内は、蝦夷地で鉱山を開き、ロシアと交易することを進めてきます。
田沼は平賀源内に「徳川家基の死の真相を突き止めたら、蝦夷地の計画を考える」と答えます。
それを聞いた源内は徳川家基の急死の調査にのりだしました。
(手袋が怪しい)
源内は鷹狩りの現場に足を運びました。
家基が急死したときに、周囲にいた人にも聞き込みをしました。
するとその1人が、家基は、鷹を逃したときに、悔しそうに親指を噛み、そのあとに急に苦しんだと言うのです。さらに家基は、そのとき、色鮮やかな手袋を身に付けていたことが分かりました。
このことを知った平賀源内は田沼意次に「徳川家基が親指を噛む癖があるなら、そのことを計算し、手袋に毒を盛り、それで殺害することができる」という仮説を告げます。
知らせを受けた田沼意次は、長谷川平蔵に手袋を取り寄せることを命じました。
しかし、手袋は、すでに松平武元に引き取られていました。
手袋は、徳川家基に贈り物をしたいと考えた種姫=松平定信の妹、が渡したものです。田沼意次は毒を仕込んではいませんが、この手袋が松平武元の手元にあれば、松平武元が、田沼に冤罪をかけることも考えられます。
(自分で書く)
その頃、耕書堂では重三郎が喜三二に自作の原稿を見せ、自分には文才がないので仕上げてほしいと頼んでいました。
蔦重は瀬川の考えた物語を書いていたのです。喜三二は、重三郎本人が書いた方がその人も喜ぶだろうと言い、自分で書くようにと言います。
(茶室)
ある日、田沼意次は松平武元に呼び出されました。呼び出された場所は茶室です。武元は、ここで田沼に親指部分だけが変色した手袋を見せます。
自分が犯人にさせられるとあきらめた田沼・・。
しかし、松平武元は、「毒を仕込んだのは田沼意次ではない」と言い放ちました。
松平武元は、田沼意次を嫌っていますが、「もし田沼が犯人なら、証拠となる手袋を残すはずがない」と言い、さらに「みくびるな。この機を使い、追い落としなどすれば、まことの外道を見逃すこととなる!わしはそれほど愚かではない!そなたの考えは好かぬ「世の大事はまずは金」それが当世であることは、わしとて分かる
しかし金というものは、いざという時に米のように食えもせねば、刀のように身を守ってもくれぬ、人のように手を差し伸べてもくれぬ。さような頼りなきものであるにも関わらず、そなたも世の者も金の力を信じすぎておるようにわしには思える」と。
そして松平武元は、真犯人を一緒に探そうと提案します。
家基が亡くなり得をするのは、時期将軍を立てることのできる御三家、清水家・一橋家です。誰が将軍の座を狙っているのかと考えると、毒殺の犯人が明らかになるはずだといいます。
そこで、ここは調査を終了し、犯人を油断させ、犯人が姿を現すのを待とうという作戦になりました。
対立していたかに見えた松平武元と田沼意次ですが、考え方が一致しました。
(暗転)
しかし・・・その晩、松平武元の屋敷から、問題の手袋を持った女性が去っていきます。手袋が盗まれたのです!!さらに武元は命を落とします。何が起きたのか?
次回に続く・・
<<おまけ>>
吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。
<吉原神社>

<吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

<見返り柳>

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。
吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。
京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。
・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第15話「死を呼ぶ手袋」の紹介でした。
