2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)4月6日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第14話「蔦重瀬川夫婦道中」のストーリーを見て行きます。
(検校からの呼び出し)
鳥山検校は、自分の妻の瀬川と幼馴染の瀬川重三郎との親密な関係を疑い、重三郎に
自分の屋敷に来るよう求めます。
それを受け、重三郎は検校の付き人に従い、屋敷に向かいます。
江戸時代、夫がいる女性が別の男性と情を通じた・不義密通は、妻も不倫相手も死罪となる大重罪でした。
検校の屋敷に近づいた重三郎でしたが門には幕府の役人が立っていて入り口をふさいでいます。そして、瀬川と鳥山検校は同心に連れられていくのでした。
(台頭する座頭金)
この時期は、お金をめぐる問題が各地で起きてきました。
幕府は1年前に札差が高利貸しをすることを禁じました。
そのため札差から借金ができなくなった武士たちが、座頭金に手を出してしまい、利息が膨らみ支払いができなくなる事態が起きていました。
(座頭金の元締め鳥山検校)
その座頭金の元締めが瀬川の嫁ぎ先である鳥山検校です。
幕府が家康が盲人優遇政策を打ち出しましたが、それを重視するあまり、高利貸しの座頭が金銭を支配することで台頭するようになってしまったのです。
それがあまりにもひどくなったため幕府も捜査することになり鳥山検校を頭とする当道座の手入れをおこなったのです。
当時は縁座制なので、検校の妻である瀬川までが連行されました。また重三郎も鳥山検校の一味とみなされて捕まってしまいます。
留置場に連行された重三郎は、瀬川が吉原に大金を渡していたことが原因で、「座頭金」に関与していると疑われていることを聞かされました。重三郎は、「心付けを頼んだのは自分であり、瀬川は関係ない」と自分が罪をかぶろうとしますが、受け入れられず重三郎は、釈放されました。
(吉原にも手入れ)
吉原にも手入れがありました。親父達は騒ぎが大きくならないように重三郎に当分の間は大人しくするように言います。
(瀬川は松葉屋預かりに)
捕まった鳥山検校は牢屋に入れられます。一方、妻の瀬川は釈放され、吉原の松葉屋の預かりとなりました。
松葉屋には、病気療養している女郎用の住居があり、そこへしばらくのあいだ身を寄せることになったのです。
(一国一城の主??)
重三郎のもとに大文字屋から空き店舗が出るという話が入りました。
大文字屋は近隣の家田屋が店を畳むことになったので「男たるものなぁ!一国一城の主になってこそだろ!」と重三郎に言います。
その言葉に「たしかに…そうっすね!」と乗り気になり早速、親父達に許可と協力のお願いに行きます。
忘八たちの寄りあいでは、和歌の会が開かれていました。それぞれ百人一首をアレンジして立派な歌で、耕書堂の商売の見通しを確認するというやり取りが行われました。、これが、なかなかうまいものでした。
忘八らの教養の高さが見れました。
(本屋をやんねえか)
重三郎が松葉屋を尋ねてきました。
重三郎は、近々買い換えるからと、病の女郎たちのために処分する予定の多くの本を寄付しました。
そしてここにいる瀬川には「お前には…これ」と「契情買虎之巻(けいせいかいとらのまき)」という本を渡します。
重三郎は「お前と検校の話を材にとった瀬川ものだよ」と言います。
「契情買虎之巻」は、落籍後の瀬川をモデルに田螺金魚(たにしきんぎょ)が書いた本です。
主人公の女性は夫年に分かれます、そして亡くなった夫に似た男と恋をしますが、色々な障害が出てしまい。結ばれることなく男の子を残して亡くなるという悲しいストーリーです。
この内容に瀬川は「え!?わっちの話?!」と声をあげます。
重三郎は「なかなか好き勝手に書いてあって笑っちまったよ」と笑いて、「当人がどう思うか聞いてみてぇ」と言います。
やがて重三郎は「年明けには本屋を開こうと思う。一緒にやらないか」と瀬川を誘います。
瀬川は「重三…考えるも何もそりゃ間違いなく無理だよ。検校の裁きがどうなろうと、わっちは妻なんだから」と言いながらも、本屋で働く夢を語り合います。
(殺傷事件)
松葉屋に身を寄せた瀬川ですが、あるとき運ばれた女郎の松崎の世話をしようと近づくと、いきなり包丁で切りつけられるという事件が起きました。
松崎は、かつては旗本の娘でした。しかし両親が座頭金の返済できず自害したために、旗本の娘から身をおとし、松葉屋に女郎として売られました。
そのため、鳥山検校の妻である瀬川を恨んでいました。
さとは「父上と母上は金に詰まって自害した。お前の夫のせいじゃ」と刃物で瀬川を襲います。
突然、切りつけられ、顔と手に怪我を負った瀬川は、自分が多くの人達に恨まれる存在であることを感じます。
検校たちの高利貸しに苦しんだ人の数は大勢いました。1400両もの大金で身請けされた瀬川の身請けの金は、庶民から吸い取った銭であり、また、その後は、高利貸で稼いだ銭で豪奢な暮らしをしていたのだと思われていると、瀬川は感じ取ったのです。
(吉原者には売れない!)
江戸の中心地の神田に屋敷を買うことを喜んでいた大文字屋ですが、屋敷を購入する寸前で、町の名主が出てきて「町内に女郎屋を住まわせるわけにはいかない」と反対したために、この取引がなしとなりました。
大文字屋が、これに不服を唱え奉行所に訴えたところ、奉行所からは、「今後は江戸城外堀の内側である見附内の土地は買わない」という証文を出すように命じられ、江戸城の近くに家屋敷を構えるなど許されない、となりました。
つまり「吉原にいる」というだけで差別を受けたのです。
このさばきに親父達は大怒りでしたが重三郎は、「吉原が四民の外とされるのは忘八の里だから。親父様たちの女郎の扱いはひどい。四民の外がイヤなら、内から変わらなければいけない。困った女を食い物にするんじゃなくて、助けるところにしなければ」と主張します。
(お裁き)
鳥山検校と瀬川に裁きが下りました。
瀬川は鳥山検校の妻ですが、身請けして夫婦になったことや、親を助けるために吉原に身を売ったこと、さらに鳥山検校が離縁を申し出たことから、罪に問われませんでした。
そして鳥山検校から「今後、瀬川の面倒を見ることを遠慮したい」と申し出たことから鳥山検校と離縁を命じられました。
この時代は、夫から妻に離縁状を渡せば夫婦関係は終了します。
それを聞いた瀬川は検校に「私は決して良い妻ではございませんでした。どこまでいっても女郎癖の抜けぬ振る舞いは、お心を深く傷つけたことと存じます。にもかかわらず、なんでも望みを叶えてくださった。今、ここに至っても」と感謝の言葉を述べます。
(重三郎と瀬川)
こうして自由となったことを瀬川が重三郎のもとを訪れます。そして瀬川本人の口からそのこと聞くと重三郎は、瀬川を抱きしめます。
重三郎は、将来瀬川と所帯を持ち、本屋を開くことを夢見て、開店準備に精を出します。
駿河屋や女将のふじは、「瀬川への風当りは強いよ」と重三郎に警告しましたが重三郎の意思は変わりません。
(大晦日)
その年の年末,大晦日・・瀬川が身の回りを整理して重三郎のもとから去る準備をしていました。
重三郎が描く「吉原を楽しいばかりの場所にしたい。女たちが幸せに旅立っていけるような」という夢の実現には、「元花魁で検校の妻でもあった自分がそばにいてはプラスにはならない」、そう感じた瀬川は、身を引く判断をします。
江戸時代では大晦日は、その日のうちに、その年の1年の清算を完了させるという習慣がありました。
そして大晦日の夜、瀬川は区切りをつけるという意味で、除夜の鐘が鳴り終わるまでに重三郎のもとを去ったのです。
(手紙)
年が明けて重三郎が松葉屋を訪れると、瀬川の姿はなく手紙がありました。
手紙には「重三、ありがとね。あの日、あんたが赤本=『塩売文太物語』をくれた時、あの時生まれた思いを握りしめていたから、わっちは溺れずに済んだ。女郎の闇に堕ちていかずに済んだんだ。まったくさ、間夫がいなければ女郎は地獄とはこのことさ」。『塩売文太物語』は、幼いころ、幼少期の瀬川に、蔦重の幼少期の重三郎が渡した本です。瀬川は以来、この本をずっと読み続けてきました。
(『塩売文太物語』)
赤本の『塩売文太物語』は、瀬川と蔦重の絆の原点でした。
2人が幼少期に瀬川が大切にしていた根付を井戸に落としてしまい、重三郎が何とか拾い上げようとしますがうまくいきません。そこで、重三郎が、「おいらの宝物をやるから、これで手打ちにしない?」と与えたのがこの本でした。
瀬川は、悲しい時や辛いときに何度も、この本に目を通していたらしく、本がボロボロになっても処分せずに持っていました。
この「塩売文太物語」は、浜辺で海水を汲んで干したり、煮つめたりして、塩を作っていた文太の物語です。


(塩売文太物語 2巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション)
なんとなんと この「塩売文太物語」を
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(おさらばえ)
お別れの手紙には「おさらばえ。いつの日もわっちを守り続けてくれたその思い。長い長い初恋を、ありがた山の鳶がらす」と書いてありました。
こうして瀬川は重三郎の前から消え去ったのでした。
次回に続く・・
<<おまけ>>
吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。
<吉原神社>

<吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

<見返り柳>

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。
吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。
京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。
・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第14話「蔦重瀬川夫婦道中」の紹介でした。
