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大河ドラマ べらぼう 第11回「富本、仁義の馬面」 ネタバレあらすじ ~「青楼美人姿合鏡」を紹介~

2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。

2025年(令和7年)3月16日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第11話「富本、仁義の馬面」のストーリーを見て行きます。

(離脱)
重三郎は新しい『吉原細見』を吉原の親父たちに納めに行きますが、そこに若木屋の主人がいました。

若木屋の与八が「重三郎の本ではなく、鱗形屋の板を買う。市中の本屋さんとは付き合わねえて言ったのは駿河屋たちで、俺たちは今まで通りだ」と言い、今まで通り地本問屋と取引することを宣言し部屋を出ていきます。
(「青楼美人姿合鏡」)
1776年(安永5年)企画・構成は蔦屋重三郎、作画は北尾重政と勝川春章で、豪華な吉原錦絵本『青楼美人姿合鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』が完成しました。
タイトルの「青楼美人合姿鏡」の「青楼」とは遊郭や女郎屋の別名です。
『青楼美人合姿鏡』は、遊女たちがお客のいない時間帯のくつろぐ様子を描いています。生け花や三味線の稽古をしている姿。文を書いている姿なども美しく描かれています。

そして質の良い紙で格別豪華な造本で仕立てられました。

『青楼美人合姿鏡』は無料で読むことができます。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1288472

 

奥付には、蔦屋重三郎の名がかかれています。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1286775/1/16

 

さらに『青楼美人合姿鏡』の巻末には、姿が掲載された女郎たちが詠んだ発句(ほっく:短歌の最初の句)が掲載されています。

そのなかに瀬川の句があるのがわかります。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1286775/1/6

 
錦絵本には、瀬川が本を読む姿が描かれています。

一番右が瀬川です。瀬川の身請け前の姿を本で見られるのは、これが唯一です。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1287311/1/4

(売れない!!)
蔦屋重三郎」の作った豪華な錦絵本「青楼美人合姿鏡」(せいろうびじんあわせすがたかがみ)ですが、値段が高いこともあり売れません。マニアは興味をしめしますが、購入が相次ぐ状態には程遠く、在庫が山積みです。
予想を大きく裏切り売上が出ないため、親父達はイラつき、重三郎は駿河屋の主人に階段から突き落とされ足をねん挫してしまいます。また製作費は重三郎の借金となりました。
(俄祭りを開催し、馬面太夫を呼ぶのだ!)
あるとき、蔦屋重三郎は、親父達の集まりに呼ばれます。そして吉原を盛り上げるために、吉原で歌舞伎の真似ごとをする「俄祭り」(にわかまつり)を開くように命じられます。
そして、女郎屋「大黒屋」の女将「りつ」からは、浄瑠璃太夫「富本午之助/富本豊志太夫」(とみもと うまのすけ)を招くように依頼されました。

富本午之助は「馬面太夫」と呼ばれる三味線音楽の「富本節」の人気太夫。富本午之助は、「富本節」を創始した初代「富本豊前太夫」(とみもと ぶぜんだゆう)の実子です。富本節は、悲恋や歴史上の悲劇を情緒的に語ることを得意とします。
(吉原には行かない!)
重三郎は、富本午之助を見ようと、りつや次郎兵衛とともに芝居小屋に出かけます。
そこで富本午之助の語りを生で聞き、そのうまさに魅了され、出待ちして直談判で、富本午之助に「吉原に来て欲しい」と頼みます。

しかし午之助は、「吉原は好かない」と速攻で断りました。
そして鱗形屋が現れ、富本午之助を連れ去っていきました。鱗形屋は、富本午之助が2代目「富本豊前太夫」(とみもとぶぜんだゆう)を襲名する際に、富本節の「直伝」という本元の太夫から許しを得て売られている証が書かれた本を出し、一儲けしようと企んでいました。
(吉原が好かない理由)
どうして富本午之助が「吉原は好かない」と言ったのか、その理由がわかりました。
富本午之助は、まだ売れなかった頃に、歌舞伎役者の市川門之助と2人で吉原に行き、女郎屋「若木屋」を訪れました。
しかし、吉原は役者の出入りを禁止していたため、追い出されてしまいます。この屈辱から「吉原には二度と関わらない」と決意したのです。
それを知った重三郎は、なんとか午之助の心を動かす新たな作戦を考えます。
(力になれない)
なんとしてでも、富本午之助を祭りに招きたい蔦屋重三郎は、女郎屋・大文字屋の店主・大文字屋市兵衛とともに、浄瑠璃の元締めでもある鳥山検校の屋敷を訪れます。
そこには、鳥山検校の妻になった「瀬川」もいました。
しかし鳥山検校は、「力になれない」と断ります。そこで重三郎は、「一度でも富本午之助の浄瑠璃を聞いて欲しい」と頼み、屋敷をあとにしました。
(わかりあえた)
なんとかして富本午之助との接点を持ちたい重三郎はある作戦を考えます。
まずは偽の手紙で午之助と市川門之助を料理茶屋へ呼び出し、若木屋で起きた無礼を詫びました。
さらに、その料理茶屋では、吉原の花魁や若い女郎見習い達がスタンバイしていて、二人をもてなしました。
この重三郎のひたむきな姿勢が徐々に彼の心を動かし始めます。

宴席が盛り上がる中、重三郎は、富本午之助に芝居小屋に行けない女郎達のために富本節を聞かせて欲しいと頼みます。
富本午之助は、涙を流して自分たちの歌を聴く女郎達の姿に心を打たれ、ついに吉原の祭りに出ることを承諾するのでした。

すると、ちょうどそこに鳥山検校から「午之助の『豊前太夫』襲名を正式に認める」という知らせが来ます。

そこで重三郎は、鳥山検校に、富本節の直伝を自分にもらえないかと頼みます。この願いも認められ、重三郎は富本節の正本の出版許可を得ることにも成功します。

 

冊子「正本」(しょうほん)は、義太夫のセリフや節回しが書かれた教科書のような本です。
当時は「著作権」という概念がなかったので、勝手に本をつくり販売することも珍しくはありませんでした。
それに対して、本人が直々に記したり監修したりした正本は、「直伝」(じきでん)と呼ばれ、「この本は本人のお墨付きです」という価値が高まりますし、信頼もあります。

また吉原に行くことを決めた午之助も、「俺の語りで、吉原を盛り上げてみせる——。」とやる気満々です。
そして吉原の親父たちや女郎たちも、牛之助の参加を聞き、祭りの成功を確信します。

重三郎の姿勢が周囲の人々の心を動かし、ついには午之助自身も吉原への思いを変えていきます。
これに対し、蔦屋重三郎のライバルの版元「鱗形屋孫兵衛」が悔しがりますが、もう動き出しています。

今回のサブタイトル「仁義の馬面」は、義理や仁義を重んじる午之助の心をあらわしています。

さあどうなるか、次回に続く・・・

<<おまけ>>
吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。

<吉原神社>

吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

見返り柳

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。

吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。

京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。

・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第11
話「富本、仁義の馬面」の紹介でした。




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