
世の中には奇妙な事、不思議な事がたまに起きます。
今回紹介する「ロサンゼルス事件」もその1つです。
太平洋戦争開戦から3か月もたたない
1942年(昭和17年)2月25日19時15分頃、
ロサンゼルス上空に正体不明の飛行物体が飛来します。
(日本軍が攻めてくる??!!)
1941年(昭和16年)12月8日未明(現地時間7日朝)、真珠湾奇襲が起き、ハワイのオアフ島にあるアメリカ海軍基地が急襲され大アメリカ海軍太平洋艦隊は機能しなくなります。
これで日本は、アメリカ本土攻撃を計画します。
(2月24日、日本軍米本土石油施設を砲撃)
真珠湾奇襲から約2カ月後の1942(昭和17)年2月24日(現地時間23日午後7時)、
日本海軍の潜水艦「伊17」がカリフォルニア州サンタバーバラにある石油製油施設を砲撃します。沖合約4キロの位置から14センチ砲を計17発、約20分にわたって砲撃し、
砲弾のいくつかは命中しました。
下は、その時の様子を海軍従軍画家の御厨純一が描いた「わが潜艦加州沿岸を砲撃」と題した絵葉書です。
この砲撃では、大きな被害はありませんでしたが、アメリカ本土の施設が日本海軍の砲撃を受けたという事実にアメリカ軍および市民は、「いよいよ日本軍がアメリカ本土に上陸して攻めてくるのではないか」という恐怖に怯えて、緊張状態になりました。
そして、アメリカのサンフランシスコ、ロングビーチ、サンディエゴなどの西海岸の地域では、日本軍による再攻撃に備えていました。
しかし、日本海軍による追加の攻撃はなく、現地時間の2月24日午後10時過ぎに警戒態勢が解除されます。
(日本軍砲撃からしばらくして謎の飛行物体が飛来)
現地時間の2月25日の午前2時過ぎ、ロサンゼルスに設置された防空レーダーが未確認の飛行物体を捉えます。
その物体は、西方120マイル(約193km)から飛来します。数日前に日本軍の潜水艦からの砲撃を受けた経験から、米陸軍は、「これは日本軍機の襲来だ」と判断し迎撃態勢をとります。
対空砲火を準備し、戦闘機には迎撃用スクランブルが発令されます。
2時43分にロサンゼルス南部のロングビーチ付近での目撃情報が報告され、その数分後、ロサンゼルス上空12000フィートに約25機の飛来が報告されます。
3時6分には赤い光を放つ1基の気球がサンタモニカ上空で目撃されます。そして米陸軍の第37沿岸砲兵旅団により、ロサンゼルス上空を飛行する飛行物体に対して激しい対空砲火が浴びせられます。
サーチライトで照らされる飛行物体に対し砲兵旅団の小隊が、午前3時12分から4時14分まで、1430発もの弾薬の対空砲火を行いますが、一発も命中しません。

また迎撃のために離陸した戦闘機も何もできずに終わってしまいました。
米軍のレーダーに捉えられた飛行物体は、赤や銀に発光しているようで、空中に留まって停止することもありました。
その後、飛行物体は内陸部に向かって移動し、カルバーシティ上空でサーチライトに捉えられています。それから、サンタモニカの海岸まで進んでから南下し、ロングビーチに向かったところで見えなくなりました。
そして7時21分、灯火管制が解除されました。
砲弾の破で街の建物や車が破損し、三人の市民がパニックによる心臓麻痺で死亡しています。
(飛行物体からは攻撃は一切なし)
ロサンゼルス上空に現れた飛行物体は米軍からの砲撃をうけるものの、一切反撃をしません。米軍が凄まじい集中砲火を浴びせたにも拘わらず、一機も撃墜ができませんでした。
こうしていきなりアメリカ西海岸のロサンゼルスに現れた未確認の飛行物体は、多くの兵士、市民に目撃され、米軍が出動したものの、何の被害も受けることなく米軍レーダーから消失しました。
この迎撃戦はラジオで中継され、ロサンゼルスだけでなく全米中がパニックとなります。

(いったい何だったのか?)
「ロサンゼルスの戦い」が起きた翌日、フランク・ノックス海軍長官は、「事件当夜のロサンゼルス上空には一機も飛行機は飛来せず、対空砲火は戦時下で過敏になった神経と誤報がもたらしたもの」と発表しました。
しかし、多くの市民がこの光景を目撃しているため、さすがにこの報告は無理があるのか、この政府見解は数時間のうちに撤回されています。
太平洋戦争初期にロサンゼルスに現れた飛行物体は何だったのか??・・・戦後調査が進められましたが、何もわからず結局は飛行物体は「未確認」というままです。
2月25日は、今も詳細がわからない、
ロサンゼルス事件が起きた日です。
