
2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
第7話「好機到来『籬の花』」のストーリーを見ていきます。
(仲間に入れてくだせええ)
大阪の柏原屋の「増補早引節用集」の偽板=「新増早引節用集」を作っていたことが、ばれて鱗形屋が捕まります。
それきっかけに重三郎は、本格的に出版業に乗り出そうとします。
そして、地本問屋の仲間に加えてもらおうと考え、江戸の中心的な地本問屋「鶴屋」を訪れます。
この日、鶴屋には、西村屋与八などが集まって会合が開かれていました。
この席に姿を見せた重三郎は、自分を板元にしてくれるように頼みます。しかし地本問屋一同は、いい顔をしません。
そこで重三郎は、自分が「吉原細見」を作り、それが従来の2倍売れたら認めてほしいと頼み、それを聞いた、鶴屋の主人・鶴屋喜右衛門は、「それが実現できれば、仲間に入れる」と約束しました。
こうして言質をとった重三郎は、その実現のためにはどうすればいいか知恵を絞ります。
(きめ細かな情報)
まず、重三郎は、「吉原細見」を倍売るには、本の売値を半値にし、倍の数を本屋に仕入れてもらうことを思いつきます。
しかし本が売れなければどうしようもありません。そのためには皆が欲しいと思う人気が出るような、中身が充実した「吉原細見」でなければなりません。
重三郎は、次郎兵衛と「つるべ蕎麦」の主人・半次郎に協力を仰ぎます。
そして利用者が「吉原細見」に対し、どんな情報があれば満足するのか、今の細見では何が不満なのかを聞き、利用者の生の声を集めるよう依頼します。
彼らの市場調査からは、大きな大見世の女郎だけではなく、庶民でも揚代が払える女郎の情報を載せて欲しいという意見がありました。きめ細かい情報が欲しいのです。
(携帯に便利な薄さ)
さらに蔦屋重三郎は、小田新之助にも相談します。
すると新之助は「『吉原細見』を薄くすれば持ち運びに便利」だというヒントを得ます。
また、重三郎は、小田新之助に、松葉屋の女郎・うつせみに会う金を払うことを条件に、「吉原細見」作りに協力してもらうことにしました。
(地図の並び)
また女郎屋を地図のように並び順に記載することも考えます。こうなると利用者は便利です。
(対抗)
こうして再建を倍売り約束通り地本問屋の仲間に加えてもらおうと奮闘する重三郎ですが、どこの世界にも妨害活動をする人がいます。
重三郎の動きを快く思わない老舗地本問屋の西村屋は、浅草の本屋・小泉忠五郎と組んで、別の細見を作り、蔦重の参入を阻もうと動きだします。
また、西村屋は、主が投獄中となった鱗形屋に出向いて、女将に、細見の版木を譲ってくれないかと口説きます。しかも女将が渋ると、じゃあ・・ということで数枚ずつ小判を出していきます。この嫌な存在感・・・実にいい味を出しています。
(西村屋の思いを断る)
それからしばらくして、重三郎は、吉原の親父達に呼ばれ駿河屋に足を運びます。
すると、そこには、西村屋がいました。西村屋は、自分たちの「吉原細見」を作るため、浅草の板元・小泉忠五郎と手を組むと言うのです。
しかし、小泉忠五郎は地本問屋の仲間ではありません。「地本問屋は仲間でなくては板元になれない」と言われたことがある重三郎が、そのことを指摘すると、西村屋与八は、「今回限りは許した」と答えます。なんとも!!!・・・
そして、西村屋は、重三郎に現在重三郎が独自に動いている「吉原細見」作りを諦めて、小泉忠五郎と一緒に自分の「改」として働くことを提案します。西村屋は重三郎の才能を評価していて、自分の利益になるように手元に置きたいようです。
しかし蔦屋重三郎は、これをきっぱり断ります。
(見事なタンカ)
西村屋与八達が去ったあと、駿河屋市右衛門は、「重三郎が作る『吉原細見』を買い入れた女郎屋の女郎は、評判の錦絵シリーズ『雛形若菜』に載せない」と脅されたことを明かしました。
それを聞いた重三郎は、「吉原の女性達が自分は江戸一の女郎だと胸を張れるような本を作りたい」と闘志を燃やします。
そして、「女郎の血と涙がにじんだ金を預かるんなら、その金で作る絵なら、本なら、細見なら、女郎に客が群がるようにしてやりてえじゃねえですか。そん中から客選ばせてやりてえじゃねえですか。吉原の女はいい女だ、江戸で一番だってしてやりてえじゃねえすか!胸張らしてやりてえじゃねえすか!それが、女の股で飯食ってる腐れ外道の忘八の、たった一つの心意気なんじゃねえすか」・・・素晴らしいタンカをきり吉原の親父達に協力を求めます。
(花の井の決意)
駿河屋での重三郎のタンカで、松葉屋の主人は心を動かされました。
松葉屋夫妻から「細見を売る手立てを考えてみるかい?」と訊かれた花の井も、喜んで協力し、主人と女将を交え何か自分達にもできるいい方法がないかと知恵を絞ります。
すると、松葉屋の女将が「女郎の名跡を継ぐ者が出たときは、細見が売れる」という法則に気づきました。
これを聞いて花の井はある決心をします。
(花の井改め瀬川)
その後、花の井は、重三郎に会いに行きます。
花の井は「松葉屋で女郎の入れ替えがあったので『吉原細見』に載せて欲しい」と重三郎に告げました。そして花の井が差し出した書き付けには、「花の井改め瀬川」とあります。
名跡襲名の際には「吉原細見」がよく売れることを知った花の井は重三郎のために、瀬川の名を継ぐことにしたのです。
この瀬川というのは第2話で平賀源内が会いたいと言った松葉屋の名跡「瀬川」です。
4代目瀬川が自害したことで「瀬川は不吉な名前」と言われて、20年近く継ぐ者がなかったそうです。
花の井が、その瀬川を襲名するということですが、重三郎は、「瀬川って不吉な名跡では」と心配します。
すると花の井は、「4代目の瀬川は、想う人が居たから身請けされるのが嫌で自害した。わっちの性分ではそんな不幸は起きそうにない。だからわっちが豪気な身請けを決めて、瀬川をもう一度幸運の名跡にすればいい」と言います。
このセリフと度胸!!素晴らしいです。
(「籬の花」)
こうして重三郎は、細見を持って、本屋たちの集まりに向かいます。
すでに、西村屋は、上質の紙を使用し高級感を出した細見を皆に見せ、高評価を得ていました。
いよいよ重三郎の登場です。「籬の花」というタイトルの細見を持参して決ました。「籬」とは竹や柴などで作った垣のことですが、吉原の場合には、女郎屋の建物の往来に面した「女郎たちが居並び、客を待つスペース(張見世)」と妓楼の入り口と間に設置される格子を「籬」と呼びます。ですから、「籬の花」というタイトルもイキなもんです。
さて、重三郎が作ったこの細見「籬の花」は、従来の細見よりも薄い。しかしながら、河岸見世に至るまで吉原のすべての女郎屋を網羅しています。また、この細見を手に吉原を歩く人のことを念頭に、通りを挟んで店を対向の形に配置するなど随所に工夫が見られます。
さらに、西村屋の「吉原細見」には載っていない最新情報である「瀬川襲名」もあります。
その上、これまでの半値です。重三郎は「48文なら見送っても、24文なら買ってもいい、なんなら隣の親父の文も買っていくというやつは居る」とセールストークをさく裂させます。
情報量、最新情報、手軽さ、値段・・すべての面で西村屋の細見を上回っていて、これでは西村屋には勝ち目はありません。
地本問屋達の態度は一変し、その場で次々と争うように重三郎の「吉原細見」を仕入れるのでした。
(重三郎の細見「籬の花」)
こちらが重三郎の「籬の花」。びっしりと書かれています。

そして「松葉屋」と「瀬川」の文字もちゃんとあります。
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100450858/23?ln=ja

最後には、「板元 蔦屋重三郎」の名が・・。
上記3つは『[新吉原細見]/籬乃花』(江戸東京博物館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100450858
重三郎の細見「籬の花」の中身をじっくりと
見たい方は、こちらからどうぞ↓
勝負あった!うまく行った!!・・・そのように思えますが、しかし、しかし・・。
鶴屋喜右衛門の表情が何か企んでいるようです。
また、鱗形屋も釈放されました。まだまだ雲行きが怪しいようです。
次回につづく、、
<<おまけ>>
吉原遊郭があった地域を歩きましたが、
そこには当時の名残が残っていました。
<吉原神社>

<吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮>

<見返り柳>

この3つは、すべて歩いて行ける距離にあります。
吉原は京の島原(京都市下京区)、
大坂の新町(大阪市西区)と並んで
三大遊廓と呼ばれていました。
京都島原遊郭跡地は行ったことがあります。
・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第7話「好機到来『籬の花』」
の紹介でした。
