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古事記に書かれている神武天皇の古代斎場・神籬磐境での紀元節祭に参列!(北九州市八幡西区 一宮神社)

2025年(令和7年)2月11日(火)
古事記に書かれている神武天皇の古代斎場・
神籬磐境で行われた紀元節祭に参列してきました。
※一宮神社では「紀元節祭」と表現していましたので、このブログでも「紀元節祭」との表記を使用します。神武天皇が滞在した一宮神社)
神武天皇は、日向の美々津を発ち、東征の途上で1年間滞在した地として「岡田宮」に留まったと伝えられています。
その岡田宮があった場所こそ、現在の八幡西区に鎮座する一宮神社です。f:id:reiwa00502:20210421222959p:plain

f:id:reiwa00502:20210421223056p:plain(神蹟山 王子本宮)
一宮神社の二の鳥居をくぐると、すぐ左に「神蹟山 王子本宮」という石碑が目に入ります。

f:id:reiwa00502:20210421221549p:plain石碑に刻まれたこの「王子」は神武天皇のことです。

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神武天皇が1年間滞在したときに、自らお祭りをしたと古事記に記載されているのが、古代斎場・神籬磐境(ひもろぎ いわさか)です。

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神籬磐境(ひもろぎ いわさか)、難しい名前ですが、解説すると神籬(ひもろぎ)は、神代時代に神霊の憑依する所として、清浄な土地を選び、周囲に常盤木を樹て、
神座となしたものです。

磐境(いわさか)は、神を祀るため、磐石をもって築きめぐらした場所です。f:id:reiwa00502:20210421221509p:plain
(神籬磐境)
これが神籬磐境です。

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近くで見てと、握りこぶしより少し大きな石を集めた直径2メートルほどの円形の石積みと、方形に積まれた石積みがあり、いかにも神事の雰囲気を感じます。
これが古代の斎場だったんですねえ。言われて見ればそんな雰囲気も・・・。
紀元節祭)
この神籬磐境で、2025年(令和7年)2月11日(火曜日・祝)午前9時、紀元節祭が開催されました。

宮司の横笛が奏でられる中、祝詞奏上、お祓い、降神の儀式、玉串奏上、昇神の儀、
紀元節の歌斉唱・・と厳かに執り行われました。

降神の儀式、および、昇神の儀では宮司が神籬磐境の中に入りました、

神武天皇が祈りを捧げたと伝えられている地に立ち、歴史の重みと神聖な空気を肌で感じることができました。

神武天皇東征関連施設)
ここで、おっさんが今まで歩いた神武天皇に関する史跡をみてみます。

【宮崎にある神武天皇の御所跡

宮崎市にある神武天皇を祀る皇宮神社】

宮崎市にある神武天皇が作った軍隊=皇軍発祥之地碑

神武天皇が東征をした美々津の港=海軍発祥の地碑】

 神武天皇が東征前に腰をかけた石がある神社

神武天皇が到着したといわれる大阪天満宮

神武天皇が到着し都をおいた奈良・橿原神宮
神武天皇の命日に行われた神武祭】

<<一宮神社への行き方>>
JR黒崎駅より車で5分ほど
住所:北九州市八幡西区山寺町12-36


古事記に書かれている
神武天皇の古代斎場・神籬磐境での紀元節祭、
厳かでした。




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