
2月10日、日本は露西亜帝国に宣戦を布告し
日露戦争が本格的に始まります。
実は、この戦争では、モンテネグロ公国が、
日本に宣戦布告をしていました!
(日露開戦!)
1904年(明治37年)2月10日には、日本政府による露西亜帝国への宣戦布告を行い、
日露戦争が本格的に始まりました。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920426/1/118)
(モンテネグロ公国が日露戦争で日本に宣戦布告)
こうして始まった日露戦争ですが、実はヨーロッパのある国が日本に宣戦布告をしています。
その国は欧州のバルカン半島にあったモンテネグロ公国です。
「公国」とは、ヨーロッパで公の称号を持つ君主が統治する小さな国のことを指します。公国は、王国よりも規模が小さく、公爵が君主を務めます。
(黒山国)
明治や大正、戦前の書物では、国名を漢字で表記してます。
このモンテネグロは、漢字表記では「黒山国」となります。「モンテネグロ」がヴェネト語で「黒い山」を意味することに由来します。
モンテネグロ公国は、1852年から1910年の間存在しています。
このモンテネグロ公国は、日露戦争の時に、日本軍に宣戦を布告し満洲に軍を派遣していたというのです。
(モンテネグロ公国の歴史)
では、モンテネグロ公国の流れを順を追ってみていきましょう。
1878年、ベルリン会議のベルリン条約によりモンテネグロ公国の独立が承認されます。
下は、1905年まで使われていたモンテネグロ公国の国旗です。赤、青、白の3色旗です。 赤は血の犠牲、青は空、白は光明を表しています。

ちなみに帝政ロシアの国旗は以下です。にてますね。

(モンテネグロのニコラ一世」)
下は1905年(明治38年)6月に発行された「世界之帝王」という本の中で紹介されているモンテネグロ公・ニコラス第一世です。
(明治大正の書物では「ニコラス第一世」ですが、現代では「ニコラ一世」と表記しているようです)
ちなみに発行された時期は、日露戦争の真っ最中なので、正確に言うとモンテネグロは対戦国=敵国です。

(出典:「世界之帝王」1905年(明治38年)6月発行:国会図書館デジタルアーカイブスhttps://dl.ndl.go.jp/pid/900102/1/164)
(ポーツマス会議に呼ばれず、戦闘状態が継続)
この日露戦争で、モンテネグロ公国は、ロシア側に立ち、日本に宣戦を布告し、ロシア軍とともに戦うため満洲の地に義勇兵を派遣しています。
しかし実際には戦闘には参加していません。
そのことから、モンテネグロ公国の日本への宣戦布告は無視され、日露戦争の講和会議には招かれませんでした。
ポーツマス条約が結ばれて日露戦争は終結します。

しかし、以降も、国際法上は、モンテネグロ公国と日本は戦争を継続しているという状態でした。
(その後のモンテネグロ公国)
1910年(明治43年)には、モンテネグロ公国は、公国から王国となります。
そのため1914年(大正3年)に発行された「世界大戦の中心人物 (時事叢書 ; 第3編)」には、国王として登場しています。(ここでも「ニコラス第一世」と表記されています)

(出典:「https://dl.ndl.go.jp/pid/953233/1/38)
しかし1916年(大正5年)には、王政が廃止されます。
そして第一次大戦後の1918年(大正7年)セルビアに編入され、ユーゴスラビア王国の一部となり、モンテネグロは、国自体が消失しました。
ただし、日本は、モンテネグロ公国と正式な講和条約を結んでいなかったため、日本は存在していない国(=モンテネグロ公国)と戦争状態が続いているという、へんな状態でもありました。
(ようやく終結??)
時は流れて2006年(平成18年)、セルビア・モンテネグロから「モンテネグロ共和国」が独立宣言し、日本は国家承認を行いました。
そして。「2006年の政府答弁書」では「1904年にモンテネグロが日本に宣戦布告した根拠があるとは承知していない」と公表しました。つまり、日本政府は宣戦布告を認めていないとして、この問題を終わらせたのです。
外務省HPのモンテネグロ国に関する記述には、日露戦争での宣戦布告のことは書かれていません。
(モンテネグロ公国の宣戦布告を認めてたら、さあ大変)
日露戦争前に締結された日英同盟では、当時の日本が2か国以上と戦争状態になった場合、イギリスにも参戦義務が生じることが記述されていました。
そこで、もし日本がモンテネグロ公国の宣戦布告を無視しなかったら、英国も参戦してきて、さらに色々な事が起きて日露戦争が世界大戦クラスになっていた可能性がありました。