
12月3日、四宮徹が操縦する陸軍三式戦闘機・飛燕が
B29に体当たりを敢行します。
(帝都防空の要・震天制空隊)
首都東京の空を護る、いわゆる帝都防衛の要の1つが、陸軍調布飛行場から飛び立つ
震天制空隊です。
震天制空隊は、B29に対し体当たり攻撃を行う任務を負っていました。
高度1万メートルを飛ぶB29に対し日本の戦闘機は7000メートルくらいまでしか飛べません。
そこで震天制空隊は、三式戦闘機・飛燕を機体を軽くするっために、胴体砲、翼内砲を外し、操縦席後部の防弾鋼板及び燃料タンク防弾ゴムまでとりはずします。
こうして体当り仕様機となりました。

震天制空隊の、はがくれ隊の隊長を務めたのが熊本県出身の四宮徹です。

(B29に体当たり!)
1944年(昭和19年)12月3日、四宮は13時24分、高度9500mを飛ぶB29五機編隊の最外側機に対し、高度10000mから突入して体当り攻撃を敢行します。
衝突直前に機体を右に傾け、左主翼をB29の側発動機に激突させます。
体当たりを受けたB29は白煙をあげながらも飛行を続けますが、東京湾上空で日本軍機により撃墜されます。

(片翼飛行で調布飛行場に無事帰還)
一方、体当たりをした四宮機は左翼を失い、錐もみ状態で1000mほど降下しましたが奇跡的に機体が安定を取り戻し、片翼機ながら巧みな操縦技術を駆使し陸軍調布飛行場に生還しました。
翌年1月17日、この四宮中尉の「帝都上空B29体当り片翼生還」のに対し東部軍司令官から表彰状と陸軍武功徽章乙が授与されました。
この時の戦闘機・飛燕は日比谷の百貨店に展示されました。
(知覧から出撃し散華)
その後、四宮は1945(昭和20)年29日、第19振武隊隊長として、一式戦闘機隼3型甲にて鹿児島知覧より沖縄方面に特攻出撃して戦死しました。享年22。
