平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
42話は、「川辺の誓い」です。
ではストーリーを見ていきます。
(顕信の出家)
ときは、長和元年(1012年)。
道長と明子の子供、顕信が、蔵人頭の道が閉ざされたことから絶望し、突然、比叡山に出家します。この時代、出家するとは世を捨てる事に相当します。
この事態に、明子は、錯乱し私の子を返せと道長に迫ります。
明子は「比叡山は寒い。顕信は凍えてはおらぬだろうか」と涙をこぼしながら心配します。
道長は、暖かい物などを比叡山に届けるように百舌彦に命じました。
(三条天皇の一帝二后)
一条天皇の跡を継いだ三条天皇は道長に対抗してきます。
三条天皇は「妍子を中宮に、娍子を皇后にする」と道長に、一帝二后を迫ります。
道長は、大納言の娘が皇后になった例はないことから、できないと拒否します。
すると三条天皇は、妍子の所には渡らない、そうすれば子ができないと脅してきます。
こうして道長は三条天皇の申し出を承諾します。
(同日開催)
発言力を増す三条天皇に対し、斉信は、このままでは三条帝のやりたい放題だと言います。
そこで俊賢が、娍子の立后の日に妍子の内裏参入をぶつけてはどうかと提案します。
公任は、公卿の考えていることがハッキリ見えると賛成です。
この「娍子の立后の儀と妍子の内裏参入の儀を同日にぶつける作戦」に対し、三条天皇は、策を練ります。
そして、妍子の内裏参入は夜なので、娍子立后の儀を昼に行うと事にしました。
こうして、娍子と妍子の祝いの儀式を昼と夜にわければ、公卿たちがどちらの儀にも参加できるとので大丈夫だと考えたのです。
(人集まらず)
当日、せっかく時刻をずらしたにもかかわらず、公卿たちの多くは道長に遠慮して、三条天皇がいる娍子立后の儀には参加しませんでした。
立后の儀に現れた公卿はごく僅かでさびしいものです。
帝より、その臣下である貴族の頂点=道長に配慮するということが、目に見る形でわかり、帝の権威が落ちたことが、ハッキリと知らされます。
右大臣も内大臣も来ないために、立后の上卿を務めるものがいないと帝は悩んでいます。
その時、実資が帝の前に現れました。
三条天皇は、承継の儀の上卿の役を務めてほしいと実資に頼み、実資は承諾しました。
立后の宴では、娍子以外には、隆家、実資など4人しか出席しておらず空席が目立ちすぎます。
来ていない分の食膳は下げたほうが良いかと尋ねられた資平は、そのままでいいとしました。
一方、妍子の宴は、多くの貴族が集まり賑やかで盛りあがります。斉信が中宮を支えると宣言しています。
しかし道長は、酒を飲んでばかりの娘の妍子を見ながら浮かない様子です。
(慎重な態度)
後日、実資が屋敷で幼い娘千古をあやしていると、息子の藤原資平がやってきます。
そして、「帝がお喜びでございました。ゆくゆくは、父上(実資)を帝の相談役に、と仰せでございました!」と興奮気味に伝えます。
しかし実資は「私は私であって、帝と左大臣、どちらの味方でもない。浮かれるな」と答えます。実に慎重です。
(妍子にお渡りしない帝)
道長は、三条天皇に、妍子にお渡りしないのはなぜかと問います。すると帝は「いつも宴ばかり催して年寄りが入り込む好きなどない」といいます。
そこで道長は、話題を変え、比叡山では僧侶から石を投げられたと話をします。
すると帝は、祟りがあるぞ、しっかり祓ってもらうのが良いと冷たく言い放ちます。
それからも三条天皇は妍子のもとには、なかなか渡りません。一方の妍子は、宴三昧で、うれしそうに若い男性に酌をさせていて、だらしない様子です。
(雲隠れ)
道長が藤式部の局を訪ね「帝が妍子のところへお渡りにならぬ」と嘆きます。
さらに「彰子には『源氏の物語』があった。しかし、もう『源氏の物語』も役には立たんのだ」とまで言います。
作者を目の前にして、この発言!!ひどいなあ~。
まひろは「人は、物語のようにはいきませぬ」と返します。
そして、その次に道長が藤式部の局を訪ねたとき、机の上の紙に「雲隠れ」とだけ書かれていました。
雲隠れ・・・「雲隠れ」は、『源氏物語』の巻名の1つで、生前の光源氏が最後に描かれた「幻」のあとだとされます。
しかし、巻名だけが伝えられ、内容は現存しません。
このシーンで「雲隠れ」という文字を出したのは、まひろのなかでは「源氏の物語」が終了したということでしょうか?
(飯がうまいから)
まひろが実家に帰ってきました。
いとが、双寿丸が頻繁に訪ねてきて、しかも賢子と仲が良いから心配だといいます。
そこに賢子と双寿丸が帰ってきました。双寿丸は腕に切り傷のようなものがあり血を流しています。それを賢子が優しく洗い流してあげます。
いとが、また来たのかというと、あんたの飯がうまいからと双寿丸はお世辞で返します。
(道長倒れる)
その夜、道長は病に倒れます。
高熱で苦しむ道長を倫子が看病します。
道長がこのような状況になったため、源通方によって道長の辞表が三条天皇に届けられました。この場合、通常は返礼するものですが、帝は返したくないようです。
倫子と穆子が道長を見守る中、彰子も見舞いにかけつけます。
彰子は、道長が二度辞表を出したことを聞き、自分のせいだと自分を責めます。
(怪文書)
道長の病とともに、内裏では怪文書が出回ります。
顕光が怪文書を読み上げると、そこには左大臣の病を喜んでいるものの名前が書かれていました。
そこには、道綱、実資、隆家、懐平、通任の名前があります。
これを見た道綱は、自分は道長の容態を心配しているのであり、喜んだりしないと言います。
実資は、このような怪文書は、ほっておけといいました。
道長を憎む、ききょうは、左大臣の命は長くはないと感じていました。
怪文書に名前があった道綱は、道場がに会ってこのことを釈明したいと見舞いに来ましが、倫子に留められました。
(ふぬけ)
一方、道長の病を知らない、まひろが庭を掃除していると、下女のきぬが、自分がやると止めようとしました。
母の様子を見た賢子は、もう書かないのかと問いました。
するとまひろは、源氏の物語は終わったと答えました。
賢子は、物語を書かない母は母ではないみたいだといいます。
まひろのなかでは「物語は終わった」ものであり、今は、無為に過ごし、気が抜けたようです。「このまま出家しようかしら」とつぶやきます。
(駆けつける)
百舌彦がまひろの実家にやって来て、道長の健康状態が思わしくないと述べました。
まひろが道長の元にやって来ると、元気のない死んでもおかしくない姿の道長がいました。
道長は、まひろを見て「はっ」とします。
そして二人で宇治の川辺を歩くことになりました。
ここで道長は「お前は俺より先に死んではならん。死ぬな」と言い、まひろは「ならば、道長さまも生きてくださいませ。道長さまが生きておられれば、私も生きられます」と返します。
家に帰ったまひろも、紙に向き合って硯で墨をすります。
「光る君がお隠れになった後、あの光り輝くお姿を受け継ぎなさることのできる方は、たくさんのご子孫の中にもいらっしゃらないのでした」と心の中でつぶやきます。
さあ、これからどうなることか、、次回に続きます。