
福岡県北九州の門司港にある、
明治期から現在までの電話器を紹介し展示している
門司電気通信レトロ館に行ってきました。
懐かしい!!の連続でした。
電話・・・つい半世紀前の1970年代には各家庭に1台もなかったのですが、それが21世紀の令和となった今の時代には「1人1台」となりましたね。
今回はその電話の歴史を感じられる博物館を紹介します。入場料は無料です。
(門司港にある門司電気通信レトロ館)
かつて大陸や朝鮮半島への航路があり国際貿易港として栄えた福岡県北九州市門司区の門司港。ここには各商社の建物が建ち並び、賑わいを見せていました。
その1つが1924(大正13)年に建築された逓信省門司郵便局電話課庁舎です。
この建物は、門司最初の鉄筋コンクリートの建物で3階建て。
電信電話の需要が広がる中、新型交換機導入のための条件となる重量・高さ・防塵に優れた内装、流水防火装置を備えられました。戦時中には偽装のため外壁に迷彩が施されたそうです。
当時の建物は、今もそのままの形で残っています。このカーブがいいですね。

この建物は、現在は門司電気通信レトロ館なっていて、建物の前にはレトロ風の公衆電話がありました。

門司電気通信レトロ館には、電信・電話の進化や歴史を物語る古い設備や貴重な史料が展示されていて、明治からのあゆみがわかります。

(明治期の電話機)

こちらは明治期の電話。

こういう電話、戦前のドラマでよく見かけます。


1900年(明治33年)東京・京橋にあった公衆電話の模型もありました。

(昭和の時代)
おっさんが小学生の頃=1970年代始めは、電話には加入権というお金がかかり、それが当時の金額で8万円と高価だったので、まだ電話が各家庭に普及していませんでした。
そのためかけるときは赤色の公衆電話を使っていました。市内の通話量が3分10円だったので、長時間通話の場合は10円玉をたくさん用意してかけていました。
一方、電話がかかってくるときは、近所の電話を持っている人の家の電話機にかけてもらう方式でした。
ですから、当時の名簿には、例えば、名簿に立花静人と名前が書かれ、その電話連絡先に「○○さん宅呼び出し」とか「(呼)」などと記載されていた御家庭も多くありました。
そして学校などから連絡の電話がかかると、その家の人が「立花さーん電話ですよ-」とワザワザ呼びに来てくれて、こちらも「○○さん、すみませーん」と言い、かかってきた電話に対応していました。
(固定電話)
1970年代後半くらいから各家庭に電話が普及し始めました。
他の家庭よりも貧しかったおっさん宅に電話が来たのも、この頃です。
各家庭にあった黒電話やプッシュホン・・このころの電話機は、おっさんの記憶にあります。

たまに、しゃれた家に行くと、電話機には、カバーがかけてありました。

おっさんは大学卒業まで九州にいましたが、昔の電話料金は距離が長いほど料金が高く、東京や北海道に電話をするときは、用件をまとめて手短に話す、あるいは、20時から電話料金が割引になるので、その時間以降に電話をかけていたものです。
おっさんの父親の弟=おじさんは、東京の三井物産本店に勤めていました。この方は、よく会社から、近くに誰もいないときに九州の兄=おっさんの父親に電話をかけていました。
(公衆電話)
門司電気通信レトロ館には、赤、ピンク、黄色、緑、グレーと歴代の公衆電話機が並んでいました。

1980年代半ばに、おっさんは大学生になりました。その時は、学生で電話を持っている人は少なかったのです。
当時の公衆電話のメインは緑色でした。2人でかけることが出来る電話というのもありました。

この頃はテレホンカードが普及して、切手のように、デザインがいいテレホンカードを収集するのが流行しました。
特にメーカーなどが特別に配っていたアイドルのテレホンカードは希少価値が付き1枚数万円もするテレホンカードも登場していました。
おっさんはNECが出した斉藤由貴の500円のテレホンカードを持っていて、これが7000円の値打ちが付いていました、またグリコが出した南野陽子のテレホンカードも1万円近い値が付いていました。
なお、おっさんは今でも、電電公社時代も含めて、未使用のテレホンカードを100枚近く持っています。
最近調べたら、今500円のテレホンカードの買取額は390円でした。トホホ・・・
門司電気通信レトロ館には、日本そして世界のテレホンカードが展示してありました。


(留守電)
社会人になった1990年(平成2年)当時7万円くらいだった電話加入権を買い、電話を設置しました。
当時は電話機に留守番録音機能(留守録)がついていて、不在時に電話がかかってきても用件を電話機にメッセージとして残すことが出来ましたし、それを外から聞くことも出来ました。
この留守録に音楽を着けて「はい 立花です ただ今電話に出ることが出来ません、メッセージをお願いします」などと自作している人がいましたね。
(ポケベル)
社会人となってしばらくして婦ケットベル=ポケベルを持たされました。当初はピーと音が鳴るだけでした。

やがて、電話をかけた人の番号がディスプレイで表示されるタイプの物が出て、さらに「0840(おはよう)」やら「724106(何してる?)」という風に数字の語呂合わせで番号を入力したメッセージを送るのがはやりました。
(携帯電話)
携帯電話が出てきたのもこの頃です。
社会人一年生となった1990年(平成2年)の年末に、仕事で携帯電話を初めて使いました。当時は、肩にひもをかけてぶら下げるショルダーフォンスタイルで、重量があり、すぐに電池がなくなりました。

その後、手でつかむスタイルの携帯電話が登場しましたが、辞書みたいな大きさでした

当初は、携帯電話本体の代金や通話料が高く、また電波の状況が良くなくアンテナを伸ばして通話していました。
電波が届かない「圏外」という場所がよくありました。

やがてPHSも登場し、携帯電話会社どうして競争を行ったことで通話料も安くなりました。

電話は、毎年技術の進化をとげ、今では、通話機能を備えた「小型コンピュータマシン」という感じで、カメラや動画撮影など色々な機能を備えていて、電話としての機能はメインではないようです。また電話回線ではなくインターネット回線を利用し無料で通話できるアプリも登場しています。
(2024年:令和6年で建物が出来て100年)
門司電気通信レトロ館の建物は、2024年(令和6年)に完成100年を迎えるということで、同年9月12日から10月31日までの来館者には、3種類の記念ノベルティから1つ好きなものをプレゼントしています。

黒電話のマスキングテープを頂きました。

<<今回紹介した門司電気通信レトロ館>>
https://www.ntt-west.co.jp/kyushu/moji/
電話番号:☎ 093-321-1199
駐車場:あり
営業時間 : 9:00〜17:00
休館日 : 月曜日・年末年始
料金 :無料
<<門司電気通信レトロ館への行き方>>
R門司港駅から徒歩10分程度
住所:福岡県北九州市門司区浜町4-1
西日本唯一の電信電話の博物館:門司電気通信レトロ館。
「ああ、これ使ったなあ」
「こんなのあったなあ~」と感じるものばかりで
楽しめますよ。門司港レトロ地区に来たら是非どうぞ!!
